グレンロイヤルにまつわるストーリー | BRITISH MADE Staff blog

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グレンロイヤルにまつわるストーリー

熟練の技術を用いながら時代に沿ったフルブライドルレザー製品を生み出し続ける“GLENROYAL/グレンロイヤル”。
長い歴史を持つこのブランドは一体どのようにして生まれたのか?どのように我々と出会ったのか?
今回のブログではその背景と馴れ初めについてお話しいたします。

グレンロイヤルは弊社にて2番目に取扱いが始まったブランド。
スコットランドのニットメーカー“Macalastair/マカラスター”に次いで会社の歴史から見ても古くから親交のあるブランドの1つです。

その馴れ初めはマカラスターのAlastair Mackinnon(アラステア・マッキノン)氏の紹介によるものでした。
マカラスターとの取引が始まったのは1989年。弊社代表が42,3歳のころです。
フライフィッシング(イギリスでは愛好家の多い毛鉤を使用した伝統的な釣り)という共通の趣味もあり、
かねてから弊社代表と親交深いマッキノン氏からある日「友達がやっている良いブランドがあるんだ。」と紹介されたのがグレンロイヤルのデザイナーScott Latimer(スコット・ラティマー)氏でした。

その頃は携帯電話も無ければオンラインも普及していない、こういった人から人へという伝達手段しかありませんでしたが
ビジネスというよりは友人に近い関係から始まった出会いは、必然的なストーリーを感じさせる展開です。

当時、keybags(以下、キーバッグス)社というバッグを取り扱う会社のレーベルブランドとしてグレンロイヤルがありました。
キーバッグス社にはPeter Pattison(ピーター・パティソン)がディレクターとして、
そしてデザイナーにはスコットが、グレンロイヤルのキーパーソンとなる人物が所属していました。

ピーターは1974年にキーバッグス社へ入社、その翌年に早くもディレクターへ就任。
その4年後の1979年にChecker Leather(以下、チェッカーレザー)社を立ち上げ、独立します。

スコットは1974年以前からキーバッグス社に勤めていました。
そのとき彼が手掛けていたブランドこそがグレンロイヤルだったのです。
そしてキーバッグス社を離れる1995年にグレンロイヤルを買い取り、グレンロイヤルは晴れてチェッカーレザー社のブランドとなります。

少々経緯が複雑ではあるのですが、
厳密に言えばグレンロイヤルはキーバッグス社時代の2人からスタートしていたのです。

恐らく現在は1枚しかない当時の貴重なカタログ。旧サンプル製品を使用したと思われます。

恐らく現在は1枚しかない当時の貴重なカタログ。旧サンプル製品を使用したと思われます。

撮影された当時のカタログに写るサンプル製品をよく見るとロゴがアザミの花ではなく、鷹のロゴ。
実はブランドネームも“グレンイーグルス”という名称で始める予定でしたが、すでに商標登録があったため(G8首脳会議で用いられるホテル・ゴルフ場の名称)、改名を余儀なくされます。
そこでグレンを残し、「ロイヤル」という言葉にブランドの願い込め、“GLENROYAL/グレンロイヤル”となりました。

左:スコット・ラティマー 右:ピーター・パティソン

左:スコット・ラティマー、右:ピーター・パティソン

ピーターはスコットランドでは唯一の名門校Glasgow School of Artを卒業。
インテリアデザインのコンサルタントとして活躍したキャリアを持ち、キーバッグス社では主にハンドバッグのデザインを、
独立後はオーナーとして“ROWALLAN/ロワーレン”というバッグブランドに携わります。

そしてもう1人の重要人物が写真左のスコット・ラティマー。

前述の通り、彼と渡辺はマカラスターを通じて出会うことになります。
それは1990年、グラスゴーの市内にあるフライフィッシングクラブでした。

スコットは職人気質で、自分のブランドに誇りと思いやりがある人物。
それでいながらスコットランド人らしい、とても親しみやすい方です。
また、彼はスポーツマンでもありフライフィッシングやスキーなどを嗜み、弊社代表とも公私隔てず交流していました。

グレンロイヤルは前述の通り、元々キーバッグス社の所有するブランドでした。
チェッカーレザー社にて合流する1995年まで、グレンロイヤルのデザインを手掛けていたのは他ならぬスコットだったのです。
ある意味、彼がスタートしたブランドと言っても過言はないでしょう。

