2017.05.02

Little Tales of British Life 「夢の国を目指した人々」-移民たちの挑戦-

イングランドの農閑期の光景の中でも、この20余年の間に忽然として見られなくなったのはGypsy(Irish Traveller, Romaも含む)の姿です。80年代にはまだ農地の片隅に隊列を組んだキャンピングカーや幌車が見られたものです。彼らは1000年も前にインドやいろいろな国々から混ざり合って欧州に渡って来たもののずっと定住をしなかったのに、現代に至って一体どこに行ってしまったのでしょうか?
20170502_mac_001 オクスフォードサーカスから北に向かう道筋の中でも、タイバーン川を暗渠にして造成された地域メリルボーンがあります。その一角にあるこの店Paul Rothe & Sonsは創業1900年以来ドイツ人移民家族によって代々引き継がれた店です。第二次世界大戦中は英国籍を取得した2代目の家族で悩みに悩んだ末、当時の長男は王室陸軍の志願兵として対ドイツ戦に参戦したとか。何の変哲もない小さな店舗ですが、彼らが開発した独自のコールドミートやプリザーブ、そして歴史の詰まった店です。2005年頃に取材した当時、ふさふさだった4代目若店長の頭髪が今や…、笑顔は変わっていませんでした。

イギリスでは昼間に第二次大戦前から1970年頃までに作られた(主に)イギリス映画をテレビ上映しています。高齢者用の懐かしきエンターテイメントかなあ、とぼんやり考えたことはありますが、そのうち理由を調べておきましょう。ともあれ、当方は物書きの仕事を本格的に始めたのが2003年頃で、英国文化紹介の記事を書く材料集めのために昼間はテレビを付けっ放しにしていました。ある日のこと、ふと聞こえて来たGypsyという言葉に反応し、画面の世界に吸い込まれるように観入ってしまいました。
20170502_mac_002 ロンドンの拙宅を借りている移民家族。彼らは東欧の人たちですが、まだ20代の若い奥さんは生活レベルの英会話と英語のコレスポンデンスも可能。ここで生まれ育つ子供たちは、きっと英語が主言語になっていくのでしょうけど、現代の移民たちは母国語の教育も決して怠りません。彼らも広義には家を借りて定住するGypsy、あるいはRomaと言えなくもありません。

1966年の映画「Gypsy Girl」は、当時17歳だった女優ヘイリー・ミルズと24歳だった男優イアン・マックシェインの両名が主役になったロマンスです。イギリスでは「Sky West and Crooked」というタイトルで上映されています。おそらく、Gypsyという言葉が差別用語にあたるという配慮が成されたのでしょう。当方も日本語で表記することは避けて、この記事での使用に関しては歴史的な専門用語としてご理解下されば幸いです。
20170502_mac_008 Gypsyの出て来る小説を読んだ時に、ホップ摘みの期間に、オーストハウスの中で一晩明かしたとか、愛を育んだという描写を読んだことがあります。でも、収穫中のこの建物の内部は咽返るようなホップ臭にまみれる筈ですので、描写にはちょいと無理があるかな、と。秘められた恋情を育む場所は大体狭苦しいところですが、実際に行ってみないとニオイまでは判りませんね。

ヘイリー・ミルズは定住民、イアン・マックシェインは移動民の役柄で、二人が恋心を育みながらも、当時の社会的状況の実際を説いた内容でもあります。エンディングには2種類あります。ミルズがマックシェインの馬車だか、トレーラーに乗って生まれ育った村を去り、Gypsyというマイノリティ社会に自ら飛び込んで行くという未来志向的な結末と、マックシェインがミルズに別れを告げることも無く、Gypsyキャンプが忽然と消えているという現状肯定的な結末です。
20170502_mac_006 農閑期になるとGypsyたちは、この景色の中に幌(馬)車ごと移動して来ましたが、ここ20年はまったく見掛けなくなりました。英国で生まれた彼らも、定住傾向にあります。しかし、定住しながらも自らをGypsyと呼ぶこともあります。

未来志向的な結末の方を最後まで見た時、「あ~、これは自分だなぁ」という軽い衝撃を受けました。日本に居れば、1億3千万人の圧倒的マジョリティの一部なのに、邦人としてイギリス社会に属することは完全にマイノリティなわけです。白いそうめん束の中に色つきの1本だけ混じるようなもので変に目立ちます。わざわざマイノリティの世界に飛び込もうというのは、「やってやろうじゃん」という若気の至りだったか、根拠の無い自信だったか…。
20170502_mac_003 スマトラ通りにアラブ系の女性。一体どこの国の画像であるか。イギリスに来たことが無ければ判らなくなるような光景のひとつです。病院帰りの彼女らは、出で立ちからして、居住権を本人が取得した世代でしょう。彼女らにイギリスで生まれた子供がいれば、属地主義の元、その子供たちはイギリス国籍を取得します。

