2016.11.01

Little Tales of British Life vol.56 「外国語が上手くならない人々」ーイギリス人と他言語ー

当方の妻は英日独の3か国語は仕事が出来る以上のレベルで、フランス語と韓国語がある程度話せます。娘も英中日とドイツ語の4か国語。息子も英仏日の3か国語。社会人の彼らも語学を要する仕事に就いています。当方は日英の2か国語しか出来ませんが、サバイバルレベルのフランス語と韓国語はなんとかなりますし、ネイティブではありませんが秋田弁が判るんてがっ。笑

しかしながら、実のところ、2007年からスイス、日本、そして韓国と渡り歩き10年近く英国を離れていて、年に二、三度の割合で英国に戻るたびに、在英する息子に言われてしまいます。「お父さん、英語の発音が日本人みたいだよ」しかし、英国で1週間も経つと、息子は当方の話す英語を聞きながら、「うんうん、1週間でよくリカバリした」と、偉そうに頷いています。

20161101_mac_01 スペイン・フランスの連合艦隊を破った1805年のトラファルガーの闘いとは、世界全体の制海権を変えた歴史上の最後の一戦とも言われます。覇権国家をフランスから英国に換えただけでなく、その後の国際会議などでのイニシアチブを主張するための言語まで、徐々にフランス語から英語へと換えてしまいました

また、英国人の義理家族(義両親、義兄の家族、そしてその親類)は英語以外の言語をほとんど話せません。英国の学校でフランス語やスペイン語を教わっても数年で忘れてしまう。いわゆる日本人の英語と同じです。義理の叔父(という言い方があるのかどうか判りませんが)は再婚相手がロマンド・スイス人でしたので、フランス語を話すべきですが、夫婦の会話は英語、子供たちとの会話は英仏交えたEng-renchを使っているそうです。因みに、ドイツ語圏のスイス人は英語で気軽に接してくれますが、フランス語圏のスイス人は英語がどんなに堪能な人でもあまり英語では対応してくれません。フランス語圏に来たのだからフランス語を話せと言うヒトに住んでいた3年間に何人か出くわしました。

ところで、今夏は義父の80歳の誕生を祝うために英国の内外から親類一同50余名が集まりました。親類との全体写真を撮ると、東洋人の顔をしているのは当方だけです。我が子らが一緒に居るので、多少混血感が認められても彼らは英国人の中に同化しています。当方だけが美しさとは無関係な異彩を放って目立っていますが、英国文化にどっぷり漬かった義父の家族が扇の要のように、この親類全体の中心にありますので、当然のことながら英語が家族言語です。

20161101_mac_02 その文化的な覇権を決定づけたのが、1815年のウォータールーワーテルロー)の戦いでした。勝利を祈念するウェリントン・アーチ

この小さな集まりの中でも、少し例外があります。エンジニアをしている義理の従兄弟たちの数名は海外勤務経験者で、現地語を少し話せたりします。いわゆる職業ジャーゴン専門用語)は世界で共通しているので、その言葉を使った仕事上のコミュニケーションは充分に可能だと言うのです。

従兄弟たちの言うところは、商社やゼネコンでも勤務経験がある当方にも覚えがあります。中国本土や東南アジアの現場では、現地採用の人々と当時の会社の職員たちが現地語と英語とジャーゴンでコミュニケーションを取りながら、仕事を完璧にこなしている姿と状況に感動したこともあります。言葉の熟練も大切ですが、コミュニケーションとは相手を思い遣る心の熟練の成果ではないかと思われる経験をいくつもしました。

20161101_mac_03 従軍する兵士の安全を考慮して現代のゴム長靴の原型を発想した人物、ウェリントン侯、アーサー・ウェルズリー公の像はバッキンガム宮殿のすぐ隣。因みに「元祖ゴム長侯爵」と呼ぶのは当方だけです。

さて、英国人と日本人は同じ島国の民族と言っても、言語の状況は大きく異なります。ご存知のように大英帝国は植民地政策で現地の文化を圧倒してしまい、今日の英連邦に至っています。大航海時代は15世紀から始まり、ポルトガルやスペインやフランスも植民政策を行いました。近代になって日本も隣国に対して類似政策を断行して、途中で挫折したという痛い歴史を背負っていますが、既に民主主義という概念が知識層に広まっていた隣国では、時代遅れの無謀な方法と言わざるを得ない政策でした。そして、日本は日本語という枠の中に納まり、戦後も含んだ長い期間、ITでコミュニケーションスタイルが変わるまで文化的な面でも孤立を続けて来たわけです。日本の政治家が問題発言をしても、あまり注目されない理由として、日本語が世界から孤立した言語であるからという説もあります。

その一方で、英語は誰にでも理解可能なので、その発言はどの国から発信されても注目を浴びやすいのです。ざっくりした統計ですが、世界の人口53億のうち英語を母国語とする人口は4億程度です。英語を公用語・準公用語とする国は54か国で人口は21億、つまり、世界の半分が英語を理解するわけです。日本語の場合は母国語も公用語も1億3千万弱。フランス語を母国語にする人々は7千万強ですが、公用語として使う人口は1億3千万にも及びます。因みに公用語使用者の中には母国語使用者の数が含まれています。

