私がロンドンを愛し続ける7つの理由 | BRITISH MADE

Absolutely British 私がロンドンを愛し続ける7つの理由

2018.06.01

私事で恐縮だが、この5月30日で在英20周年を迎えた。1998年5月30日に渡英して以来、ずぅっとロンドンに住んでいるので東京時代の7年間をゆうに超えてしまった。20周年記念というわけでもないが、「なぜ今も以前と変わらずロンドンが好きでずっと住んでいるのか?」という理由について、自分なりに掘り下げてみることにした。お付き合いいただければ幸いである。

理由その1 ▶ 懐深いロンドナーたち

私がロンドンの魅力としていちばんに挙げたいのは、「ロンドナーたち」だ。ここはあえて誤解を怖れず言わせてほしい。ロンドナーたちは寛容でやさしいと。ちょっとしたことにも「サンキュー、ダーリン」と気っ風良く声をかけてくれる労働者階級の人たち、地下鉄でダンスするように優雅に席を譲る若き青年、公の場だろうとどこだろうとトコトン遊ぶ我が子を優しく見守る親達、そんな彼らを横目で見とがめながらも粛々と受けとめている私たち、あきれ顔で時代の移り変わりを嘆いてみせるアッパーミドルの老女でさえ、ロンドンという極めてイギリス的でありながら色濃くコスモポリタンな街の魅力を語るうえではずせない。

移民の存在はさらに街の多様化を促進している。すっかりイギリス人化しているカリビアンな風貌の二世や三世たち、クリスマス・デーも真面目に店を開いて私たちを安心させてくれるインド系の人たちや、先祖ビザで滞在するうちすっかりロンドンの虜になってしまったオーストラリアやニュージーランドから来た人達。そしてもちろん、この街の移り変わりを文字通り目撃し続けている先祖代々から続く生粋のロンドンっ子たち。ここでは他者をありのままに受け止め、認めるという流儀が育っていて、外国人は非常に暮らしやすい。そしてその流儀は、年々寛容度と洗練度を増していて、今や熟成の域に達しているとさえ感じる。ロンドンは「あなたはあなたでいればいい」と言い続けてくれる街だ。そして英語の発音が分かりづらくても嫌な顔一つせず辛抱強く聞いてくれるのもロンドナーたちなのである。

理由その2 ▶ ヴィレッジの中にワールドがある

郊外を含むグレーター・ロンドンの面積はおよそ1570平方キロ、880万人が生活している。東京首都圏と比べると小規模だが、それでも欧州最大の都市であり、イギリス外から来たヨーロッパ人に言わせると「ロンドナーは素っ気ない、フレンドリーではない」と評判はいまひとつ。(しかし日本人の私から見ると相当人懐っこい。)金融街シティでは日々世界経済を動かす取引が成立しているし、ダウニング・ストリート10番地には世界の要人が出入りしている。バッキンガム宮殿近くのマールボロ・ハウスではイギリス連邦の頂点に君臨する女王代理の公務が執り行われているし、グローバル企業のヨーロッパ・アフリカ本社が置かれることもしばしば、そして世界トップクラスのエンターテインメントを観賞できるのもここだ。ゆえにロンドンは多彩な分野で世界と直結している都市だと言うことができる。

しかし実際に日常生活を送っていると、たとえ中心部でも「ロンドン村」とでも言いたくなるようなヴィレッジ風の親密さを肌で感じることがある。都市には独自ルールや慣習といったものが存在していると思うのだが、ロンドンにもロンドナーが育んでいる暗黙の了解やルールがある。最も一般的なのは混み合っている場所での行列。決して行列が好きなわけではなく、イギリス人のフェア精神から生まれている慣習だ。また地下鉄やバスではお年寄りや中高年以上の女性、身体の不自由な人への譲り合いはごく自然に行われる。そして譲るほうも譲られるほうも、それを特別なこととはみなしていない。またバス停はある種の社交場である。バスを待っていると「どのくらい待っているの?」「全然来ないわねぇ(首をふる)」と自然に会話が始まることは日常茶飯事。赤の他人とのコミュニケーションは普通にスーパーや公共の場で発生し、その距離感がまた私を心地よくさせてくれる。

