2017.02.07

Little Tales of British Life 「世界を縮めた国」 インフラを使いこなすプログラムを駆使した国民

名作「80日間世界一周」を書いたSF作家ジュール・ベルヌはフランス人なのに、なぜイギリスを舞台にし、貴族社会と紳士社会をモチーフに使ったのだろう? こんなことを疑問にしたのは、ロンドンに住み始めて間もない頃、Regent Streetの南側の300mほどの区間がLower Regent Streetと呼ばれた時分、赤い2階建てバスの車窓から紳士倶楽部のリフォーム倶楽部をぼんやりと眺めた時のことでした。高校時代に教わった世界史で17世紀以降の英仏間の骨肉の争いを学んだことと、現代に至っても幾分競い合う両国の関係性が、その疑問の片隅にあったと思います。

紳士倶楽部 伝統的な紳士倶楽部のことを、今日ではイギリス最悪の格差システムとも呼ぶ人もいるだけに、平等と公正を掲げる労働党党員が入会することは極めて稀です。女性もサッチャー元首相のような名誉会員に限るという倶楽部もありました。かつて、いくつかの紳士倶楽部の取材を試みたことがありますが、ほとんどがプライベート倶楽部なので…、という理由で取材は拒否されました。と、言いながら、当方自身は妻のお蔭で会員費用さえ払えば、いくつかの倶楽部に参加可能な有資格者であります。でも、そんなお金があればチャリティに寄付しようと思います。私事ながら、今や有名無実とも言える特権階級への仲間入りに興味はありません。

小学生だった1960年代は、空想科学小説として、子供用の書き下ろしを何度も読み返したり、イギリス人俳優ディヴィッド・ニーヴン主演の映画(1956年のアメリカ映画でしたが)を何度も観たりして、「あ、鎌倉の大仏だ」と喜んでいましたけど、年齢を重ねると新たな疑問も湧いて来るのですね。

1960年代はジェット機が旅客機としても一般化し始める時代でしたが、陸路と海路のみの交通機関で80日間だけで世界一周するなんて、当時でも不可能、いやギリギリ可能かもと思われたので、そのストーリー展開にはとてもワクワクと期待させられました。おまけに、段取りどおりに事は進まず、道中のもどかしいやり取りや予期せぬ障害のハプニングの連続に爪を噛むほどハラハラドキドキさせられるという側面は、後の映画インディジョーンズのアクションさながらに興奮させられるものでした。また、1870年代の段階で、一般的に実用可能な内燃機関はまだ蒸気しか無かったという時代背景は、子供でも充分に考慮に入れられたと記憶しています。

80日間世界一周の一場面。背の高い紳士が俳優デイヴィッド・ニーヴン。この俳優がイギリス紳士とイギリス貴族の印象を世界中に植え付けたのではないか、というのは当方の持論ですが、ご納得頂けると思います。

後年になって、フランス系スイス人が縁戚になったので、この小説の魅力を分かち合おうと話を切り出すと、彼女曰く。「あの小説はイギリス人をモチーフにしたから出来たのよ。フランス人ならば、議論が先に立つばかりで、誰も実行しないで本当の空想旅行に終わっちゃうわ。ベルヌにはその辺が判っていたのよ。イギリス人って、命を賭けてまで真剣に遊ぶ人たちでしょ。フランス人はそんな馬鹿げたことはしないのよ。あっははぁ⤴(ヒトを小馬鹿にしたようなフレンチアクセントの英語で語尾揚げ笑い)」もちろん、一つの意見に過ぎませんが、完全にイギリス人を見下していますね。自分のダンナさんはイギリス人なのに…。笑

その実、同書が出版された1872年と言うと、フランスは第三共和政の頃で、プロシアとの戦争後で、国家も国民も心身ともにかなり疲弊していた頃でもあります。フランス国民は「80日間世界一周」のような、ある意味イギリス人をコケにしながらも、痛快な物語を望んでいたのでしょう。一方のイギリスはビクトリア女王の治世時代であり、見方に拠っては政情も最も安定し、経済も拡張し続けた時代と言われています。同時に貴族には「やってられない」ほどの大きな負担、ノブリス・オブリージェが意識される傍ら、社会制度の変革が進められていたのです。官僚制度は外務省を除いて、世襲制から能力重視の試験採用制へと変わりつつありました。つまり、大英帝国は最大に裕福であった一方、貴族システムの限界と社会の転換期を迎えていたのです。