社会的マイノリティとしての移民の生き方には、二通りあります。一つは当方のように現地社会に同化してしまうこと。もう一つは華僑やリトル・トーキョーの邦人のように民族同士、あるいは故国を伴にする者同士で集まって、独特のコミュニティの中で助け合って行くことです。小説「蒼茫」の時代に日本人がブラジルで助け合ったことと、現代になって群馬県で日系ブラジル人が集まっているのも、葛西でインド人コミュニティが発達していることもすべて同じコミュニティで助け合うことを是としているのですね。そのコミュニティに所属する人たちは互助関係と外圧に負けない政治力を培って行くので、子供たちの教育度も高まり、生活も向上していく傾向があります。

最初から現地社会に同化してしまい、自国民同士で集わない場合は、混血化が進む一方で、教育レベルも社会的なステイタスも現地と同化することになり、親たちが自国から持って来た文化は3世代を待たずに消滅してしまう傾向にあります。
20170502_mac_004 10年以上前に息子が所属したフットボールチーム。何か国の国籍がこの中に混じっているかは見ても判りませんね。ガーナ、ナミビア、コンゴ、南アフリカ、ロシア、中国、日本、そしてイギリス。全員に共通するのはイギリス国籍です。同リーグの中にはアサイラムシーカー(難民希望者)の子どもたちを寄せ集めたチームもありました。そのチームの監督は難民などの子供たちを保護することでイギリス政府から補助金を受け、しかもパスポートの無いその子供たちをプロ選手にしようと企んでいました。

社会の中で移民が同化するか、あるいは移民コミュニティとして異化するかという対極的な状況にならないのは、そのコミュニティ自体も緩やかに現地社会に融合して行くからです。しかし、Gypsyの場合は団体移動するので、地域社会に溶け込むことなく、英国のコモンズや農閑期の畑が生活の場になったわけですが、後発の移民が増えて来たことと、リンゴ摘みやホップ摘みのような期間労働が合理化されてくると収入も断たれるので、自己保全のためにもイギリス人社会に同化した方にアドバンテージがあると自らも考え、行政側によって移民から定住への指導を受けて減少に至ったとのことで、彼らはまだ存在しています。南イングランドの自治体にはまだGypsy担当部門が活動しています。
20170502_mac_005 イングランド南部のリンゴ摘みの季節、Gypsyは労働力として活躍しました。定住者との主なトラブルは恋愛問題だったと語るイギリス人のお婆さんに会ったことがあります。互いに「それぞれの社会に所属すべき」という固定観念が強く残る時代だったのです。当方も日本人女性が外国人男性と容易にカップルになるに現象に違和感を覚えたことがありますので、その時代の人々の考え方は理解できます。などと、英人妻を娶った日本人男子の意見としては矛盾しているでしょうか。笑

さて、イギリスへの移民にはGipsy, Irish Traveller そしてRomaなどの他にいくつかの歴史的段階があります。ユグノーと呼ばれる宗教移民が16世紀にフランスからロンドンのあちこちに移り住んで来ました。フラワーマーケットで有名なコロンビア・ストリートの住民はユグノーのシンジケート(利益団体)でした。花を扱うことで、専門性と安心感を持った組織として先住者との同化を担保することになったのです。
20170502_mac_010 フラワーマーケットのあるコロンビア通り近辺は宗教改革後のユグノーなど宗教移民の結束力の強い街でした。花の技術に特化した彼らは移り住んだところでも、その技術を最大限に活かして生計を立ててきました。

その他の時代には、飢饉の貧困によるアイルランドからの移民(Travellerになった人々も多数)、産業革命後やヴィクトリア時代の黄金期にドイツなどの大陸からは、一旗揚げようとロンドンに移り棲む人々が続いたという現象も起きています。

植民地からの移民という現象も起こりました。1970年頃まで主流だったインドなどの英連邦諸国から来た彼らは医師や弁護士などのインテリ層で上級カーストだったり、インドでは有名なクリケット選手だったりしても、イギリスではその社会的地位はまったく評価されず、ビルの掃除夫や雑役夫などをして家計を支え、子供たちの教育に投資しました。80~90年代に皆さんが見かけたであろうヒースロー空港で働くインド人掃除夫たちが、彼らそのものなのであります。
20170502_mac_007 公共の掃除は、かつて労働移民の仕事でした。しかし、清掃人がその仕事にプライドを持てるような評価が成される方向へと、イギリス社会が成熟することはなかったのですね。清潔さは景観を映えさせる効果があるだけに、環境団体の設ける文化的な尺度としても利用されています。快適なレベルを上げてくれる意味で、清掃はとても貴い仕事だと思うのですが…。

