2018.12.04

Little Tales of British Life 牧歌的ノーサンバランド紀行 その3 アンブルからシーハウシズまで北上 ー庶民のニシンと貴族のビジネス感覚ー

自然美や景観美の中に自らを埋没させること。それが今回の旅の目的でした。イギリスに住んでいれば、ロンドンの近郊であっても周囲を歩くだけで、その目的は簡単に果たせますが、ノーサンバランドでは、見たこともなければ、知ることも無かった意外なイギリスの姿があちこちに出現するので、目的以上に新鮮な経験を味わう機会にもなりました。

港街アンブルを4泊5日間の拠点として訪れた場所は、前回に述べた貴族の駅舎を改造したヨーロッパ最大の古本屋Barter Booksを始めとし、コーケット島、ハリー・ポターのロケ地アニック城、アールグレイ伯のHowick Hall、そして例によって名も無く美しいハイキングコースです。まず、コーケット島から述べて参りましょう。

貴族が所有する島

コーケット島という名称で知られる島は、オーストラリアのグレートバリアリーフにもあります。もちろん、オーストラリアのコーケット島はノーサンバランドのコーケット島をその由来としています。ノーサンバランドからオーストラリアに移住した者による命名説が説かれている資料もありました。サンゴ礁の上に構成された標高の低い砂島(キー、Cay or Key)には、かつて建築された鉄塔がナビゲーションの役割を果たしていたということです。一方、ノーサンバランドのコーケット島もナビゲーションとしての灯台が設けられていますが、例によって既得権確保のいいとこ取りに成功した貴族ノーサンバランド公の所有地であり、トリニティ・ハウス(イギリス王室認可統治下の機関)の管轄下なので、気象観測や鳥獣保護のため、目的別の特別な許可を得た公職者や非政府組織などの専門性を持った団体職員以外が近づけるところではありません。

観光者は遠巻きにして海上の遊覧船から遠めに眺めるだけで、上陸が一切許されないのです。愛嬌のある表情をしたパフィンを始めとする鳥類、アザラシなどが悠々自適に暮らしています。周囲の岩礁の合間にはその餌となるロブスターやカニが多く生息しているそうで、素潜り漁や素潜りの実体験ツアーも行われていました。前回「その2」の記事画像で示したように、夏休み中のティーンの子どもたちがウェットスーツを着てアンブルの港でツアーの出航を待つ姿を毎日のように見かけました。

ここで印象的だったことは、プロフェッショナルのダイバーは、年配者でも肉体が引き締まっていること。かなり厳しい仕事なので、太る暇がないとか。ちょっとしたことであっさりと命を失うほどの海の危険と隣り合わせの仕事だから、日ごろから心身ともに鍛えられているのだそうです。

ノーサンバランドのソーラン節

地元の漁業が活況を呈していた70年以上前の白黒画像を眺めると、取れたての大量の魚を荷下ろしし、加工し、運搬し、勤勉に働く引き締まった人々の姿は壮観です。漁師でだけでなく加工場が港周辺に林立するほど北海は豊かな漁場(だったの)です。中でも、19世紀の北海のニシン漁は、日本の北海道のニシン漁に先んじて豊漁でした。ユーラシア大陸を隔てて、日本でも昭和の初め頃まではニシン御殿が建つなど、ニシンの自然な供給に依存したまま豊漁の時代に需要は広がって行きました。ところが、漁獲制限やサステナビリティなどの発想がない時代でしたから、乱獲のためにニシン漁は衰退してしまい、現在でも漁獲資源としての回復の見通しは立っていません。北海でも日本でも、ニシンの漁獲量は南からどんどん減少し、北海道で現在のソーラン節が歌われていた昭和初期(諸説あります)になっても、「ニシン漁は毎年安定しているわけではないけど、いつか戻って来るだろう」と、誰もが根拠のない見通しを持ち続けるだけの無策ゆえに、資源としてのニシンが枯渇し、カズノコが高級品になったわけです。一方で、19世紀から行われたノルウェーなど北欧各国による漁獲制限が、北海の漁業全体にようやく影響したためかどうか、近年になってイギリス沿岸のニシンの漁獲高も徐々に戻って来ているとのことです。
画像の推定年は1930年代。「名高いクラスター(地方)のキッパーを扱う」と書かれています。Herring lassie(herring ladies:ニシン婦人)と呼ばれるほど、老いも若きも女性たちが積極的にこの仕事に取り組むほど活気ある産業だったのですね。