理由その3 ▶ どこまでも続くロンドン・バス

2階建ての赤いダブルデッカーや1階建てのシングル・デッカーに代表されるロンドン・バスは、ブラック・オースチンのタクシーと同じく、じつにアイコニックな存在だ。650を超える運行ルートが市内のあらゆる場所を網羅しており、実質的にどこに住んでいても無事に帰ることができる仕組みになっている。地下鉄は交通渋滞もないし確かに速く移動したいときは便利だが、ルートによってはバスのほうが早い場合もあるし、何より地下深くにもぐらなくてもすむ分、時間も節約でき、地上レベルでの即時移動が可能となるのも気に入っている。

私は子どもの頃は自動車に乗ると高い確率で気分が悪くなっていたし、日本のバスは今でも揺れや匂いがあまり得意ではないのだが、ロンドンのバスはダブルデッカーの2階に乗っていても本を熟読することができるほどなじんでしまう。ロンドンのバス臭を指摘する人もいるが、私自身はなぜかほとんど匂いを感じない(もっともビネガーをふりかけたチップスを食べている人が乗っていたらその限りではないけれど)。限られたルートではあるが24時間運行している素晴らしいナイトバスもあり、夜遅くまで遊んでいてもタクシーのお世話にならずに帰ることができる。それにダブルデッカーの2階からの眺めは何と言っても最高だ。渋滞でノロノロ進行になっても、路線運行中に運転手が途中のバス停で交代して時間をロスしても、 対抗車線ですれ違うバス・ドライバー同士が路上で窓越しに仕事とはまったく関係のない会話を30秒以上交わそうと、ビバ! ロンドン・バス。

理由その4 ▶ 偉大なるチャリティ・ショップ

イギリスは◯◯発祥の地という栄誉を多く持つ国だが、チャリティ・ショップも例外ではない。これは恵まれない子供たちやホームレス、難病を患う人びとのサポート、動物の愛護などを目的とした各種ケア団体や病院などが運営するセカンドハンド・ショップで、19世紀から存在しているそうだ。イギリス国内に約1万軒以上のチャリティ・ショップがあり、一般市民から寄付された不用品を販売するので収益も大きく、それを活動資金に充てている。働いている人はショップ・マネージャー以外はすべてボランティア。大きめの町なら軽く2、3軒はチャリティ・ショップがあり、洋服をはじめ、靴、アクセサリー、本、CD、レコード、DVD、キッチン用品などありとあらゆるものを破格の値段で買うことができる。ウェディング・ドレスだって売っている。

私見だが、チャリティ・ショップはウキウキするような一点ものを揃えることができるブティックのダークホースだと思っている。とくに高級住宅街にある店では状態のよい面白い品に出会える確率が高く、そういった掘り出しものに出会うと心底ワクワクしてしまう。目利きの人ならチャリティ・ショップ に出ている需要の高いヴィンテージ雑貨を安く手に入れて専門店に売って商売にしている人もいると聞く。私自身は自分の不要品を寄付することも多いので、まさに日常的に利用させてもらっている、なくてはならない存在。ふだんの生活の中で気負わずチャリティに参加でき、なおかつ楽しめるチャリティ・ショップ通いは、しばらくやめられそうにない。日本でもぜひ導入を検討してほしい。

理由その5 ▶ 老樹に寄り添う

ロンドンは世界でも有数のグリーン・シティだ。中心部だけでも広大な王立公園がいくつかあるだけでなく、小規模なスクエアや公園まで数え上げると、公共のグリーン・スペースの数はおよそ3000。現ロンドン市長は2050年までにロンドンを世界初の「ナショナル・パーク・シティ」にする計画を進めていて、屋上ガーデンやウォール・ガーデンも含めてさらに緑を増やしていくと同時に野生生物の保護も念頭においていくそうだ。

