長年、イギリスの外交生活に浸ってきたせいでしょうか。「イギリスの階級制度って、どうなんですか?」という質問を受けることがあります。この種の漠然とした質問には、逆に質問をすることになります。「失礼ですが、もしかして、『階級制度』と『階級社会』とを混同されていませんか? そして、階級よりも、たぶん、イギリスの『格差社会』にご興味をお持ちでは?」こうして切り返すと、たいがいの方は「あ、そうか!」と気づかれて、「あ、そう言えば、どう違うんですか?」という会話につながっていきます。
階級制度とは、元来が王室と臣下との権利義務関係を定めた身分制度です。11世紀ごろから始まり、爵位などで身分や権限の序列を明確にした封建社会のシステムでもあります。民主主義社会の発展した近代以降では、法的な身分制度ではないものの、その伝統的な権威や地位は社会的な格式として、現代の社会構造に影響を残しています。かたや、階級社会とは、職業、収入、貯蓄、資産、人脈や知人の地位、ライフスタイル、教育レベル、趣味・関心、住む地域などの違いによって、階級別に上流・中流・労働者などに区分されます。
当方に言わせれば、後者は現代の慣例。本質的な価値観ではなく、時代や文化によって変化する相対的で幻想的なものです。同調バイアスを生み出す不文律の秩序であり、グループに帰属するための根拠でもあり、人に拠っては神聖なものであるということです。あえて、ひと言で言えば「階級社会=格式社会」でしょうか。
西サセックス州のアランデル城の建立は、イングランド建国の11世紀まで遡ります。アランデル伯爵家の血縁が絶たれると、この地は一旦国王に返還され、400年前からはノーフォーク公爵ハワード家の所有する居城として存続。A27号線上の走行中に、突然現れる雄大な居城の景観は、まさに階級制度の象徴とも言えるでしょう。
“階級制度”が敷かれていた封建時代の被支配層(農民など)は、支配層(貴族など)に不満を持っていましたが、産業革命以降、事情が変化します。少数の富裕層(資本家など)と大多数の貧困層(労働者など)との間には、不満と分断の状況が生じます。たとえば、「俺たちが豊かになれないこの社会は不公平だよね!俺にも、もっと豊かさをくれ!!さもなければ、暴れてやる!!!」という不満を持つ立場が現れる一方で、「貧しくて過激な彼らとの関係は避けたいものだ。我々は資産を使うことで、その問題を解決できる」という身の安全を意識する立場も出てくると、二つの立場の間で軋轢が生じます。このような貧富の格差が、住む地域、教育機会、職業選択などにも格差を生み出しました。このような分断が表出した状況が「格差社会」と言われるようになったのではないかなぁ、というのは長年イギリスで生活して来た当方の意見です。
この制度は、土地所有などの既得権益を維持する社会構造を説明する名称として現存する一方で、イギリス王室は制度に基づいて爵位を乱発しています。テューダー朝の16世紀ごろまでに軍事的貢献などで世襲貴族になれたのは、50家ほどでした。しかし、17世紀の政治闘争(内戦、共和制、王政復古など)やロンドン大火などで金欠状態に陥ったスチュアート朝では、王室の財政再建対策として爵位を間接販売して150家以上に急増。さらに、18世紀のハノヴァー朝(改名してウィンザー朝)になると、貿易や商業で成功した資産家たちの名誉欲と、王室の販売意欲(爵位の販売促進)との需要供給の関係によって、世襲貴族は20世紀までに500家近くまで増加し、2024年時点では800家以上に達します。
グロヴナーハウスホテルの正面玄関に佇むバレット兼ドアマン。最近は、テロ対策も考慮されて、頑強な若者が担当しています。
一方で、19世紀以降になると、相続など法改正の後に税金対策を怠り、時代の変化に取り残されて没落した世襲貴族も少なくありません。たとえば、貴族のステータスを冠しながら、普通の会社の平社員になっていたり、トラック運転手になっていたり、無賃乗車などで逮捕された貴族の軽犯罪がニュースになったことも……。もちろん、貴族によっては、節税対策などを理由に不動産を切り売りしたり、近代産業の資本主義ビジネスに関わったりしたうえで、没落を免れた貴族は今でも健在です。「法の元の平等」が適用される民主主義社会では、基本的に、大貴族も一般国民に過ぎないのですね。
例えば、メイフェア地域のパークレーンにあるThe Grosvenor House Hotel(以下、グロヴナー・ハウス・ホテル)。このホテルのラウンジに座って目にするのは、音もなく機敏に、且つ笑顔を絶やさぬスタッフたちの優雅な所作。かつての大邸宅で働いていた執事などの召使たちと、目の前にいるホテルスタッフの立ち振る舞いとが重なる気がします。さて、ホテルスタッフと、大邸宅の召使との所作が重複するとは、はて? どういうことでしょうか?