現代に至って、彼らの子孫の多くが、医療関係者、法曹関係者、企業経営者などの職に就いています。そして、一軒の大邸宅には5世代や親類が集って暮らしています。互助組織を作り、家族で一致団結したインド人社会はイギリスで成功し、子孫はイギリス人として社会的に認知されています。在イギリスのインド人社会の現実は2002年の映画「ベッカムに恋して」で軽く触れられています。キエラ・ナイトレイの美貌に見とれるばかりではなく、社会的背景にもしっかりご留意ください。

さらに例えを挙げると、戦後の復興期には、カリブ海辺りから来た人たちは労働移民としてその数を増やして行きました。労働内容は荷役や土木などの重労働の他、交通や輸送に関わるものです。特に運輸関係では後年に問題を残しました。イギリスやアメリカのバス、鉄道などの交通機関のサービスが先進国の中でも著しく不評なのは、この時代から運輸業のサービス面を軽視したことに拠るものだという説もあるのです。日本では教育度の高い鉄道マニアたちが一般職員として働いていますので、高度な輸送サービスが提供されていますが、労働力を移民に頼った国の運輸機関、特に鉄道のサービスに難を残す理由は充分に教育された労働力が不足してしまったことが現代にまで影響しているという説もあります。残された問題点はともあれ、労働移民の彼らもカリブ人共生社会を創り出し、教育度を徐々に上げています。子供たちのフットボール画像に写る三名の黒人はオクス・ブリッジとソルボンヌに進学しています。
20170502_mac_011 移民のもたらした最大の恩恵のひとつがエスニックフード。80年代~90年代半ばまで、トテナムコートロードの北西部の一画Charlotte Streetにはギリシア料理店が林立していました。名店も多かったのですが、現在に至って当時の店は完全に消えてしまい、新進のお洒落で多国籍なレストランが列を組んでいます。移民の集まる地域は必ずしも一定の場所に止まるわけではないのですね。世代交替による現地化が進み、親の仕事を継がなかったために、かつてのギリシア料理店は店じまいに迫られたようです。画像はレバノン料理

以上述べて来たことをざっくりまとめますと、豊かな土地を求めた移民、宗教(思想)移民、ヴィクトリア時代の黄金期に憧れて来た白人移民、旧植民地からの英語を話す有色人手の移民、そして現代になってからは英語を母国語としない白人の移民という具合で、イギリスの民族史と言えば、移民の歴史になってしまうわけです。ゲルマン民族の移動まで遡ると、この記事では扱えなくなるほど、もうなにがなにやら判らなくなります。現在のイギリス王室でさえ、もともとは武力を携えて来たノルマン移民の末裔なわけですから…。

アングロ・サクソンという民族自体も移民同士の混血を表しています。ブリテン島の先住民のケルト人は、アングロ・サクソンの支配が及ばなかったウェールズにはいまだに多く残存していますが、イングランドのケルト人もアングロ・サクソンと同化していると言えます。移民と先住民との軋轢、つまり移民問題は同化が進む前に起こる問題です。元来、人類の誰もが元々は移民なのに、後から来た人たちを移民とする理由は、先に住み始めた者たちの間で既に共有しているパイの大きさが決まっているから。食い扶持が減るから。ということは、どなたもお判りのことと思います。
20170502_mac_009 最も目立つ移民と言えば、どこの国のどこの街にも中華街を作ってしまう彼らでしょう。彼らの作る街の文化は日本からは、遠からず、近からず、とにかく在外邦人には便利な街です。

かつてGypsyたちが使ってきた道は、当方の大好物なローマ街道です。古くは徒歩移動、やがて幌付き荷車と馬車での移動、やがて時代が進んでキャンピングカーをディーゼル車で牽引する姿へと替わって行きました。現代に及んで、あえて住所不定の生活を楽しむ人たちも現れています。友人や家族とはネットで繋がり、定年後の気楽な生活をキャネルボート(ナローボート)で楽しんでいる様子は少し羨ましく思えます。定住を好まず、狩猟採集生活に回帰するような彼らの行動を眺めていると、移民の意味が判らなくなってしまうのは当方だけでしょうか。むしろ、なぜ我々は定住を好むのか?歴史上、且つ文化人類学上、人類最大の謎と言われる「定住の理由」とは、人類生存の本質に触れる現象であり、移民問題を解決するヒントがその理由の中に隠されている。…のかもしれません。
20170502_mac_012 犬の散歩に合わせて移住生活するナローボート。船のオーナーに「ウナギの寝床」という言葉を教えてあげました。この生活様式で一番の問題は水利の衛生とトイレだそうです。あまり考えたくないですね。

Text&Photo by M.Kinoshita

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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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