2015.09.01

Little Tales of British Life 今なお生活に関わり続ける英国の産業革命

英国産業革命と現代IT革命と現代日本の生活革命についての意見を英国史の専門家にお求めということでした。

数か月前のことですが、与党自民党の岸田外務大臣からの肝いりで、多数の経済関係の著書を上梓されているある有名作家さんが当方の元にお越しになりました。ご用向きは「英国産業革命と現代IT革命と現代日本の生活革命」についての意見を英国史の専門家にお求めということでした。当方は歴史の専門家ではありませんが、歴史勉強家としての持論を展開すると、2度も聞き返されたので、3度に渡って言葉や引用や用例を換えて説明させて頂きました。その後、その時に語った内容を証拠として残して置いた方が良いかなと思い、当日その作家さんに話したことをBRITISH MADEの読者様用に書き下ろしてみました。以下、内容がちょっと堅苦しいかもしれませんが、あえてお楽しみ下されば幸いです。

中世までの職人さんや商人たちが作ったギルドとは、商権や技術を権威付ける経済システムであることはよく知られていると思います。人口変動も少なく、市場規模も安定していて、技術的にも上層階級の人々がある程度満足する製品やサービスが提供出来れば、それで良しとしていた中世の原則経済社会では、ギルドは商品と商取引の方法を保証する最良のシステムでした。製品はある程度の水準に達していれば、皆それで納得し満足してくれる時代であったとも言えます。

中世の宗教観は科学や経済活動を否定していましたが、16世紀ごろから変化が訪れます。宗教改革によってある程度の私有財産が容認され、暫く経った頃から科学技術の開発が露見して来ます。小金を貯めた人たち自らが繊維品などを効率的に生産する新技術を創りだしたり、その種の技術者のスポンサーになったりすると、その技術はギルドの制約や許可を受けずに世の中で大量生産の道具となって、その市場を広げて行きます。地球レベルで言うと、小氷河期が終わり、農業生産高の上昇によって、人口も増えたので、物資の需要も増えたのです。言い換えれば、ギルドの古いルールや掟では、新しい技術やサービスの拡大を抑え切れなくなっていたのです。

炭坑夫を演じる街中のパフォーマーが一服する様子。産業革命の時代には、こんなに真っ黒な労働者があちこちに居たと思われます。
ロンドンの産業革命を支えた労働力の多くはジプシーや元小作農でした。グリニッジ天文台のあるイーストエンド周辺は産業革命以来、下層労働者の子孫が長年住み続ける貧民街でした。古くから貧困が社会問題として認識されたいたことが判るPoverty Map(貧困地図)も1700年代から現代も作られています。古いモノは、今でも骨董屋さんに行けば売っています。意外なところが貧困域だったり、これからどうなるのかなど変遷が判ります。

ところが、英国で大量生産されたモノは、国内で余りモノになってしまいますから、英国人たちは消費地探しに海外進出します。この段階で登場する東インド会社は、自由主義的な資本主義経済社会への糸口を創りだします。それは保護主義的な原則経済社会からの脱皮を意味します。最初の頃は、インド、アメリカ、中国など大消費地各国の古くからの秩序など考慮することもなく、どんなことをしても英国商品を売りまくりました。しかし、フランスなど欧州列強が競争相手になると、武力で対抗しようとする他国に対して、航海法や商法などの国際秩序やシステムを創りだして、他の国の脅威を穏便に頭脳で牽制しつつ、英国が世界貿易の覇権を握ったというのが、大まかではありますが、英国の産業革命の顛末です。

産業革命が進むと人口が増え、ロンドンの街中の造成が急ピッチで始まりました。その頃の家庭用燃料は石炭やコークス。タウンハウスの地下には石炭貯蔵庫があり、この小さなマンホールにほぼ同径のパイプを突っ込んで、ホイールバロー(一輪手押し車)から石炭を滑り落としたのです。本来はこの地下の高さが露出した路面であったのですが、湿地の多かった当時は道路を埋め立てて地下室を作ったのです。タウンハウスに住めるのは、技術者など中産階級の人々でした。