ホテル内の給仕などのサービスは、かつては貴族が独占していたもの。今では、対価を払えば、気持ちの良いサービスが受けられますね。
このグロヴナー・ハウス・ホテルの前身は、ジョージ3世の弟グロスター公爵のロンドン邸宅でした。その後、ウィリアム4世治世の1830年に、ウェストミンスター侯爵に叙せられたグロヴナー家の邸宅を経て、1900年代に入ると、そのグロヴナー家はホテルビジネスを展開します。なんと、この侯爵は自宅であった邸宅をホテルに替えてしまったのです。彼らは他にもいくつかの邸宅を持つので、所有資産全体の維持費と運営費など、高額な費用を賄うために、邸宅と召使というハードとソフトの基盤をそのまま利用してホテル事業に乗り出します。邸宅はホテルになりましたが、依然、侯爵の所有物ですし、邸宅内で働いていた召使たちの雇用もホテルスタッフとして守られます。かつて邸宅内で働いていた執事、バレット、フットマン、メイド、シェフなど数々の召使たちが序列、つまり職業上の階級制度によって役割と機能が分担され、その裁量権も決められて、現代のホテルサービスの基礎となったわけです。すなわち、かつての貴族社会で、日常的であった召使のサービスを、今なお体験させてくれるところがホテルであり、ロンドンの老舗ホテルには、その原型が今なお残されているのです。
ただし、グロヴナー家はホテル事業の先駆けであり、成功者ですが、それは時代の潮流をくみ取っていたことで成しえたこと。相続税などの税制改正や、産業革命後の資本主義経済の発展などの潮流の変化によって、大土地所有制度に基づいた不動産の賃料収入だけでは生活が立ちいかなくなった貴族の多くが、自身の没落を避けるために、メイフェアやベルグレイヴィア近辺に祖先が造った大邸宅やタウンハウスを改装して、ホテル、借家、貸事務所などの事業を展開することで、貴族の地位を維持するための財政基盤を確保したのです。
前述のように、我々現代人は、貴族が伝統的に受けてきた豪華で高級なサービスを、お金さえ出せば、ホテルで体験できます。それはある意味で、貴族が没落、あるいは没落の危機に瀕したおかげでもあるのです。ロンドンで言えば、サヴォイ、旧グロスター(現シスル)、クラリッジなど。こうした老舗ホテルのラウンジのソファに座るだけで、あるいは高級ホテルのアフタヌーン・ティを頂くことで、今なお階級制度の名残が、当方にとって感じられるのは、以上のような理由です。
階級制度とは、封建時代にあっては各諸侯との主従契約関係であり、貴族の各家庭内にあっては、従者の役職名と序列です。現代に至る軍隊、医療、航空、行政体、一般的な会社の役職のように、役割・資格・免許を明確にするための序列もまた、秩序や法に基づいて、同じ階級制度で職務分担・権限・責任などが決められています。
階級制度とは、封建時代にあっては各諸侯との主従契約関係であり、貴族の各家庭内にあっては、従者の役職名と序列です。現代に至る軍隊、医療、航空、行政体、一般的な会社の役職のように、役割・資格・免許を明確にするための序列もまた、秩序や法に基づいて、同じ階級制度で職務分担・権限・責任などが決められています。
マズローの欲求段階説と階級制度との関連をまとめてみました。
すなわち、王室との契約・序列関係を構成してきたイギリスの階級制度の場合、王の権威が強大であることが前提になっています。その上で、「お前は、ここな!」と安定的な序列の中に組み込まれることで、家臣は王室グループの「仲間になれたぁ~」と安心します。この時点で満たされるのが欲望の第三段階である社会的欲求です。このような、王と家臣との関係づくりは、封建時代では、有力者の謀反を回避するために、世界的に採用された国家の統治方法でもあります。
王室を筆頭に領土保全や拡大に貢献した人々を「お前は、仲間だからな」と信頼できる地位、たとえば公爵に叙します。それらに続く貢献者を王様グループに組み込んだら、侯爵、男爵、伯爵…という具合に段階的に爵位を設け、階級の裾野を広げていくことで貴族社会は形成されます。こうして、それぞれの階級に落ち着いた貴族たちは「自分は王室から認めてもらった。さらに下級(の爵位以下)の人々から尊敬されて、けっこう満足!」と、その承認欲求、つまり第四段階の欲求が満たされるのです。
