2016.09.06

Little Tales of British Life EU離脱に直面した我々の実際について

2016年6月23日に行われた国民投票について語るのはとても困難です。結果を語るのは今さらでもあるし、離脱の手続きはこれから数年間掛かることでもあるので、普遍的な記述が出来ないのです。しかし、英国と人生を共にする当方の意見を所望される邦人の方が多いので、ちょいと頑張ってみました。極めて末端の現象から述べてみます。

まず、我が家の場合、EU離脱は経済紙の国際欄に載るような遠い国の出来事ではありませんでした。息子は外資系企業の在英法人に勤めていますので、英政府がEUのメリットを放棄すれば、同企業がロンドンから撤退する可能性が生じました。一方、公務員の多くは、①通常業務の他に②撤退業務と③英連邦の構築業務を行うことになります。②と③の業務を行うのですから、公務員を増員すれば、費用も相当掛かりますし、各種税金が上がるかもしれません。

20160906_main1 2015年3月からトラファルガー・スクウェアの第4の台座に建つ彫像Gift Horseは、芸術家のハンス・ハーケが経済学者アダム・スミスの言葉「神の見えざる手」に共鳴し、現代社会の見えないところで政治、経済、芸術などの世界には意外なつながりがあることをこの馬のスケルトンで婉曲的に示唆しています。世の中の出来事には必ず何等かの利益構造が絡み合っている。ということだそうです

EUのメンバーであるから、という理由で英国内に事務所を置いている外国企業は、EU離脱によってそのメリットが無くなると考えましたから、英国から撤退する可能性もあったわけです。そうなると、企業を解雇された人たちは増員される公務員を目指すということにもなり兼ねないと噂しました。また、当方のような移住者たちは英国政府からのデメリットを受けないにしても、何らかの困難を強いられるのではないかと不安を感じていました。英国民との信頼関係を築いて来た筈の移住民たちにも混乱が生じ、社会秩序にも影響すると分析されました。我が家を借りてくれている店子も東欧系の人たちなので、彼ら家族と在英のその親類たちがどうなってしまうのか、同時に大家である我々との関係もどうなってしまうのか、何の予想もつきませんでした。実際、現段階(2016年秋)で、以上に述べた不安定要因はまだ残ったままであって、全く解消したわけではありません。ともあれ、英国人や英国を拠点にする人々には、人生や生活に関わる重大事と受け取ったのです。

直接英国に関わりのない日本の皆さまにしてみれば、現段階では対岸の火事にも思えるかもしれません。英国を二分した国民投票の結果は英国人の質実剛健の成果だとか、大胆とも思える決断を下せるイギリス人は凄いとか、投票後の英国全体を肯定的に捉える意見もよく聞きますが、当事者としてはかなりの温度差を感じる意見でした。しかし、英国民も日本国民と同じようにどんどん変化していくところもあるのです。あの国民投票がもたらしたものとは、決断ではなく、単なる多数決ですが、国民の意見を分割するほど変わろうとしている英国人たちも多いということです。

20160906_main2 左は政治家の集まるところ、右は官僚が働くところ。役割分担を示す標識ではありませんが、なぜかいつもこの場所で立ち止まってしまいます

英国のEU離脱が合理的な選択であるとか、株式市場には正しい判断であるという後付の理論も巷では支持されつつあるようですが、EU離脱に至った結果は、新たなる「数の暴力」と言う人もいます。大差が付かないと判っていながら、なぜ決戦投票形式などの複数回投票にしなかったのか?投票のチャンスを複数回にすれば、国民に再考や熟考を促すことも出来た筈です。また、なぜ、そんな大事なことを一般人の判断に任せるのか?さらに、大学の授業料の大幅値上げを国民投票で決めなかったのに、EU問題では、なぜ議会制民主主義を機能させないのか? 前首相のミスリードに拠る矛盾に満ちた国民投票でした。おまけに、離脱派でさえ、誰も「離脱」になるとは予期していなかったばかりか、離脱するための①準備や②シナリオや③必要経費は、どちらの派でも何も考えていなかったわけです。おそらく離脱派の人たちはリスボン条約(EU離脱のための手続き)の存在さえも知らなかったことがテレビのインタビューで世間に晒されていました。「英国の独立記念日だ」と勝利宣言した代表や、メイ首相内閣で最初に外務大臣になった人物などは、離脱のススメ方についてまったく無策であったことと、リーダーシップが欠落していることが投票直後に明らかにされています。もちろん、同じことは当時の与党のリーダーにも言えることです。だから、すぐに首相官邸ダウニング10を去らざるを得なかったのです。