20170207_mac_001 バークシャーとバッキンガムシャーの境に位置するClivedenはナンシー・アスターというイギリス国会で史上初めて議席を得た女性議員の私邸であり、ビジネスと政治との融合を果たした成功者たちのたまり場でした。1920年代から第二次大戦まで、特権上流階級のグループCliveden Setがこの場に集まって会議や痴話話をしながら、世界情勢に大きな影響を与えました。彼らの前人たち(ビクトリア女王時代以前の企業家や政治家たち)が世界を縮めた結果、このような富豪が輩出してイギリスの政界を支配したということです。因みに、アメリカで財を成し、名誉(叙勲制度)を求めて祖先の故国イギリスに戻って来た前世紀最後のアメリカンレィディがアスター家だと揶揄する人たちもいます。現在のClivedenはNational Trustの管理下にありますが、ホテルとしても利用可能です。

この時期は貴族が自らの凋落を食い止めようと、資産を使って無理な投機が行われていたという時代背景をベルヌも判っていたのです。この旅行に賭け事のプロットが盛り込まれたのは当時の投機熱が背景になったと考えられます。主人公のフィリアス・フォッグ卿は架空の人物ですが、ロンドンに現存する紳士倶楽部のひとつ、リフォーム倶楽部のメンバーたちを相手に、全財産を賭けて自らが80日間で世界一周をするという状況を設定したわけです。社会のリフォーム(改革)を謳う倶楽部が、反社会的な賭けに興じるというのもイギリス人に文句を言わせないベルヌのユーモアです。

ナンシーアスター 政治家であれば当然のことですが、Nancy Astorの家はロンドンにもありました。
4 St James’s Square, Westminster, SW1

ベルヌはイギリス人のメンタリティ、特性、ビジネス感覚を理解していただけではありません。世界を凌駕していたイギリスの物流技術、組織力、そして情報収集力もよく理解していた上での「直観」力で創造された物語が「80日間世界一周」なのです。

一般的に、欧州諸国は植民地政策でがっぽり儲けたと思われているかもしれませんが、その政策を国家ぐるみで組織化し、巨万の富を収集できたのはイギリスだけなのです。世界を縮めた最初の要因は航路の短縮化と蒸気船です。イギリスは欧州最西端の辺境に位置したからこそ、世界との輸送距離を縮めることに全知全能を注ぎました。航路を開発するには天候や海図などバリエーションに富んだクオリティも重要です。一方で、輸送リスクを回避するためのシステムとして17世紀末、ロンドンのコーヒーハウスで生まれた海上保険も、この時代までには投機性の高い反面、ぼろもうけになる事業として発展していました。

コーヒーハウス かつてコーヒーハウスのひとつだったと言われるThe Shipは、現在ビール会社fuller`s傘下のチェーンを展開しているtied house(fuller’sなど特定企業のビールのみ販売するパブ)系のガストロパブとして営業中です。数年前には、店内にはかつてのコーヒーハウスのニオイを漂わせる海上保険に関わるリストなどが額に飾られていました。今はどうか判りませんが、必見の価値はあると思います。

スエズやパナマなどの運河の完成で、大陸回遊航路から大陸横断航路へと海上交通の労力を一挙に100分の一以下に縮めたのはイギリスだけの功績ではありませんが、運行時間を短縮した技術的、且つ物理的要因に加えて、情報収集とその有効利用をするためのプログラムを備えた金融組織を創り出して、安定的に儲かるシステムを維持したのはイギリスだけなのです。結局、その知恵とシステムが欧州諸国の大勢を凌駕することになり、ロンドンのシティとメイフェアには世界の富が集中したわけです。もちろん、情報システムや金融システムの全てがイギリスのオリジナルではありません。大航海時代の先駆を切った海洋国家のオランダに学んだことが大きいとされています。オランダも国家ぐるみで東インド会社を創ったのですが、イギリスの特色は関与する役割分担を広げ、軍と商業と金融とをタイアップさせて、国家が投資家たちを巻き込んで、逆に投資家たちが国を煽って、現代に至るビジネススタイルを確立したために世界に類を見ない繁栄がもたらされたと言えます。

20170207_mac_004 £30で厚さ5㎝のこの本には世界中からロンドンに集められた秘密(でもないと思いますが)の財宝が記録されています。クリスティやサザビーズでも値が付けられない国宝級ですが、個人所有元の所在地のほとんどがメイフェアかベルグレイヴィアになっています。