また、元首や国家のために貢献して、一層上の階級を目指すとか、誰かとの婚姻関係によって労せずして他の階級に仲間入りするとか。高い地位に就くことで、承認欲求を満たしていくという心理構造を活かして、封建社会は成り立ち、世襲貴族もその地位を保って来たのではないかな……と当方は考えています。
ところが、封建時代から資本主義の時代になっても、世襲貴族は増えています。産業革命後でも、財政、経済、社会、慈善事業、そして軍事(防衛)などの各方面で国家や王室に貢献した人の中にも、自己PRや他者推薦を経て世襲貴族になれた人は多くいます。片や、1957年以降は、世襲するほどの財力の無い人のために、首相の人選と元首(王様や女王様)の勅許によって一代貴族、すなわち終身の貴族院議員(Lord)に叙される制度も設けられました。
さらに、行政府の推薦で叙勲を受けては、王室の権威によって、国家や社会への貢献が労らわれるという意味で、名誉に授かる人もいます。大英帝国勲章などの叙位を受ける中でも、上位二位の叙勲にはナイトとかデイムという一代限りの称号を受ける人たちもいますが、貴族や貴族院の議員にはなれません。
人間の承認欲求の行きつく先にあるのは第五段階「名誉欲」です。それらを満たすためのシステムが階級制度や叙勲制度なのか、という状況を外交生活で目の当たりにしたので、マズローを例えに出してみました。もちろん、無欲の叙勲者が大勢いることも事実です。その叙勲制度とは、階級制度に似ているようですが、ある功績に対するひとつの栄典(ごほうび)として捉えられるべきものとして、イギリス社会では認知されています。
拙宅と階級制度との関りと言えば、この程度。拙妻が受章したのは大英帝国勲章オフィサー章。右はパーティなどで身につけるミニチュアですが、謙虚な拙妻は付けたことがありません。王室からのご褒美はこのメダルだけで、日本の叙勲のような金一封は無し。一方、授章式の画像や映像は有料で、かなりの高額。王室はビジネスが上手ですね。
ウェスト・ミンスター寺院での葬儀が許可されるほど、絶大な社会貢献に身を投じた慈善事業家のジョージ・ピーボディですが、ビクトリア女王自らが申し出た爵位を2度も断っています。ロンドンの貧困層を住宅面で救済した偉人で、その財団は現在も活動中。銅像はシティの王立取引所界隈に所在。爵位を辞退した人たちのリスト(英語版Wikipedia)
さて、階級制度は、元来が封建社会の制度ですし、近世では世襲貴族に政治的な特権を与えた制度です。それゆえに、現代社会で、その存在意義を問う議論は少なくありません。特に、筆頭に挙がるのが王室の立場です。ただし、一旦王室を失えば、伝統と権威を取り戻すことは出来ませんし、そのブランド力による経済効果も失われるでしょう。それでも、もし、完全な民主主義制度を望むならば、王室は廃止すべきだという過激な論調もあります。イギリス王室の支持率はイギリス国民の過半数を超えていますし、政府は王室を失った場合の大きなデメリットも把握していると考えられますので、とりあえず大丈夫かなという気がします。そうなると、イギリス政府が平等で公正な社会を構成するための税制改革などを行わない限り、既存貴族もまた、特権を維持したまま今後も爵位と資産を維持し続けて世襲されていくことになるのでしょう。つまり、世襲財産を継承する社会状況が続くわけで、その親と子は同じ社会階層に居続けることになり、世襲貴族、伝統、ブランド、そして格差社会は今後も残る、ということになります。
超名門のパブリックスクール、ウィンチェスターカレッジの昼食風景。聞いたところでは、奨学生クラスの生徒のご両親の約半数が名門貴族の血を引く家系。名門の血筋は教養レベルも高いようですが、あとの半数は実力で入学した一般家庭出身の秀才たちです。中流以下の一般家庭出身の彼らですが、固定化した階級「社会」の上流階層を目指すことも可能な俊英たちでもあります。
