2017.01.26

ブリティッシュ“ライク” 空飛ぶ公爵の軌跡

話は遡って昨年末、「絶滅鳥ドードーを追いかけた男(空飛ぶ公爵蜂須賀正氏)」という本を読んだ。“蜂須賀”という名を耳にしてピンときた方は歴史好きに違いない。そう、かの羽柴秀吉の股肱之臣として活躍した武将“蜂須賀正勝”の子孫で、徳島藩主蜂須賀家の18代当主である蜂須賀正氏についての稀覯書なのである。
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彼の略歴をざっと紹介する。1903年(明治36年)に生誕、母は江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の娘である徳川筆子。学習院大学、ケンブリッジ大学を卒業し、大英博物館で鳥学を専攻。生粋の大名華族の当主でありながら鳥類学者、探検家、狩猟家である正氏は、日本はもちろん、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北中南米へと渡る。新発見の鳥類は120種を超え、世界数カ国の大学から学位を授与された鳥学の権威と言っても過言でない人物である。鳥類に限らず、哺乳類や爬虫類にも精通し、日本人で初めてゴリラに遭遇したのも彼だと言われている。50歳という若さで鬼籍に入るまで、動物の研究や絶滅鳥の研究に生涯をかけたロマンチックな男である。しかし、日本語よりも英語、仏語の方が堪能にして、感覚も英国仕込み。時代が時代であっただけにスキャンダルの多い華族として相当に叩かれた一面も持っている。

先述したゴリラの話に続き、正氏のユニークなエピソードをいくつか紹介しよう。日本で初めてプライヴェート飛行機を所有したのも彼だ。愛機である英国製de Havilland DH.80A Puss Mothを自在に操り“空飛ぶ公爵”としてもてはやされている。鳥好きが高じて、自らも飛んでしまうとはなんとラヴリーな男だろう。その当時の彼の様子を本書から抜粋すると、そぼふる雨のなかを白のベレー帽を被り、白い飛行服姿、その上に定紋入りの紺のブレザーコートを羽織って登場し、ダンディぶりをアピール。

と記してある。さらに、1923年北アフリカ横断の際には、Citroënにておよそ10,000キロの探検。サハラ砂漠横断に成功している。空路だけでなく陸路でも大人しく後部座席に座るようなヤワなタマではなかったに違いない。

さて、数はそれほど多くはないが、正氏の姿を本書にて確認できる。居住まい、佇まい共にそれはそれは見事である。威風堂々たる姿や表情からは余裕すら感じられる。型破りでハイカラな正氏は、社交界でも絶大な人気があったようだ。ファッション誌などでも度々崇められる“バロン・サツマ”こと、薩摩治郎八とも懇意にしていたようである。野暮な話だが、英国仕込みの正氏ならば、一体どこでスーツや靴を誂えたのだろうと想像するだけでニヤけてしまうのである。

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正直なところ、本書を読むまで蜂須賀正氏についての情報はまったく持ち合わせていなかった。しかし、“ドードー鳥を追いかけた空飛ぶ公爵”という言葉に興味をかきたてられ、読み終えた結果、彼の実直な生き様にずいぶんと魅了されてしまったのである。 情報が容易に得られ、錯綜し、場合によってはそれに翻弄される現代。十分な根拠がない情報を鵜呑みにし、判断することを放棄してはいないだろうか。もっと恐ろしいことは、その状況に気づいていないことである。例え絶滅したと言われようが、存在しないと言われようが、己でそれを確かめるまで徹底的に追及し、その地に足を運び知見を得る蜂須賀正氏から学ぶことは余りにも多かった。

Photo&Text by Shogo Hesaka

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部坂 尚吾

部坂 尚吾

1985年山口県宇部市生まれ、広島県東広島市育ち。松竹京都撮影所、テレビ朝日にて番組制作に携わった後、2011年よりスタイリストとして活動を始める。2015年江東衣裳を設立。映画、CM、雑誌、俳優・タレント・文化人のスタイリングを主に担い、各種媒体の企画、製作、ディレクション、執筆等も行っている。山下達郎と読売ジャイアンツの熱狂的なファン。
江東衣裳
http://www.koto-clothing.com

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