英仏を比較しても、規模はどうあれ、植民地政策の影響の大きさが判ると思います。特に英語圏の活動が注目されやすい背景が、英語そのものの存在感であり、英語文化の拡大の歴史でもあるということです。

20161101_mac_04 ウェールズ国に入った途端、標識は英語とウェールズ語との2言語になります。純粋なケルト系でもないけれど、精悍なアングロ・サクソンよりも柔和に見える面立ちに、個人的には親近感が湧くのですが、皆さまはどう思われるでしょうか

どこの国に行っても、誰もが英語で話してくれるから、ということで英国人は外国語を学ぶことに熱心ではありません。その代りに英語での言い回しは、英国ならではの発展と展開を見せていることは以前にも述べた通りです。
http://www.british-made.jp/stories/lifestyle/20160601007149

ところで、周囲を3つから8つの国に囲まれるヨーロッパ諸国では5か国語を話す人が普通に居ます。我が子らも学生時代に両親の棲むスイスに来て、同じ年令の子供たちが5か国語以上を普通に話せる光景を見て劣等感を覚えていました。

20161101_mac_05 混血の子供たちはアイデンティティ・クライシスに陥ることも少なくありません。母国でも父国でもどちらでもいいのですが、思考の基礎となる言語をしっかり教育してあげられることが親の出来る唯一の教育なのではないか、と子育てをしながら思いました

このような劣等感を英国政府は国家レベルの危機として自覚した経験があります。「第二次世界大戦や太平洋戦争は、何で起こっちゃったんだろうね」と、日本という国を理解出来ていなかった反省から、ロンドン大学のSchool of Oriental and African Studies略語はSOAS、東洋学及びアフリカ学研究所)に、JapanologyJapanese Study:日本学)が1941年に設立されています。語学の研究だけではなく、日本の歴史・文化・現象などを包括的に研究する機関です。

日英同盟が消滅した後の1930年には対日諜報活動の目的として、設立の機運は既にあったのですが、1941年時点からDulwich College18歳までの精鋭を集めたパブリックスクール、現大使Tim Hitchens氏の母校)の奨学生たちは、戦後処理のための外交要員として、SOASで語学の訓練を受け始めていたのです。

一方、日本人の英語レベルは世界的にも低いままと言われています。1990年頃のある統計では、世界の特定された50か国中、日本と韓国はそれぞれ43位と44位でした。30年以上経った今では、統計によっては韓国がトップ10に入ることもありますし、トーフルで比較すると世界160カ国のうち韓国が80位で、日本は135位です。韓国に居ると、この差は実感します。それでも、日本人は焦る必要など無いと思います。まず、母国語をちゃんと使えない人は、外国語を上手に話せるようにはなりませんので…。

20161101_mac_06 大学は出たけれど、就職してからも学んだ分野を活かせるとは限りませんね。

つまり、どんなに頑張っても今自分の使っている母国語レベル以上にはならないのです。また、現代までの英国では、英人が英文法をしっかり学んでいないことも外国語履修者の成果に影響しているという説もあります。母国語を文法で理解していないのですから、他国語を文法で理解するのが難しいことは無理からぬことです。何しろ、日本人の我々が学んできた英文法を最初に書籍として創り出したのは英国人ではなく、ドイツ人なのです。19世紀の豊かな大英帝国に移住したくて、英語を学ぶために英語の法則性を整理したのは几帳面なドイツ人であって、語学に怠慢な英国人ではなかったのです。もちろん、後年になって、英国人によって作られた立派な英文法書はたくさん出回るようになりましたが、結局のところ英文法書は外国人の英語学習に使われています。

20161101_mac_07 通称SOASと呼ばれるロンドン大学の東洋アフリカ研究学院。自国文化を学ぶためにロンドンまで留学する外国人学生も少なくありません。研究対象が広いのでしょうね。日本人の学士入学者が多いと言われる時期もありました。英国留学するなら、日本の大学を出てから、学士入学する方法もあります。費用は別問題ですね。

最後に、「語学はいつから始めたらイイですか?」と、よく聞かれるので、当方なりの応えを申し上げます。「25歳までに1年間ほど、その学びたい言語に集中して会話とコレスポンデンス(手紙)が出来るようになっていれば、その人は常識を備えた即戦力のビジネスマンとして働いていけるように見受けます」

この応えの理由は、多くの日本人を海外で採用してきた結果として気付いたことであって、統計的根拠はありません。他国語でのコミュニケーションとは、他言語と外国文化に触れ、自分の常識との整合性を測ることになるのですから、理解するにも理解されるにも背負ってきた母国文化が規準や基準になるのです。言い換えれば、他言語を熟練させていく後ろ盾になるものは、まず母国語でしっかりしたコミュニケーションができるように子供のうちから養っておくことではないか、ということです。言語の修得がイマイチでも、コミュケーションの上手な人を眺めていて共通しているスキルは、相手の気持ちを適確に察するということで、Emotional Intelligence心の知能)が豊かな人であるなあとつくづく思わされます。語学の専門家ではありませんが、英語を使って仕事と生活をして来た邦人の一意見として楽しんで頂ければ幸いです。

Text&Photo by M.Kinoshita

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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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