以上のように、社会階層の頂点が変わらないままであることが影響して、「イギリスは社会的流動性が低い」と、長い間言われてきたということも事実です。たとえば、労働者階級なら、その子どもがどんなに優秀でも労働者階級のままで一生を終えて、それで良しとする社会です。特に教育面では、全人教育や帝王学を学ばせる私立の名門校がある一方で、労働者階級の子どもたちは「あなたは足し算がそれぐらいできれば、それで十分よ」と教師に言われては、生徒も満足していたといいます。それぞれの階級に応じた教育が、つい最近まで施されていた、というのがイギリスの状況です。そして、当方がイギリスで生活して来た40年間に生じた社会階層の変化も、日本の皆様にはお伝えしなくてはならないかな、と感じています。なぜなら、それは将来の日本の姿に関わることだからです。
今回は、イギリスの階級の中でも、階級制度について、当方の思うところを述べてみました。しかし、まだ階級社会と格差社会、ひいてはイギリスの下剋上(社会的流動性)のお話は出来ていません。できれば、次回はその3つの項目について、軽やかに述べてみたいと思います。
Text by M.Kinoshita
階級制度とは、元来が王室と臣下との権利義務関係を定めた身分制度です。11世紀ごろから始まり、爵位などで身分や権限の序列を明確にした封建社会のシステムでもあります。民主主義社会の発展した近代以降では、法的な身分制度ではないものの、その伝統的な権威や地位は社会的な格式として、現代の社会構造に影響を残しています。かたや、階級社会とは、職業、収入、貯蓄、資産、人脈や知人の地位、ライフスタイル、教育レベル、趣味・関心、住む地域などの違いによって、階級別に上流・中流・労働者などに区分されます。
当方に言わせれば、後者は現代の慣例。本質的な価値観ではなく、時代や文化によって変化する相対的で幻想的なものです。同調バイアスを生み出す不文律の秩序であり、グループに帰属するための根拠でもあり、人に拠っては神聖なものであるということです。あえて、ひと言で言えば「階級社会=格式社会」でしょうか。
西サセックス州のアランデル城の建立は、イングランド建国の11世紀まで遡ります。アランデル伯爵家の血縁が絶たれると、この地は一旦国王に返還され、400年前からはノーフォーク公爵ハワード家の所有する居城として存続。A27号線上の走行中に、突然現れる雄大な居城の景観は、まさに階級制度の象徴とも言えるでしょう。“階級制度”が敷かれていた封建時代の被支配層(農民など)は、支配層(貴族など)に不満を持っていましたが、産業革命以降、事情が変化します。少数の富裕層(資本家など)と大多数の貧困層(労働者など)との間には、不満と分断の状況が生じます。たとえば、「俺たちが豊かになれないこの社会は不公平だよね!俺にも、もっと豊かさをくれ!!さもなければ、暴れてやる!!!」という不満を持つ立場が現れる一方で、「貧しくて過激な彼らとの関係は避けたいものだ。我々は資産を使うことで、その問題を解決できる」という身の安全を意識する立場も出てくると、二つの立場の間で軋轢が生じます。このような貧富の格差が、住む地域、教育機会、職業選択などにも格差を生み出しました。このような分断が表出した状況が「格差社会」と言われるようになったのではないかなぁ、というのは長年イギリスで生活して来た当方の意見です。
階級制度を斜め下から眺めてみると
階級制度のトップはもちろん、王位で、その家族の下に公爵、侯爵、伯爵…などの爵位を与えられた貴族が位置し、その下には聖職者、市民、農民がインドのカースト制度のようにヒエラルヒ状に広がっていることはご存じのとおり。末広がりでおめでたい階層社会にも見えますが、実際はどうでしょうか? どの階級にも属さない東アジア人の当方の視点で、斜め下から歴史的・社会的に眺めてみることにします。この制度は、土地所有などの既得権益を維持する社会構造を説明する名称として現存する一方で、イギリス王室は制度に基づいて爵位を乱発しています。テューダー朝の16世紀ごろまでに軍事的貢献などで世襲貴族になれたのは、50家ほどでした。しかし、17世紀の政治闘争(内戦、共和制、王政復古など)やロンドン大火などで金欠状態に陥ったスチュアート朝では、王室の財政再建対策として爵位を間接販売して150家以上に急増。さらに、18世紀のハノヴァー朝(改名してウィンザー朝)になると、貿易や商業で成功した資産家たちの名誉欲と、王室の販売意欲(爵位の販売促進)との需要供給の関係によって、世襲貴族は20世紀までに500家近くまで増加し、2024年時点では800家以上に達します。
