2016.05.04

Little Tales of British Life 「英国人と病院との闘い」病は気のせい?

通信社に勤める友人がロンドンに出張した際に、突然の病気で緊急入院して手術を受けて一命を取り留め、数日後の退院の際に費用を払おうとすると窓口が無いことに気付きました。「どうやって払うのか」と尋ねたところ、ロビー受け付けのオバちゃんに「いいのよ。そのまま帰りなさい」と言われたそうです。この話を聞くと、英国の医療制度はなんと寛容なのか、と思う方も多いでしょうが、実際に住む我々納税者は異なる事情に悩まされています。

皆さんは、身体の具合が悪くなると、どの病院に行かれますか?日本では病状によって見当を付けて、直接専門医に行きますが、英国では「GPに行く」ことになります。General Practitioner(総合診療医)の略語ですから、日本で言えば町のお医者様、診療所に相当します。大抵の場合は住所の最寄りのGPを主治医として登録します。

20160504_main1当方の行きつけのGPです。正確に言うと、登録した掛かり付け医師の居る診療所です。背を向けて前庭に駐車している車のある家です。周囲は住宅街。何の看板も無ければ、特徴もありません。

具合が悪くなったら、まず、GPの受付に連絡して予約を取り、指定された時刻に診察を受けるわけです。GPの医師には専門こそあれ、基本的且つ、全般の医療知識はありますから、軽度の疾病であれば、そこで治療や処方をして貰います。しかし、設備は整っていませんから、専門性の高い手術や追加(精密)検査が必要な時はGPを通して専門医に予約して貰って、また後日別の専門病院か総合病院に行くことになるというシステムです。

在英邦人としては、症状から見て明らかなのだから、直接に専門医に行きたいところですが、このワンステップが実に歯がゆいところでもあります。GPの診察は一般的にかなり楽観的です。症状の種類を少し多めに伝えたり、痛みや不安を大げさに訴えたりしないと治療の次の段階に進めない場合もあります。なぜなら、医師の業務査定は、患者が行うのではなく、英国政府が行うからです。

20160504_main2かつて、1869年までグリニッジには大英帝国海軍の大病院が在りました。身寄りの無い多くの傷痍軍人たちの終の棲家となるように建てられ、健康管理の研究機関にもなりました。

第二次大戦後間もないアトリー内閣の頃から「ゆりかごから墓場まで」と言われたほど英国の社会福祉は世界でも有名になりました。その理由は、医療費が国庫負担であり、NHS(National Health Service;国営健康サービス)によって、英国民は無料で医療サービスが受けられることになったからです。その頃からほぼ現代に至るまで、国民はおろか、移民であろうが旅行者であろうが、NHSは患者と認めれば誰でも治療はすれども、治療費は取らなかったのです。

もちろん、国庫は税収によって支えられています。税金の控除額は人によって異なりますが、所得税(収入の40%)、住宅税、地方税、消費税(VAT)などの税金を、英国の居住者が負担していますから、まったくの無料とは言えないわけです。むしろ、収入に対する福利厚生に掛かる費用の割合は、日本よりも高くなります。

患者がどんなに「薬をくれ」と、お願いしても医師に突っぱねられたという話は、時代が進むにつれ頻繁に聞くようになりました。「専門医に行かせてくれ」と主張しても、何年も順番を待たされるとか、致命的な症状ではないので紹介出来ないとか、挙句の果てに「有料診療という選択もありますよ」などというアドバイスをNHSの医師から受けることもあるのです。

20160504_main3処方箋を持参すると、薬代ではなく、処方箋代を請求されます。保険適用外の薬を請求する場合は全額自己負担です。「子午線薬局」とはグリニッジらしい命名ですね。the meridian of lifeと言うと「働き盛り」という意味もあります。グリニッジ病院で余生を過ごした傷病兵たちには、心が少しばかり痛む店名にも聞こえてしまいます。

有料診療とは、国営のNHSとは別個であり、私営の医療組織です。BUPAとかPPPと呼ばれるいくつかの私営の診療機関があります。ほとんどの英国人はNHSに頼るしかないのですが、富裕層はこの有料診療(プライベート診療)を受けています。その費用はとても高額です。医療サービスの内容も世界最高と評価される日本以上とも言われています。

Bupa
http://www.bupa.com.au/

PPP
https://www.axappphealthcare.co.uk/

プライベート有料診療の場合、医師と病院は患者のために最善の治療を施します。そして、そのプライベートの利用者数の割合は英国民全体の8%に過ぎないのです。まさに格差の象徴です。私立の名門パブリックスクールに行ける子供たちは3%ですから、彼等は間違いなくその中に含まれるでしょう。

20160504_main5検査機器や医療機器の充実した大病院になれば、このような看板も出ています。

NHSにもいいところはあります。貧富に関係なく、誰もが公正に治療を受けられる他に、英国内のNHSのどこに行っても、自分の病歴が検索できるのです。英国内の旅先で急病に倒れても、病歴から既往症と現在の症状とを判断して一命を取り留めたという話もあります。また、プライベートには救急医療がありませんが、NHSは急病に対応してくれます。ただ、なかなか薬を出してくれないのは、救急医療でも同じです。

20160504_main4救急車の前を走る車のバックミラーにAMBULANCEと映る仕掛けになっています。
20160504_main7ラグビーの試合をする場所には、ユニフォームを着た救急救命士が現れます。彼等はボランティアですが、定期的に救急医療訓練を受ける有資格者です。学校が試合を主催する場合は、サンドイッチなど軽食付きのティーを試合後に振る舞いますが、こちらから誘わなければ帰ってしまう謙虚な人たちです。まあ、パブで一杯やるほうのが楽しいでしょうね。

一つの例を挙げると、腎臓結石で2度救急搬送された旅行者の話です。1度目はロンドンでしたが、その時は鎮静剤を貰うまで8時間以上待合室で待たされたとのことです。2度目はスイスだったのですが、救急隊がヘリコプターでやって来て、すぐにモルヒネに近い鎮静剤を投与してくれたそうです。ロンドンでの治療費は無料でしたが、スイスでは10万円相当を請求されたそうです。

国庫からNHSに対する支出の引き締めだけでなく、NHSサービスの有料化が始まるという噂も立ち始めています。6か月未満の留学生ヴィザ保持者には2014年頃から既に200ポンドが課せられています。怪我や病気をしなかったら、健康保険の掛け捨てと同じことになってしまいますが、ゆりかごに入る安心料として考えてもいいですね。ただ、ゆりかごの中は次第に窮屈になりつつあると英国人はぼやいています。

20160504_main6とある救急病院の駐車場に行くと、こんな看板がありました。この階段を昇れるほど元気なら救急外来に行く必要はありませんよ。という配慮でしょうか?笑


Text&Photo by M.Kinoshita

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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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