2016.07.05

Little Tales of British Life お作法としてのフランス式

6月は1年の中でも英国が最も美しく見える季節です。好天に恵まれると食事も屋外で摂りたくなります。和食好きの当方ですが、この時期に食べたくなるのはローストビーフサンドイッチ。M&Sやテスコなどの量販店のものでも充分に美味しいのですが、好きなだけホースラディシュを散らして食べる手造りのローストビーフサンドが最高であります。しかも、ごく少量の甘い醤油ダレという和的な隠し技を添えて、頬張れないほどふんだんに積み上げたクレソンとレタスを全粒粉のパンで挟むという組み合わせがベストです。その際の飲み物はエルダーフラワーのコーディアルを炭酸水で薄めたものがパーフェクトなお伴になります。当方にとって、この組み合わせは最高の夏の食べ物です。
20160705_main1 サンドイッチのパンは8㎜以下の薄切りに限ります。トーストもカリカリでなければ、英国式ではありません

しかし、ローストビーフをサンドイッチのような軽食にしてしまうにはもったいない気がします。英国に住み始めるまでローストビーフのサンドイッチなど食べたことがありませんでした。過去の日本でもそれだけ高級感があったのです。英国に住みついてから知ったローストビーフサンドイッチの由来、それは前日の残り物でした。

20160705_main2重厚なブラックスティックチーズとローストビーフとの旨みを楽しみたいのなら、白パンの方が良いかもしれません

さて、これも今は昔、ロンドンのある高級レストランでの話です。「メニューを下さい」とボーイさんに頼んだところ、返事がありませんでした。振り返ってみると、すぐ傍に立っているのに、当方のことをまるで無視しています。聞こえなかったのかなと思い、もう一度声を掛けると、ボーイさんが近寄ってきて、当方に耳打ちをしました。「お客様、当店ではフランス語はご法度なのです」

正直なところ、時代錯誤ではないか。と思ったのですが、1980年代当時はまだ英語にこだわる店があったのです。で、メニューではなくBill of Fare(献立表)を頼んで受け取って眺めると、見事に英語一色です。と思ったものの、見つけてしまいました。Bill of Fareの中に堂々とRoast Beefと書いてあります。

20160705_main3サンドイッチでパサついた喉を潤すのは、エルダーフラワーなど芳しいコーディアル・ドリンクが一番清涼感を得られます。当方は炭酸水で作ります

先ほどのボーイさんを呼んで、今度は当方が耳打ちしました。「Beefってフランス語のbœufの派生語でしょ?他に呼びようがないの?」すると、ボーイさんは自信満々に答えました。「お客様、ビーフは英語でございますので、ご心配には及びません」

「ええ、ビーフが英語?」一瞬戸惑いましたが、英国人にそう言われたら、外国人としてはどうしようもありません。おまけに、同席していた日本人の友人は「あれ?ポークもこのメニューに載っているよ」と追い討ちを掛けるように突っ込んでくれました。Porcはフランス語だけどPorkは英語だ。と返り討ちに会いそうです。

20160705_main4これはお手製のエルダーフラワー水。義妹が庭から持って来たエルダーフラワーで毎年作ります。1980年頃、白ワインの味がイマイチだった頃、イングランド南部のファームショップの店頭に置くと、エルダーフラワーで風味付けした発泡ワインは飛ぶように売れていました。最近は人気が出て、量販店ならどこでも売っています

結局、あのボーイさんのこだわりは何だったのか、今でもよく判りません。十数年後、高級レストランとして世界に名を轟かすローストビーフの名店シンプソンズの広報担当に話を聞いたところ、同店の創立当時に英仏関係がとても険悪だったので、英国内ではフランス語の言葉を一掃しようという風潮があったとのことです。しかし、料理名からビーフとポークは消えなかったとのこと。因みに、Bill of Fareは直訳すると「料金請求書」です。メニューを英語にすると、とても無粋に聞こえるのは当方だけでしょうか。

ところで、天皇陛下や王室など国家元首を受け容れるためのプロトコル(典礼儀典)は、今でも基本的にフランス式に行われています。そのプロトコルに倣って、一般的な招待状にもR.S.V.P(Répondez s’il vous plaît:お返事お願い致します)と書く風潮はいまだに残っています。

第二次大戦前まで、社交や外交の場面ではフランス語とフランス式の作法に準じることが主流でした。19世紀の初めに英国がフランス海軍を破って制海権を握った後でもしばらくの間、フランスの文化的な優勢さが外交・社交社会のプロトコルを支配したのです。国際関係の公文書を眺めても、1920年代、国際連盟の時代から公用語とされた言語の筆頭がフランス語だったのです。しかし、連盟から連合へと変わり、英米の発言力が強くなってくると、公文書の中に締めるフランス語の割合が減って行きます。

20160705_main5軍隊用語もフランス語源のまま使われていることも多いようです。このキャプテンが付けている飾り紐もAiguillette(エイグレット:英語読み)と呼ばれます。元々は馬を繋ぐために使われた紐でしたが、肩に掛けた姿が粋に見えて、飾りとして改良されたことが由来とか。ガーター勲章同様、実用品が階位を示す装飾品になったのですね
aiguilltte
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%BE%E7%B7%92

戦前までの英国では貴族や教養人としての嗜みとして使われていたフランス語でしたが、実践的な外交面を重用するアメリカのイニシアチブが強くなった社会では、あまりプロトコルは意識されなくなりました。事実、アメリカの外交関係者にはプロトコルを気にしない人も多く、米系のパーティに行くとボーイさんとお客さんが対等に歓談している場面さえ見受けます。過去の英国では、庶民でもフランス語が出来れば、プロトコルを知っていれば、昇進や上流社会へステップアップするための手段になりました。その反面、フランス語が出来るヒトをやっかむ英国人も少なくなかったのです。

20160705_main6日本でのティム大使のこの姿も今年で見治めです。画像は大使本人から掲載許可済み

フランス式と言うと何事に付け体裁を重んじたように聞こえます。時代が進むにつれ、社交や体裁にこだわっている余裕が無くなって来て、英国の外交官たちも専門官でもなければフランス語を話す人は少なくなりましたし、重要性も低くなりました。奥ゆかしさが失われたようで、昔を知る世代にはやや残念な気持ちになります。国の代表である大使のことを、大使館の職員全員がSirとかAmbassadorと呼び、直立不動の姿勢で接していた時代から、今やファーストネームで呼び合うタメ口の民主的な時代になったわけです。当然、タメ口しか知らない世代には、プロトコルの背景を持ちませんから、本来の在り方が判らないでしょう。かつてプロトコルで対応していた場面なのに、何も起こらない様子を見ていると、当方には配慮不足に見えてしまうことがあり、とても残念な気分になることもあります。年配のどなたかを招く時など、心を尽すのであれば、まず作法としてのプロトコルを、ある程度知るべきだと思います。とは、老婆心でしょうか。

駐仏英国公使も勤めたことのある、現駐日英国大使のティムさんは日本語だけでなくフランス語も話します。旧来からのプロトコルを弁えた英国大使が、彼で最後になってしまうことは無いとは思いますが、これからも英語(米語)優勢の時代が続く限り、要人のためのプロトコルが顧みられることは無いでしょう。むしろ、今や要人については、その安全を最優先する時代になってしまったことは皆様もご存知のとおりです。


Text&Photo by M.Kinoshita

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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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