グロヴナーハウスホテルの正面玄関に佇むバレット兼ドアマン。最近は、テロ対策も考慮されて、頑強な若者が担当しています。一方で、19世紀以降になると、相続など法改正の後に税金対策を怠り、時代の変化に取り残されて没落した世襲貴族も少なくありません。たとえば、貴族のステータスを冠しながら、普通の会社の平社員になっていたり、トラック運転手になっていたり、無賃乗車などで逮捕された貴族の軽犯罪がニュースになったことも……。もちろん、貴族によっては、節税対策などを理由に不動産を切り売りしたり、近代産業の資本主義ビジネスに関わったりしたうえで、没落を免れた貴族は今でも健在です。「法の元の平等」が適用される民主主義社会では、基本的に、大貴族も一般国民に過ぎないのですね。
階級制度を感じさせる現代のサービス基盤
さて、現代のイギリスで、当方が階級制度を感じる時や場所と言えば、(元)貴族の友人宅に訪れた際、大広間の壁一面にタペストリーのように広がる家系図を見せられた時、古いパブの出入り口や紳士クラブの門前に立った時、名門パブリックスクールの建物や学生たちを眺める時、そして高級ホテルに入ると広がる空間、すなわち、間接照明で薄暗く、ゆったりしたラウンジなどでくつろぐ時などです。例えば、メイフェア地域のパークレーンにあるThe Grosvenor House Hotel(以下、グロヴナー・ハウス・ホテル)。このホテルのラウンジに座って目にするのは、音もなく機敏に、且つ笑顔を絶やさぬスタッフたちの優雅な所作。かつての大邸宅で働いていた執事などの召使たちと、目の前にいるホテルスタッフの立ち振る舞いとが重なる気がします。さて、ホテルスタッフと、大邸宅の召使との所作が重複するとは、はて? どういうことでしょうか?
ホテル内の給仕などのサービスは、かつては貴族が独占していたもの。今では、対価を払えば、気持ちの良いサービスが受けられますね。このグロヴナー・ハウス・ホテルの前身は、ジョージ3世の弟グロスター公爵のロンドン邸宅でした。その後、ウィリアム4世治世の1830年に、ウェストミンスター侯爵に叙せられたグロヴナー家の邸宅を経て、1900年代に入ると、そのグロヴナー家はホテルビジネスを展開します。なんと、この侯爵は自宅であった邸宅をホテルに替えてしまったのです。彼らは他にもいくつかの邸宅を持つので、所有資産全体の維持費と運営費など、高額な費用を賄うために、邸宅と召使というハードとソフトの基盤をそのまま利用してホテル事業に乗り出します。邸宅はホテルになりましたが、依然、侯爵の所有物ですし、邸宅内で働いていた召使たちの雇用もホテルスタッフとして守られます。かつて邸宅内で働いていた執事、バレット、フットマン、メイド、シェフなど数々の召使たちが序列、つまり職業上の階級制度によって役割と機能が分担され、その裁量権も決められて、現代のホテルサービスの基礎となったわけです。すなわち、かつての貴族社会で、日常的であった召使のサービスを、今なお体験させてくれるところがホテルであり、ロンドンの老舗ホテルには、その原型が今なお残されているのです。
ただし、グロヴナー家はホテル事業の先駆けであり、成功者ですが、それは時代の潮流をくみ取っていたことで成しえたこと。相続税などの税制改正や、産業革命後の資本主義経済の発展などの潮流の変化によって、大土地所有制度に基づいた不動産の賃料収入だけでは生活が立ちいかなくなった貴族の多くが、自身の没落を避けるために、メイフェアやベルグレイヴィア近辺に祖先が造った大邸宅やタウンハウスを改装して、ホテル、借家、貸事務所などの事業を展開することで、貴族の地位を維持するための財政基盤を確保したのです。
前述のように、我々現代人は、貴族が伝統的に受けてきた豪華で高級なサービスを、お金さえ出せば、ホテルで体験できます。それはある意味で、貴族が没落、あるいは没落の危機に瀕したおかげでもあるのです。ロンドンで言えば、サヴォイ、旧グロスター(現シスル)、クラリッジなど。こうした老舗ホテルのラウンジのソファに座るだけで、あるいは高級ホテルのアフタヌーン・ティを頂くことで、今なお階級制度の名残が、当方にとって感じられるのは、以上のような理由です。
