2016.04.29

哀愁漂う「倫敦から来た男」

霧がかった漆黒の海に浮かぶ鉄の塊。じわりじわりと焦らすようにクレーンアップするカメラによってその全容が船だとわかる。さらにカメラは上がっていき、甲板で二人の男が話をしている。やがて一人は下船し、もう一人の男が下船した男にトランクを投げる。そして、その様子を転轍室から見下ろすまた別の男…
Vol.8で紹介するのは、全編モノクロームで撮影されたサスペンス「倫敦から来た男」という作品だ。不穏で緊張感が漂うこの冒頭は、およそ15分も要し、ワンシーンワンカットで撮影されている。指揮をとったのはタル・ベーラというハンガリーの映画監督だ。日本ではあまり馴染みがないかもしれないが、ジム・ジャームッシュやガス・ヴァン・サントにも強く影響を与え、俳優ブラッド・ピットにいたっては、妻アンジョリーナ・ジョリーに彼のDVD作品全集をプレゼントするほどの心酔ぶりであるエピソードが残っている。

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もうひとつ、原作者のジョルジュ・シムノンにも触れておきたい。彼は、推理小説家であり、代表作「メグレ警視」シリーズ(名探偵コナンのスピンオフではない)の生みの親でもある。江戸川乱歩も彼の作品に傾倒したことは有名な話だ。過去には、ブリジット・バルドー主演の「可愛い悪魔」、セルジュ・ゲンズブールがメガホンをとった「赤道」、パトリス・ルコント監督の「仕立屋の恋」など数多く実写化され、映画と縁のある作家と言っても過言ではない。なお、「倫敦から来た男」は、過去に二度映画化されており、本作が三度目である。同じ作品が三度も映画化されるということはなかなか珍しく、時代を経てもひきつける何かがあるのだろう。

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そんな豊かなバックボーンが、映像に顕著に表れている。タイトルから察しがつくかと思うが、この映画の舞台はロンドンではなくフランスの港町だ。冒頭でも紹介した映画のファーストカットでは、コルシカのバスティア港に船を始め、転轍室、列車や線路など、驚くことにセット全般を一から作り上げているのだ。そして、物語のキーとなるカフェに登場する人物たちが実に個性的で面白い。ソフト帽を被った英国人モリソン刑事、スカーフを無造作に巻きつけたカフェの店主、ベレー帽を被りなぜか店内でもストールを巻いたまま食事をしている老人。加えて、この老人がかけている眼鏡も独特のスクウェア型で個性 的だ。どうも気になったので眼鏡の専門家である矢澤さんにうかがったところ、ドイツやフランスのヴィンテージでまれに見られるデザインだそうだ。実際、原作者のジョルジュ・シムノンは、パブロ・ピカソ、ジャン・コクトー、ジャン・ルノワール、藤田嗣治などの多くの文化人と交流が深かった。そのエッセンスを、監督タル・ベーラが巧みに引き出し、演出したのではないだろうか。

物語がいつの時代なのかは劇中では特に表記されていない。さらに、タル・ベーラがどのくらい実際の英国やロンドンを意識したかはわからない。ただ、これほどまで”倫敦”という言葉が相応しいと思える作品に出会う機会は数少ない。そのうえ、これ以上にない秀逸な邦題だと思っている。僕は”倫敦”や”エゲレス”という呼称に無性に想像をかきたてられる。それは、現在の英国やロンドンとは異なる哀愁がその言葉から感じられるからなのかもしれない。

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Text&Photo by Shogo Hesaka

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部坂 尚吾

部坂 尚吾

1985年山口県宇部市生まれ、広島県東広島市育ち。松竹京都撮影所、テレビ朝日にて番組制作に携わった後、2011年よりスタイリストとして活動を始める。2015年江東衣裳を設立。映画、CM、雑誌、俳優・タレント・文化人のスタイリングを主に担い、各種媒体の企画、製作、ディレクション、執筆等も行っている。山下達郎と読売ジャイアンツの熱狂的なファン。
江東衣裳
http://www.koto-clothing.com

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