中世からヨーロッパ経済を牛耳ってきたギルドは職人の食い扶持を守る目的と、製品をある程度保証する目的で作られた保護主義的な原則経済システムです。その一方、東インド会社の経営方式とは、自由主義的な資本主義経済システムの出現であり、今日のビジネススタイルの規範になりました。いわば、長期間に渡って機能して来た規制では管理できない新しい技術が現れたことで、規制不可能な市場が出来上がり、新技術や新サービスがその市場でビジネスを拡大させた、ということなのです。

現代でも、既存の規制を越えた新規技術が新しいビジネスを展開しています。1980年頃は某社のウォークマン(携帯オーディオ機器?)を規制するものはなかったし、その後も規制されることなく、爆発的に売れ、類似商品も生まれました。2000年頃までには、インターネットの普及とともに、既存のルールでは統制されることのないネット販売や新しい販売方法やSNSなど通信手段が出て来てビッグビジネスになり、規制は後から付いて来ています。最近の例で言うと、遠隔無人ヘリコプター、ドローンは何の規制も受けずにその販売領域を広げましたが、その後は厳しい規制の対象になりました。

また、現代はコンビニによる生活革命が起きていると言われます。生活様式がどれだけ変わったかということを比較して、革命という表現になったのだと思いますが、むしろコンビニの販売戦略に適応した市場が構築され、生活に劇的な変化が表れていると述べる学者先生もいます。しかし、革命と言われるまでに多くの変化の積み重ねがあったことは、産業革命の顛末が示す通りです。コンビニによって生活は変わりつつ、台所無用の状態を作りつつあるけれど、革命と言える段階とは言えないのではないでしょうか。

今でこそ優雅な雰囲気を持つ運河(カナル)カフェ。原料や製品を運ぶための輸送手段として最大限に活躍したのは正に産業革命の頃。資本家たちは公共事業ではなく、私財を投じてロンドン中に運河を張り巡らせました。江戸時代初期に徳川家康が豊潤な利根川の産物を取り寄せるために、大名に多くの運河を増設させましたが、都市機能を維持するためのロジスティック戦略は、実は日本の江戸の方がずっと進んでいたのですね。
皇太子浩宮殿下もオクスフォード大学でイギリスの運河について研究されています 。

ある人は「歴史は繰り返す」と言いますが、然る人は「歴史の同一性は証明が難しい」と言います。歴史にはどのような意見や解釈があっても良いと思いますが、BRITISH MADEの製品の中には、変動する経済活動とは無縁な、あるいは歴史の流れの中に止まった普遍性を備えたモノがあります。どんな経済社会でも、どんな時代でも確固たる自我を持ったモノです。ビジネススタイルがどんなに変化しても、職人の気概のこもったモノには魂が宿るからこそ、我々はその本質に触れて魅力を感じているのです。

今手にされている英国製品に何を感じておられるでしょうか。英国の産業革命から世界に広まっていった発展の轍を、この話の中で読者の皆さまと共有できたでしょうか。歴史は変わっても「変わらない何か」が、これからの歴史の一部となる我々個々人の在り方を示唆してくれているような気がしています。

もっとも変わらないもののひとつが、ユーザーであるお客様と職人さんとの「対話」ではないかと思います。たとえば、BRITISH MADEはお客様と職人さんとの間を取り持っています。

職人さんは丹精込めて製品を具現化します。それら製品を使う皆さまとのやり取りから、伝統、英国らしさ、そしてダンディズムなどを支えるための対話が続いているのです。カタチとココロを引き継ぐことは、職人だけでは続けられないことであり、ユーザーの皆さま個々のお気持ちに委ねられているのです。

産業革命でも、東インド会社でも変えられなかった世界観がギルドの伝統の中に残っているように、流動する時代の中であっても確固たる普遍性を捉える気概を維持して下さる職人さん方々の存在が有難いと思います。ギルドの遺産が、今でもロンドンの街中に数多く営々として残り、経済システムがどんなに変化しようとも、お客様との対話に支えられて生き抜いて来た力強さを感じます。そのうち、残されたギルドについてもロンドンの裏通りからご紹介する機会を作りたいと思います。



2015.9.2
Text&Photo by M.Kinoshita

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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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