階級制度とは、封建時代にあっては各諸侯との主従契約関係であり、貴族の各家庭内にあっては、従者の役職名と序列です。現代に至る軍隊、医療、航空、行政体、一般的な会社の役職のように、役割・資格・免許を明確にするための序列もまた、秩序や法に基づいて、同じ階級制度で職務分担・権限・責任などが決められています。階級制度とは、封建時代にあっては各諸侯との主従契約関係であり、貴族の各家庭内にあっては、従者の役職名と序列です。現代に至る軍隊、医療、航空、行政体、一般的な会社の役職のように、役割・資格・免許を明確にするための序列もまた、秩序や法に基づいて、同じ階級制度で職務分担・権限・責任などが決められています。
心理学的な欲望と階級制度
ところで、階級が生じた背景には人間の心の「もやもや」が関係しているのではないでしょうか。心理学者マズローの欲求五段階諸説で言うと、第一・二段階は「これが無いと生きていけない!」という人間の基本的な欲求に関わることですが、第三段階の「社会的」欲求と第四段階の「承認」欲求がその「もやもや」に相当するものです。いわば、社会に認められたい、尊敬されたいという「もやもや」をはっきりと具現化し、体系化したシステムが階級制度であると考えられます。
マズローの欲求段階説と階級制度との関連をまとめてみました。すなわち、王室との契約・序列関係を構成してきたイギリスの階級制度の場合、王の権威が強大であることが前提になっています。その上で、「お前は、ここな!」と安定的な序列の中に組み込まれることで、家臣は王室グループの「仲間になれたぁ~」と安心します。この時点で満たされるのが欲望の第三段階である社会的欲求です。このような、王と家臣との関係づくりは、封建時代では、有力者の謀反を回避するために、世界的に採用された国家の統治方法でもあります。
王室を筆頭に領土保全や拡大に貢献した人々を「お前は、仲間だからな」と信頼できる地位、たとえば公爵に叙します。それらに続く貢献者を王様グループに組み込んだら、侯爵、男爵、伯爵…という具合に段階的に爵位を設け、階級の裾野を広げていくことで貴族社会は形成されます。こうして、それぞれの階級に落ち着いた貴族たちは「自分は王室から認めてもらった。さらに下級(の爵位以下)の人々から尊敬されて、けっこう満足!」と、その承認欲求、つまり第四段階の欲求が満たされるのです。
また、元首や国家のために貢献して、一層上の階級を目指すとか、誰かとの婚姻関係によって労せずして他の階級に仲間入りするとか。高い地位に就くことで、承認欲求を満たしていくという心理構造を活かして、封建社会は成り立ち、世襲貴族もその地位を保って来たのではないかな……と当方は考えています。
ところが、封建時代から資本主義の時代になっても、世襲貴族は増えています。産業革命後でも、財政、経済、社会、慈善事業、そして軍事(防衛)などの各方面で国家や王室に貢献した人の中にも、自己PRや他者推薦を経て世襲貴族になれた人は多くいます。片や、1957年以降は、世襲するほどの財力の無い人のために、首相の人選と元首(王様や女王様)の勅許によって一代貴族、すなわち終身の貴族院議員(Lord)に叙される制度も設けられました。
さらに、行政府の推薦で叙勲を受けては、王室の権威によって、国家や社会への貢献が労らわれるという意味で、名誉に授かる人もいます。大英帝国勲章などの叙位を受ける中でも、上位二位の叙勲にはナイトとかデイムという一代限りの称号を受ける人たちもいますが、貴族や貴族院の議員にはなれません。
人間の承認欲求の行きつく先にあるのは第五段階「名誉欲」です。それらを満たすためのシステムが階級制度や叙勲制度なのか、という状況を外交生活で目の当たりにしたので、マズローを例えに出してみました。もちろん、無欲の叙勲者が大勢いることも事実です。その叙勲制度とは、階級制度に似ているようですが、ある功績に対するひとつの栄典(ごほうび)として捉えられるべきものとして、イギリス社会では認知されています。
拙宅と階級制度との関りと言えば、この程度。拙妻が受章したのは大英帝国勲章オフィサー章。右はパーティなどで身につけるミニチュアですが、謙虚な拙妻は付けたことがありません。王室からのご褒美はこのメダルだけで、日本の叙勲のような金一封は無し。一方、授章式の画像や映像は有料で、かなりの高額。王室はビジネスが上手ですね。王室と階級制度