20160906_main3 国民投票直後に現在のロンドン市長サディク・カーン氏がEUに対して次のような趣旨の宣言をしました。「City of LondonはEUから離脱しない。それは国民投票の結果でもある」その宣言に対して、EU側は「United Kingdomとして発言して欲しい。地方政府や分裂した国家との交渉には応じられない」という趣旨のコメントを残しました。City of Londonとは、元来がイングランドとは異なる国家であることを再認識させられる宣言でした。カーン氏の宣言は、個人的には痛快でした

もう一度国民投票をすれば、EU残留に翻る可能性もありますが、もしそうすれば、さらに混乱を招くだけです。「EUと交渉した結果、離脱すると英国が大きな損害を被る、あるいは離脱が許されなかった」という顛末になったとしても、国民投票に法的拘束力は無いと言って、投票結果を無視しても、英国民は政治不信に陥ります。政治家は今回の国民投票の結果を受けとめ、離脱の手続きを進めるしかないのです。したがって、メイ政権はこれから国民投票の結果に従った交渉と手続きをすることになります。

「一国の利益を追及する構造」を最優先し、英連邦政府の経済体制を構築することで、EU体制内に在ったときよりも英国経済が安定するという理論を支持し、推進するというチョイスが出来たことで、それを実際にやってみたいと考える英国人たちも徐々に出てきています。その理論を目的化せざるを得ないというネガティブな状況から、もしかしたら、EUに依存しない社会構造が英国には作れるかもしれないというポジティブな動きも出てきています。 

20160906_main4 このGreatの本来の意味はまさに「大きい」ことですが、同時に統合されて強くなった地域全体を示します。投票結果直後、多くの残留派は「Great Britainからlittle englandへようこそ」と、その終焉を案じました

その一方で、気を付けなければならないこともあります。考え方によってはEU離脱とは1933年に日本が国際連盟から離脱して独自の共栄圏を作ろうとした状況にイメージと被さります。日帝は自国の政策を強行に推し進めて太平洋戦争にまで至っています。さて、将来の英国だけの利益を求める構造の中に、どれだけその歴史の反省が反映されるのでしょうか?各国が共有や共存を無視し、我がままを押し通した時代から、我々が学んだことがちゃんと反映されることを期待したいと思います。

各国との利害関係の交渉で先頭に立つのは英国外務省です。外交官に求められるのは知識以上に、知性と人柄と応用力です。知識は専門家に頼れば良いことです。専門知識からベストの政策をチョイスして、国民を納得させるのが政治家の役割であり、国民が納得する行政を行うのが英国の官僚です。外交を担当する官僚は様々な知識の運用をして、EUだけでなく、現在英国に利益をもたらしている各国との交渉を進めて行くのです。

20160906_main5 2016年8月5日、この組織UKTIは消滅しました

既に離脱への青写真は出来あがっているようですが、実際の運用がどうなるかは、実行してみなければ判りません。EU残留派の国々(スコットランドや北アイルランド)がUKから独立すれば、little England(小さくなったイングランド:当方の造語です。お気に障ったら失礼)と英連邦諸国として国家運営をするための新たなシナリオが必要になります。ウェールズ国も黙っていないでしょうし、世界中に散らばる英連邦諸国もイングランドに付いて来てくれるかどうか判りません。なぜなら、連邦諸国の多くはスコットランドとの関わりも強いからです。つまり、EU離脱とはUKの崩壊を示唆、または現実化してしまう可能性をいまだに含んでいるのです。

