100年を経て、益子にて再始動する濱田庄司とバーナード・リーチの友情の物語 | BRITISH MADE

100年を経て、益子にて再始動する濱田庄司とバーナード・リーチの友情の物語

2021.06.03

バーナード・リーチと濱田庄司 濱田庄司(左)とバーナード・リーチ(右)

1920年、濱田庄司(1894〜1978)とバーナード・リーチ(1887〜1979)が大志を抱き船で渡英しセントアイヴスにリーチポタリーを築いてから100年が過ぎました。2020年は、100年を記念し益子町やセントアイヴスや様々な場所で記念の催事が行われる予定でしたが、ウイルスの世界的な猛威の影響で順延や中止となってしまいました。そんな中、益子町では感染対策を万全に整えた上で1年順延し今年開催の運びとなりました。

2人の出会い

バーナード・リーチは香港で生まれ、エッチングの技術を広めるため訪日しました。そこで陶芸の魅力を知り富本憲吉と陶芸活動を開始します。一方、濱田庄司は東京工業大学で窯業の勉強をしながらリーチと富本の陶芸展を訪問し、リーチの東洋と西洋の気品高い折衷の表現に感心しました。その後濱田は東京工業大学の先輩の河井寛次郎に続き京都陶磁器試験場に入所し、河井と共に陶芸の研究に没頭します。さらに奈良で作陶を始めた富本憲吉を訪問し親交を結び、その富本から白樺派の拠点である安孫子に住む柳宗悦とリーチを訪問します。1919年、濱田とリーチの初会合は手応え十分で、翌1920年には二人で渡英する決意をします。

イギリスの最西南端に位置するセントアイヴスは、風光明媚な漁村で多くの画家が集う芸術の町でした。しかし、海風が強く窯焼きの燃料の樹木が充分に茂らず、岩場のため陶土も採れないという陶芸には不向きな場所でした。思うようにリーチポタリーを運営できないリーチは焦りと共に濱田に詫びを繰り返していましたが、濱田は「東京や京都での恵まれた環境下では得られない、何もないところから一から工房を立ち上げる経験が出来たことは素晴らしいことだ。」とリーチを励ましました。その後、西洋初の日本式の登り窯を築き、工房は徐々に軌道に乗りました。

濱田庄司 スリップウェアを手に持つ濱田庄司

西洋と東洋の交流

濱田は帰国後、セントアイヴスと同様に益子に一から工房を立ち上げました。イギリスから持ち帰ったイギリスの古陶スリップウェアは、柳宗悦と河井寛次郎と濱田で立ち上げた民芸運動の原動力の一つとなりました。それぞれの工房の充実を図りながらも濱田とリーチは互いに日英の往来を繰り返し、親密な交流を続けました。「西洋を男性、東洋を女性と考え、私の仕事は西洋と東洋を結婚させることです。」と唱えたリーチに対し、濱田も力強く応えました。その後、リーチを慕う弟子がリーチポタリーに次々と入り活況を呈し、西洋陶芸の聖地と目されるようになりました。また、益子も濱田の国際的な活躍により多くの陶芸家が集まり、日本最大の窯業地に発展するに至りました。

スリップウェア スリップウェアとはスリップ(泥状の化粧土)技法を用いた陶器。中世のヨーロッパで作られていました。その美に魅せられた濱田とリーチがセントアイヴスにて再現しました。
(写真は益子×セントアイヴス100年祭を記念して益子陶芸美術館と濱田庄司記念益子参考館の2つの展示を観覧した方、先着300名様にプレゼントされるブローチ)
濱田庄司[ガレナ釉蓋壺] 濱田庄司[ガレナ釉蓋壺]
濱田庄司記念益子参考館蔵 1922年
リーチポタリーにて制作

濱田とリーチ没後は一時的に交流が途絶えた時期もありましたが、1995年に孫の私を含む益子町の使節団がセントアイヴスやリーチポタリーを訪問したことから交流が再開しました。両町の中学生同士の交流が続き、リーチポタリー再建の際は益子町が寄付を行い、益子町の震災後はリーチポタリーが中心となりイギリス国内の寄付を取りまとめたり、また私がリーチポタリー再建式典でリーチ家の孫のジョン氏と共にテープカットを行い、さらに私がリーチポタリーで展覧会を開催しました。2012年には両町が友好都市となり、様々な交流活動を行い新たな物語を紡ぎ始めています。

リーチ・ポタリー リーチポタリー

この新たな物語に、前述の100年の記念祭を加えます。過去の100年の軌跡を振り返り、また次なる100年の物語を始動するこの記念祭では、益子町内の様々な場所で関連の陶芸やイギリスの文化の紹介を行います。6月12日~9月12日まで開催します。詳細は100年祭のWEBサイトやチラシをご覧ください。 くしくも100年前もスペイン風邪が世界中で猛威を振るっていた時期でした。そんな中、濱田とリーチは夢と希望を抱き船で大海へと進み、彼の地セントアイヴスで作陶の礎を築きました。100年の長いスパンに於いてはウィルスの感染時期は数年の一過性の出来事として記録されることになるのかもしれません。私たちは依然として感染対策などに責任を持つ暮らしを続けていかねばなりませんが、100年前の先人たちの強い勇気を見習い実り豊かな未来を創り出していきたいと考えます。

益子×セントアイヴス100年祭実行委員長
濱田友緒

益子×セントアイヴス100年祭
https://mashiko-st-ives100.com

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濱田友緒

濱田友緒

1967年 濱田晋作の子、庄司の孫として栃木県益子町に生まれる。多摩美術大学と同大学院で彫刻を学ぶ傍ら、濱田窯で陶芸の修行に打ち込む。1995年初個展開催以降、日本各地、世界各国の美術館、大学、陶芸施設、大使館、百貨店、ギャラリーなどで展覧会、講演会、陶芸ワークショップなどを開催する。MASHIKO Product代表として深澤直人デザインディレクションの益子焼ブランドBOTE&SUTTOの制作に携わる。濱田庄司登り窯復活プロジェクト会長。「益子×セントアイヴス100年祭」実行委員長。(公財)濱田庄司記念益子参考館館長。(株)濱田窯 代表。

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