ところで、ニシン漁によって豊かさを懐かしむ歌は日本のソーラン節だけではありませんでした。

The Herring by Folly Bridge(英文)
https://mainlynorfolk.info/cyril.tawney/songs/theherringshead.html

食べる部分だけでなく、骨やヒレまでがピンや針の代用になるなど生活の中で余すところなく利用されるべき魚、ニシン礼賛が歌詞の内容です。歌詞には韻が多用されていて、事実とジョーク(駄洒落)とがごちゃまぜになった楽しい民謡です。

ソーラン節のように景気が良くて、威勢の良い歌ではありませんが、この歌に当方が魅入られたのにはいくつか理由があります。この歌が比較的新しいものであること、ニシンの祖先から伝承されたニシンの有難みをモチーフとしていること、作詞者が子供の頃に経験した静かな感動が含まれていることなど、地元民に根差した心根から湧いて出て来たフォークソングであるからです。是非、一度お聞きください。キッパーの名店L Robson & Sonsで食事をした後、すぐ近くのパブでスコッチウィスキーをすすっている時に気づいたのは壁に掛かった画像です。逞しい漁師や、楽しそうにニシンを加工する女性の漁民たち、70年以上前の姿を壁に掛かった古い画像を見つめているときに、ふと流れて来た曲でした。8月というのに、炊かれた暖炉からは漁村らしい燻製の香りが漂い、まさに非日常の心地よさに囲まれていました。

L Robson & Sons
http://www.kipper.co.uk/shop/
燻製ニシン、キッパーの名店。車で街に近づくと、徐々に燻製の香りが強くなります。燻製工場の周辺には温燻のケムリと香りが漂って、ニシンの街であることを主張しています。
燻蒸室から出て来たばかりの至高のキッパー。燻蒸された適度なクリスピー感の表面が舌に触れるだけで幸福感が広がります。ほろほろと崩れる身からは表面とは異なったニシンのうま味と、優しい香りが口の中に広がります。「ああ、白ご飯と大根おろしが…」もちろん、コールスローサラダと一緒に、コッペパンや全粒粉のパンで挟む組み合わせも最高です。

どこでもホグワーツ

非日常と言えば、こうした多くの庶民の営みに支えられながら生活する人々、すなわち、毎日が非日常の生活を営む(と当方がイメージする)貴族の実態も少し気になりました。当方自身の友人たちの中には貴族の末裔こそ数名いるものの、普段は縁のない世界ですから、たまに彼らの大邸宅に招かれたとしてもむしろ疎外感を覚えます。ところが、ノーサンバランドに来てふと思いました。「なぜこんな不毛の地を拠点とするノーサンバランド公が栄え、アールグレイ伯が紅茶ごときで有名になったのか?」 読者の皆さまにあっては、既にご周知の方もいらっしゃるでしょうから、以下ざっくりと述べてみます。
真ん中の肖像画は第二代アールグレイ伯のチャールズ卿。この人物がイギリスの首相としてリーダーシップを執った時代もありました。ロンドンの社交界で自前のブレンド紅茶(アールグレイ茶)を振る舞った奥方の肖像も両脇に。

イングランドでも第二の規模を誇るアニック城は、映画ハリー・ポターのロケ地となったことは有名です。ノーサンバランド公爵家のパーシー家は、14世紀の英雄ヘンリー・ホットスパー・パーシー(ロンドンのフットボールチーム、トテナムホットスパーの由来となった騎士)以前から、スコットランドとの国境防備の役割を担っていただけでなく、従来から中央政府との関りやビジネスに長けていて、その長い歴史の中でも財政難や没落貴族とは縁遠い裕福な貴族ファミリーとして知られています。また、時代に即した地方徴税制度、日本の商社のように既得権を確保する巧みさ、中央での役割(国政参加、トレーディング、賭け事の元締めなど)、ロンドンと地元での不動産収入、産業への関与(運河などのインフラ整備をして、その費用を企業から回収する等々)、農業作物の品種改良、国内外で暗躍するボタニストに投資して新種の薬草、お茶、花卉(かき)類の開発など、時代に応じた立ち位置を確保して来た戦略的なビジネス貴族であることが、村や町を通り過ぎるときに目にする歴史標識を読んだだけでも伝わってきます。