20160906_main6 UKTIに替わって、登場した組織名がこちらのDepartment for International Trade。日本で言えば、経済産業省に相当します。UKTIとしてUK色を前面に押し出していましたが、EU離脱のために組織名を替え、これから組織自体の変更、改編を進めて行くそうです

EU離脱投票の直前直後、当方は英国に居たので、ケント州のキリスト教会でご年配の英国人たちと紅茶を飲みながら話す機会がありました。彼らの殆どが保守党支持者の離脱派でした。彼らと議論していて、EUの前身ヨーロッパ共同体が戦争の抑止力として発足したことを忘れている68歳以上の方々が多かったことが印象的でした。そして、日本が1933年に国際連盟を離脱すると、その時代の国同士のエゴとエゴとのぶつかり合いに抑止力が失われて世界戦争に巻き込まれていく過程を伝えると、皆さん不機嫌な顔つきをされ、しばらく黙ってから、「ECがEUになってからの変化が我々にメリットをもたらさなかったのだ」と主張する人が出始めました。そして、「あなた方より若い英国人たちは離脱を望んでいませんでしたよね」と当方が切り返すと、「若者は判っていないだけだ」と反論されたので、「でも、これからの時代を作るのはあなた方ではなく、彼らなのですよ。なぜ未来への判断があなた方と彼らでは異なるんですか?」と質問すると、今度は誰も何も応えられませんでした。第二次世界大戦と揺り籠から墓場までの福祉政策との両方(地獄と天国?)に浴した世代と、これからの平均余命が50年以上ある若者とでは、国際社会で自分の国の置かれた立場に対する認識が大きく異なることが浮き彫りにされています。

20160906_main7 EU残留を呼びかける投票前に配られたチラシ。労働者の権利はどちらの派でも守られるという主張が成されていましたが、離脱派の主張には具体性が乏しく、根拠が不明瞭でした。ある意味、理想主義的だったとも言えます

EUを離脱しても、英国はなんとかツジツマを付けてKingdomを維持しながら、今後も世界から注目される存在として生き残ることも考えられます。しかし、もはや棲み易い国など…、いえいえ、元々棲み易い国などどこにも無いのですね。

20160906_main8 故ダイアナ妃が王室に入る前に働いていた幼稚園も投票所として利用されていました

かつてサッチャー政権の末期、当方は「ポールタックス」(人頭税)を支払いました。二重課税にも思えましたし、一見公正そうですけど矛盾の多い税制でした。そして、強引過ぎるサッチャー首相は内閣の中で浮いてしまい、政権をはく奪され、後継の大臣に次がれると、ポールタックスも1993年には無くなりました。矛盾した政策でも強気で推し進めれば、なんとかなってしまうというやり方はもはや過去の政治手法です。今後は民意が反映されるけれども、決定力の弱い国民国家、結束力の弱い国家間関係の時代になっていくのかもしれません。

20160906_main9 ウィンストン・チャーチルは総理大臣を二期務めていますが、戦後の総選挙でアトリー労働党内閣に大敗します。アトリーが進めた社会福祉政策によって英国は「ゆりかごから墓場まで」の社会保障を受けられる国として有名になりました。アトリー内閣の後を受けた第二次チャーチル内閣はこの社会福祉政策を否定せずに受け継いだために現在も当時とほぼ同じ社会福祉政策が続いていますが、今後の見通しはなんとも言えません。医療政策は日本の方が進歩していると思います

以上、いつにも増して長くなりましたが、英国を拠点とする者として、出来るだけ当たり障りのないように認(したた)めたつもりです。認識も読者の皆さまとは異なるかもしれませんし、当方の考えもこれから変わって行くかもしれません。また、違ったアイディアが浮かんでくるかもしれません。ただ、英国も日本と同様に、当方には大切な国ですので、及ばずながら全知全英を尽して、我が子らの棲み易い社会にしてあげたいと思うばかりです。皆さまにあっては、BRITISH MADEの製品に接しながら、この記事を思い出し、将来の英国を想って頂ければ幸いです。

Text&Photo by M.Kinoshita

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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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