まだ日本が江戸時代であった1850年にはどの国にも先んじて国際間に電信用の海底ケーブルの敷設を開始し、情報の早期収拾と今日にも残る電信送金システム(T/T Remittance)で高速決済して信用のスピード化に成功したのです。

因みに、余談ですが、1923年のこと。日英同盟が破たんした最大の理由のひとつは、日本政府の国際間電信内容のすべてがイギリス政府によって傍受されていたからなのです。情報があれば、同盟を維持して生じる費用や義務などを負う必要などないという判断がイギリス議会で下されたから、ということです。このことはイギリスの公文書で一般に公開されている紛れもない事実です。今ではハッキングが問題になっていますが、20世期の始まりには通信セキュリティの問題が既に存在したのですね。

以上のことを既にご存知の読者の方もおられることは判っておりますが、当方は自分の目で、以上の事実をロンドンの公文書館で読み解いて来たものですから、引用を重ねる他の情報の成否以上に深みにはまって確かめて参りました。それにしても、紳士の国が国家ぐるみの電信傍受をするなど、イギリスを愛する方々には知りたくなかった事実かもしれませんね。

公文書 公文書館にある資料からは人事異動などで、その国で何が行われていたかということまでの推測が可能です。さらに、その時に起きた歴史事実が状況を固めて行きます。それから、公文書のやり取りで、その人物が何をしていたかという証拠を掴むと、誰が指導者(黒幕?)であるかということまで辿って行くことが可能です。ロジカルで時間の掛かる作業であり、且つ古本や古紙は埃っぽいので、目や喉をやられます。

その後、国益だけを中心に事を進めると、2つの世界大戦などエゴの衝突になってしまったことから、我々の祖先は学び、そして戦後に実行しています。経済統合とか、秘密のない同盟関係とか、いわゆるwinwinの関係を生み出すことに尽力してEUなどの共同体の発展へと繋がって来たわけです。さらに時代が進むと、逆転現象が起き始めました。これからの世界の変化を予言するような国家独尊のような事態が2016年になって再び生じたことも興味深いことです。

今日、インターネットでさらに縮まったと思われている世界ですが、その実、物理的な位置は「80日間世界一周」の頃とはなんら変わっていないわけです。我々はスクリーンでしか現地を知ることは出来ないし、既存の情報しか得られないのです。その地でのニオイ、風、実際の光、些細な音、触覚、その地に宿る人々の感情や雰囲気、そして微妙な変化などは実際に行ってみないと判らないことは、昔も今も変わっていないのですね。我々は世界を知った気になっているだけかもしれません。

地図 イギリス人が世界地図を変えた。良きにつけ、悪しきにつけ、そんな証拠を集めた書籍がたくさん出回っています。間宮林蔵以降の日本人や旧帝国陸海軍の作った地図も世界的に髙評価を受けています。地図の作成には直観力や洞察力の他にも、既成概念に捕らわれない科学的なアイディアや、3Dを二次元で表現する図形を導き出す創造力が求められるのですね 。

今回ベルヌを引き合いに出した本当の理由は、先日ロンドンの自然科学博物館で彼のこの言葉を見つけたからでした。「人間が想像できることは必ず実現できる」平和主義者・進歩主義者と言われたジュール・ベルヌが「80日間世界一周」を生み出したモテベーションにも聞こえます。同時に、1870年頃に可能になったその世界一周はグローバリズムの先駆けでもありました。2016年に至って、人心が反グローバリズムに向かう状況下で、想像できることが実現できることであるのならば、これから我々個人個人が何を想像すべきかが、必然的に決まってくるような気もしています。如何なものでしょうか?

ヴィンテージ 元来は噛みタバコ入れですが、現代に至ってシルバーボックスの用途は様々です。ロンドンだけでなく、地方都市の骨董屋に行けば、この種のヴィンテージものもたくさん見つかります。生前家族は全然知らなかったけど、亡くなったお父さんの遺品にフリーメイスンズのデザインされたものがたくさん見つかったこともあるとか。本当にフリーメイソナーであったかどうかは判らないままになってしまうことも少なくないようです。

「これから、どんな世界になるかは想像も出来ないけど、世界がどんなに変化しても生きていく自信はある」と、最近、子供たち(23歳と25歳)と語り合いました。その根拠はどこにもありませんが、「何かが正しいことを証明するには、正しさを共有する人たちと一緒に生き続けることにある」と思わざるを得ない世の中になったのだなと思います。2017年は年頭から考えることが多くなって来ました。

Text&Photo by M.Kinoshita

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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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