冒頭の説明で階級制度と階級社会との大まかな違いはお判り頂けたことと思います。ただひとつ付け加えるべき大切なポイントと言えば、王室が元になって構成された世襲爵位の中に、我々日本人が入っていくことは、ほとんど不可能だろうということ。 当方が思い出せる範囲で言うと、故男爵夫人マークス寿子さんだけです。ご主人が男爵だったので、婚姻関係を結んだご婦人として授かった称号が男爵夫人。もちろん、他にもいらっしゃることは考えられますが、妬みや嫉みの元にもなりかねませんから、賢者ならば、「ワタシは貴族よ~」などと、わざわざ自ら名乗り出ることもないでしょう。また、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロさんの場合、あの方は一代限りのナイトです。一代限りのナイトを授かった日本人は何人かいます。
ウェスト・ミンスター寺院での葬儀が許可されるほど、絶大な社会貢献に身を投じた慈善事業家のジョージ・ピーボディですが、ビクトリア女王自らが申し出た爵位を2度も断っています。ロンドンの貧困層を住宅面で救済した偉人で、その財団は現在も活動中。銅像はシティの王立取引所界隈に所在。爵位を辞退した人たちのリスト(英語版Wikipedia)さて、階級制度は、元来が封建社会の制度ですし、近世では世襲貴族に政治的な特権を与えた制度です。それゆえに、現代社会で、その存在意義を問う議論は少なくありません。特に、筆頭に挙がるのが王室の立場です。ただし、一旦王室を失えば、伝統と権威を取り戻すことは出来ませんし、そのブランド力による経済効果も失われるでしょう。それでも、もし、完全な民主主義制度を望むならば、王室は廃止すべきだという過激な論調もあります。イギリス王室の支持率はイギリス国民の過半数を超えていますし、政府は王室を失った場合の大きなデメリットも把握していると考えられますので、とりあえず大丈夫かなという気がします。そうなると、イギリス政府が平等で公正な社会を構成するための税制改革などを行わない限り、既存貴族もまた、特権を維持したまま今後も爵位と資産を維持し続けて世襲されていくことになるのでしょう。つまり、世襲財産を継承する社会状況が続くわけで、その親と子は同じ社会階層に居続けることになり、世襲貴族、伝統、ブランド、そして格差社会は今後も残る、ということになります。
超名門のパブリックスクール、ウィンチェスターカレッジの昼食風景。聞いたところでは、奨学生クラスの生徒のご両親の約半数が名門貴族の血を引く家系。名門の血筋は教養レベルも高いようですが、あとの半数は実力で入学した一般家庭出身の秀才たちです。中流以下の一般家庭出身の彼らですが、固定化した階級「社会」の上流階層を目指すことも可能な俊英たちでもあります。以上のように、社会階層の頂点が変わらないままであることが影響して、「イギリスは社会的流動性が低い」と、長い間言われてきたということも事実です。たとえば、労働者階級なら、その子どもがどんなに優秀でも労働者階級のままで一生を終えて、それで良しとする社会です。特に教育面では、全人教育や帝王学を学ばせる私立の名門校がある一方で、労働者階級の子どもたちは「あなたは足し算がそれぐらいできれば、それで十分よ」と教師に言われては、生徒も満足していたといいます。それぞれの階級に応じた教育が、つい最近まで施されていた、というのがイギリスの状況です。そして、当方がイギリスで生活して来た40年間に生じた社会階層の変化も、日本の皆様にはお伝えしなくてはならないかな、と感じています。なぜなら、それは将来の日本の姿に関わることだからです。
今回は、イギリスの階級の中でも、階級制度について、当方の思うところを述べてみました。しかし、まだ階級社会と格差社会、ひいてはイギリスの下剋上(社会的流動性)のお話は出来ていません。できれば、次回はその3つの項目について、軽やかに述べてみたいと思います。
Text by M.Kinoshita
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。