ところで、映画ハリー・ポターの寄宿学校ホグワーツ城として採用されるには条件があります。古くても現在もなお使用中で、巨大且つ荘厳な外観であることがロケ地として相応しいのです。もちろん、例によって当方の個人的な意見ですが、これまでに登場したホグワーツのひとつとして最も美しく、清潔且つ壮麗な城がアニックであり、その所有者がノーサンバランド公のパーシー家だったことは、アニック城を目の前にして、ロケ地となったその必然性が感じられました。
グレイ伯のHowick Hall 庭園と植物園には、植物学の成果があちこちに見られます。

さて、ノーサンバランドの域内には、硬水でも美味しく飲める紅茶のブレンドで高名になった貴族アールグレイ伯もHowickに居を構えていました。チャールズ・グレイ伯がイギリスの首相になる以前、中央の政治家として活躍した時代には、その奥方がロンドンの社交界で振る舞った紅茶が評判を呼び、やがてアールグレイ・ティと呼ばれようになったという説もあります。しかし、その製法について、特許はおろか商標登録もしていなかったので、名だたる紅茶会社がアールグレイを名乗った紅茶を販売しても、アールグレイ伯がロイヤルティを受けることは一切なかったという説明書きがティールームEarl Grey Tea Houseや地元の小誌に紹介されていました。北に行けば行くほどイングランド人がお人よしに、且つスコットランド人のように親しみやすく感じられてくるような気がしていたのですが、時の領主でもあり、イギリスの首相まで昇りつめた人物第二代グレイ伯のチャールズ卿の人柄がこのエピソードに伺われるような気がします。ちなみにチャールズ卿のお孫さんも第二次大戦後にイギリスの首相に至った人物です。1942年の外務大臣時代には外務省改革を行い、イギリス外交官に女性の途用を開始した希代のイケメン貴族、アンソニー・イーデン卿です。
アールグレイティハウスで一番人気の「ノーサンブリアン・レアビット」。Earl Grey Tea Houseによる 特別レシピで拵えた大きめのマフィンに玉ねぎいっぱいのホワイトソースを掛け、チーズトーストした物。イギリス産の安物チーズですが、日本では味わえない美味さ。昼食の時間帯に行くと、多めのコールスローが嬉しい付け合わせ。ウェイトレスの右手にはキッシュ。付け合わせのニューポテトには溶かしバターがよく合います。醤油があれば、尚最高。

海の家、シーハウシズでFish & Ships

北上すればするほど、気候は厳しくなるのに、なぜか人々の表情が柔和になり、通りすがりに挨拶されたり、話しかけられたりすることが多くなってきたのは、気のせいではありません。何かしら懐かしい心持ちになるのです。妻と話していて気付いたのは、2010年までの3年間暮らした人口20万人(統計方法によって数字が異なります)に満たない田舎な国際都市ジュネーブの雰囲気でした。近所の道で地元民とすれ違うと必ず笑顔でボンジュール、マダム(ムッシュゥ)と挨拶します。また、住んでいた10階建ての古臭い建物で使うエレベータの住人たちもほとんどが国際公務員で、誰がどの機関で働き、どこの国の出身であるかと知るまでにひと月も掛かりませんでした。互いに素性を述べ合い、心を許し合える土地柄だったのか、それともジュネーブという街の雰囲気でしょうか。住む人々が皆田舎のご近所感覚だったような気がします。

ここノーサンバランドでも、ニューカッスル郊外にある空港周辺の人々と話した時から、誰もがなにやら人懐っこい気がしていました。最初の宿泊地であったアンブルでも近所のスーパーの店員とは道すがら挨拶していました。そして、立ち寄る店先では聞いてもいないのに、こちらが求めているタイムリーな情報をくれたり、世間話が始まったりするのです。