中でも日本から来た私に心底憧憬の念を抱かせるのは、市街地で人に守られつつ存在している背の高い巨大な老樹たち。例えば中心部メイフェアにあるバークリー・スクエアは近隣で働く人達のオアシスとして愛されているが、ここにそびえるプラタナスの並木は1789年に植えられたロンドン中心部に現存する最も古い樹木だ。またブルームズベリーにひっそりと隠れているSt George’s Garden(写真)は墓地であり、近隣住民の憩いの緑地としてまさに秘密の庭そのものといった趣き。それぞれの地域に住民たちを癒す緑地があり、ロンドナーたちの真の宝となっている。

理由その6 ▶ ブレイクタイムは紅茶で

自らのイギリス人化をひしひしと感じるのは、もはや日本茶よりも紅茶を飲む機会が増えていることだ。日本茶の入手が難しいからではなく、比較的多くの店で日本産の日本茶を入手できたり飲めたりするにもかかわらず、あえて紅茶を選ぶことが多いという意味である。濃く淹れてミルクをたっぷり注いだ紅茶を一日数杯は飲む。やや冷ましたお湯でゆっくり淹れる繊細なダージリンのファースト・フラッシュも大好きだけれど、ティーバッグ入りのイングリッシュ・ブレックファスト・ブレンドを熱湯で淹れてミルクをどばっと注いでいただく紅茶は一日のリズムを整える役割もあり、ビスケットを添えたティーブレイクは欠かせない。

イギリス人が最も愛する紅茶メーカーはトワイニングでもリプトンでもない。「PG Tips」である。1930年代に立ち上げられたブランドなので、もう90歳近い。1990年代に開発されたお湯を注ぐと最速で抽出するというピラミッド型ティーバッグが自慢で、ラウンド型ティーバッグを抑えてティータイムの王道となりつつある。イギリスではコーヒー文化の台頭、紅茶文化の衰退 が言われて久しいが、どこまで生活に深く根付いているかという見方をするならば、今でも紅茶にかなう飲み物はない。オフィスの戸棚にはPG Tipsが常備され、休息がてら同僚のためにそれぞれ好みの濃さのティーを淹れる光景はこれからも続くだろう。紅茶はイギリス人にとってほっとする飲み物であり、切り離せない生活の一部なのだ。

理由その7 ▶ いつも新鮮な街歩き

10年ほど前から感じ始めたことだが、店の移り変わりサイクルが速くなっている気がする。以前はもっと飲食店も小売店も同じ店が長く営業していたように思うが、最近は入れ替わりの速度が早い。これはロンドンの店舗賃貸価格が急激に上昇しているため、独立店はもとよりチェーン店でさえ体力がなければ生き残れないという現象が背景にある。保守的なロンドナーたちは慣れ親しんだ老舗がなくなってチェーン店や外国資本の店が来ることに危機感を抱いている。長いスパンでは、今という時代がちょうど新旧入れ替わりのサイクルにある、ということも言えると思う。古いシステムは淘汰され、本物と時代にマッチしたものだけが残っていく。方向が間違っていれば、いずれ揺り戻しもあるだろう。都市の金太郎飴化は私も歓迎しないが、新しい店がロンドンを活性化していることも確か。従って街歩きはいつも新鮮だ。

例えば最近では小さなマーケットが増え、マーケット的なポップアップ・イベントもあちこちで開催され注目を集めている。マーケットは人が交流し、手作りの商品を売ったり買ったりする場であり、情報交換をする場でもある。その土地でできた商品を広場で売り買いする市場は地球最古の商業形態だ。ロンドンのマーケットがちょっと違うのは、売り手であるロンドナーたちの来し方がバラエティに富んでいること。同様に、ちょっと街を歩けば中世の建築の狭間に世界のエレメントを垣間見ることができる。ロンドン歩きの醍醐味はそこにもある。

ダウンサイド ▶ ホームレス問題

一言だけ、私がいつも気になっていることについて。ホームレス問題だ。ロンドンの街なかには数多くのホームレスの人びとがいる。「なぜホームレスになり、どこでどう寝起きしているのか、この先はどうするのか」については一人ひとり事情が完全に違うため、ひとくくりにはできない問題で概観することさえ難しい。でもいつか、この問題について掘り下げてみたいと思う。

Text&Photo by Mayu Ekuni

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江國まゆ

江國まゆ

ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。

http://www.absolute-london.co.uk

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