当時の工場を訪問した際の1枚。左が弊社渡辺、中央がピーター・パティソン、右がスコット・ラティマー

当時の工場を訪問した際の1枚。左が弊社渡辺、中央がピーター・パティソン、右がスコット・ラティマー

こうした人たちの出会い、それぞれの道が必然的に繋がり、1990年前半から本格的にグレンロイヤルの国内輸入が始まります。

さらにブランドを広めるべく、“SEHM(セム)”というパリの展示会へ積極的に参加していました。
現在ではPITTI UOMOが有名ですが、その規模の大きさからセムは前身とも言える最も注目されたトレードショーでした。
(今やブリティッシュメイドでお馴染みのチーニーやドレイクスのブースも。)
日本人バイヤーや小売店も惜しみなく頻繁に通っていたことから、その注目度の高さが伺えます。

当時のエミスフェール パリの切り抜き。主要人物である3人が並ぶ。

当時のエミスフェール パリの切り抜き。ピエール・フルニエ氏を含む主要人物である3人が並ぶ。

国内で一番最初に取扱いが決まったのはエミスフェール。かのピエール・フルニエ氏(現ANATOMICA/アナトミカ)がOPENさせた有名なショップの国内店です。
精巧な作りのダレスバッグが目に留まった事がきっかけで、そのままバッグの取扱いが始まりました。

イギリス製の信頼のおける革製品は男女問わず当時求められいたことも拍車をかけ、
グレンロイヤルの確かな品質と技術力の高さから、今や皆さまが周知する大手セレクトショップの目に留まりグレンロイヤルは流れるように国内市場へ展開していきます。

いずれのショップも2ハンドルブリーフケースやダレスバッグなど鞄がメインのバイイングとなりました。

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GLENROYAL – 3 COMPARTMENTS WRAP FLAPOVER CASE ¥205,200(税込)

弊社代表が一目惚れをしてブランドの取扱いを決めたのがこのダレスバッグ。
雰囲気のある色合い、丸くラウンドしたクラフトマンシップ溢れる美しいコバの処理、まるで映画で見たようなレザーバッグの美しさにとても引き込まれたとの事です。

グレンロイヤルに使用されるフルブルライドルレザーは元々馬具用で非常に堅牢な革。
そのエッジを美しく仕上げるには気の遠くなるような作業を何度となく重ねてようやく実現します。
グレンロイヤルは、何十万クラスの最高級品と比較しても勝るとも劣らない技術力を有していました。

なぜグレンロイヤルがここまでの技術力を有するに至ったかというとキーバッグス時代にW&H GIDDEN(ギデン)のOEMを手掛けていたことが挙げられられます。
W&Hギデンと言えばロイヤルワラントを1815年に授与した1806年に創業の由緒ある英国御用達ブランド。
授与歴としてはイギリスのレザーブランドとしては最も古く、特に鞄が有名なイギリスでは知る人ぞ知る伝説のブランドです。

当時の製品の中にはエンボス加工を施した鞄から小物まで製作されていた。当時から高い技術を有していたことが伺える。

当時の製品の中にはエンボス加工を施した鞄から小物まで製作されていた。当時から高い技術を有していたことが伺える。

当時からグレンロイヤルはキーバッグス社の傘下という事もあり革小物はもちろん、鞄作りに特化したブランドでした。

他のブランドが大きな革製品を作るのに十分な技術を持っていなかったのに対して、
グレンロイヤルは小物から鞄まで製造出来る、当時から他社メーカーに比べて秀でた技術力がありました。

数々のプロダクトの中でも取り分けクオリティの高い鞄がハイエンドのクオリティを求めるギデンに認められ、OEMに携わることになります。
キーバックス時代から約10年ほどOEMに携わり、高い技術力を更に磨いた後、チェッカーレザー社設立、ブランド発信へと注力、世界へ進出します。

そして現在のグレンロイヤルへと繋がるのです。

伝統的な素材、技術はそのままに、重さ約700gといった時代の要求する機能性を兼ね備えたと今のグレンロイヤルを体現するブリーフケース。

伝統的な素材、技術はそのままに、重さ約700gといった時代の要求する機能性を兼ね備えた今のグレンロイヤルを体現するブリーフケース。


GLENROYAL – LIGHT WEIGHT BRIEFCASE ¥76,680(税込)

その技術力は確かに引き継がれ、常にその時代に即した提案のもと作り続けられています。
特に高い技術力をもってして作り上げられる鞄はコスト面としても他ブランドとは一線を画し、今も根強い人気を誇ります。

今でもなおスコットランドの職人によるハンドメイド生産を保ち、モノ作りを追求し続けるグレンロイヤル。
決して留まることなく自分たちの日常生活に溶け込むことを心がけるブランドは伝統を大切にしながらも、変化し続けています。

作り手と我々の思いが通ったアイテムの数々、ぜひブリティッシュメイドでご覧ください。

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