ノーサンバランドで2軒目の宿もAirbnbでした。その地域名はシーハウシズ(Seahouses)、つまり海の家ですが、日本の盛夏の象徴である海の家とは異なります。漁業の街、そして石灰工場のキルン(窯)の街ですから港はあるものの、切り立った断崖に沿った要塞のような小さな港町ですから、住宅建設が技術的に不可能だった時代に、漁の収穫物を加工する期間やキルンで働く人々のためだけに寝泊まりする施設を作った村として始まった地域がシーハウシズです。
ノーサンバランドの沿岸は自然のバリエーションの宝庫です。Seahouses(以下シーハウシズ)は砂洲と河口に出来た港町ではなく、狭い岩場の上に造られた町です。切り立った岸壁が風光明媚な景色を生み出していますが、現在のカタチになるまでには相当な土木工事が繰り返されたのだそうです。丘の上の長屋の中にこの地域のキッパー発祥の地があります。干しニシンの貯蔵庫が小火(ぼや)に遭った翌日のこと、煙に燻(いぶ)されて全滅してしまった筈の真っ黒なニシンを口にすると意外に美味だったことが、燻製ニシンとしてのご当地キッパーの誕生になったのだそうです。19世紀当時のシーハウスはナラ材などに拠る木造建築だったのですね。赤レンガで小火になっても、燻製にはならなかったでしょうね。
シーハウシズのキッパー発祥の店です。この家が小火に遭ったのかどうかは記述からは確かめられませんでした。

過去の漁民のシーハウスは雑魚寝並みの粗末な造りでしたが、当地での当方の宿はここ数年間に経験したAirbnbの中でも別格の環境でした。居住設備は充実して快適でしたし、このAirbnb中心に編集された周辺地域の地図やガイドブックが用意されていました。今どきのサービスとしては、既に普通に展開していることは知っていましたが、実際にガイドブックや地図を手に取ると、かなり便利で実用的であることも改めて知ることになりました。Airbnbの快適さは設備だけでなく、オーナーの粋な計らいによるところが大きいと思います。
ニシン産業の拠点になる以前から、シーハウシズ港では大きな化学産業が育っていました。18世紀後半からノーサンバランド沿いの海岸線には大なり小なり至るところにこの建造物が残っています。現在は倉庫として使われていますが、Lime Kiln(ライムキルン)という石灰釜(いしばいガマ)です。このキルンで熱処理された鉱石から生成された石灰は肥料やセメントの原料として使われていました。ICIなど化学品を製造する企業によって巨大産業が成り立つ以前と言えば、ライムキルンによる石灰の製造がノーサンバランドだけでなく、イギリスの東海岸の主要産業であり、その原料を積み出す多くの港のひとつがシーハウシズだったのです。このキルンを中心に地方の各街が活気に溢れていた様子が想像できます。つまり、産業革命以前でも地場産業はノーサンバランド全体に広がっていたのですが、生産効率の高い化学工場が設置された都市に労働者が集中することで、ニューカッスルの都市化が進んだのです。そして、その一方で地場の過疎化が始まり、残されたキルンや土地は現在に至って景観美を保つことになったのです。
巨大なキルンの前にはボートトリップや釣り船の案内小屋がのどかに並んでいます。当方と妻は釣り船に挑戦してみました。3時間でひとり10ポンドと楽しむには充分です。釣れたらその日の夕飯も期待できます。しかし、15センチのタラを釣ったところで、「漁獲制限だからリリースしろ」と言われ、他にはサバしか釣れませんでした。その日の晩餉は大振りの鯖4匹。塩焼き、みぞれ煮にしてみました。但し、4匹では漁獲量としての採算が取れていませんし、釣果としては極めて非効率に終わりましたが、釣り自体の経験は充分に楽しめました。
釣れた直後にサバの内臓を掻き出します。水場が無いので、血を流さないやり方を試みようかな、と見ていましたが、時間と手間が掛かるし、「俺の分もやってくれ」と頼まれそうだったので、逆に親切そうな参加者に捌いて貰いました。彼曰く、この辺のイギリス人は魚好きなのだそうです。
さて、次回はこのシーハウシズの海岸を散歩している時に出会った地元の老人の一言から紹介してみたいと思います。実はまだ圧巻の景色をお伝えするところまで辿り着いていないのです。


Text&Photo by M.Kinoshita

関連リンク
牧歌的ノーサンバランド紀行 その2「ニューカッスルからアンブルまで北上」
牧歌的ノーサンバランド紀行 その1 「言葉の壁、心の壁」


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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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