3倍深く読むピーキー・ブラインダーズ・BBC人気ドラマ|BRITISH MADE

Absolutely British 3倍深く読むピーキー・ブラインダーズ

2021.06.04

パンデミックで制作に遅れが出ていたBBC人気ドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」シーズン6の撮影が、ようやく今年1月になって始まったとのニュースはファンたちを喜ばせた。放送はおそらく来年の初めになりそうとの情報が、この春にリリース。シーズン5が終わった後、もやもやとした気持ちを抱えたままの皆んなには朗報だ。

そこで最近になって同シリーズを一気見した筆者が、ごく私的な視点から見どころをひもといてみたいと思う(ネタバレあり!)。先ずはまだ観ていないという皆さんにも分かるよう、念のためドラマの解説をしてみよう。

https://www.bbc.co.uk/programmes/b045fz8r


「ピーキー・ブラインダーズ」は第一次世界大戦後の工業都市バーミンガムを主な舞台として繰り広げられる犯罪・社会ドラマだ。ピーキー・ブラインダーズと呼ばれた実在のギャングから多少の設定を拝借しているが、人物・ストーリー設定という観点からはほぼフィクションだと言っていい。

主人公はジプシーの血を引くギャング一家の次男坊、トーマス・シェルビー。冷静な観察眼と知性、留まるところを知らない野心とカリスマを備え、長男アーサーを抑えて実質的なボスとなり組織をまとめ上げていく。ピーキー・ブラインダーズを一言で説明するなら、トーマス・シェルビーという男の生き様と、その時代を描いたドラマである。

個性豊かなシェルビー一家は血筋で結束しているが、回を追うにつれて全員がトーマスの無謀な野心に巻き込まれ、地方ギャングの枠を超えて暗黒社会の深みにはまっていく。彼らはジプシーという底辺社会を基盤としている人々だが、このドラマで描かれるのは善良な一般市民、ロシア貴族から情報部、IRA、ユダヤ人ギャングやシチリアのマフィア、社会主義者からファシスト、権力に翻弄される女たち、ついでにウィンストン・チャーチルまであらゆる階層であり、さまざまな思想を抱く人々だ。ギャングも警察も善も悪も一緒くたで社会均衡をとる一勢力にすぎないと教えてくれる。

もう一つ忘れてはならない背景は、このドラマに登場するほぼ全ての成人男子たちが第一次世界大戦で戦い、なんらかの地獄を見てきたということだ。シェルビー一家も例外ではなく、長男アーサー、次男トーマスは、ともに戦争後遺症を抱えて苦しんでいる。登場人物たちは何かにつけ戦中のことを話題にし、敵か味方か相手の立場を推し量る。戦後の混乱の中、時代は新しい気運が生まれ出ようとする大きなうねりの中にあり、デジタル化した現代社会からは想像もつかない骨太な泥臭さも見どころだ。

トーマス・シェルビーは賭博や違法取引などを通して裏社会での勢力を拡大していくとともに、合法的なビジネスマンとして表社会での権力も手に入れようとし、裏の手を使って政治家に成り上がり、バーミンガム外にも勢力範囲を伸ばしていく。1920年代から第二次世界大戦へ向けた大きなうねりの中で、数多くの人が命を落とし、悩み、泥沼にハマり、そして新しい生命が誕生していく。

目が離せない重厚でスタイリッシュな映像、耳にまとわりつくアコースティック・ロックのビート。その魅力を語ればキリがないピーキー・ブラインダーズの見どころを、極私的な視点からご紹介しよう。


見どころ1:トーマス・シェルビーの色気

アイリッシュ・ウイスキーのガブ飲みとヘビースモーキングで、見ているこっちがむせ返りそうになる彼。ものを食べているシーンが皆無と言ってよく、唯一の例外は窮地に陥りジプシーに戻って野外を放浪する時に口にする、雑草だけ(デトックスするために草を食べる動物にそっくり)。
ささやくような低音ヴォイス、ほとんど笑わないが陰影のある瞳、気をそらせないストレートな物言い、強引とも言える強いリーダーシップと知性、素早く正確な決断力、強者がもつ逆説的な優しさ、そして弱さ。キリアン・マーフィー演じるトーマス・シェルビーは、その全てが溶け合ってカリスマを放ち、粗暴だが美しいサラブレッドのごとく相対する者を圧倒する。このドラマの人気の9割を、その魅力が担っていると言っていい。

見どころ2:トーマス・シェルビーの戦略

トーマス・シェルビーは硬と軟を使い分け、底辺から最上階級まで縦横に行き来できる立場を築き上げる。自分の手足のような情報ネットワークを駆使し、よく練られた謀略と人間的な魅力で立ち回るが、最大の武器は相手の懐に切り込んでいくような率直な物言い、そしてジプシーらしい直感力。相手の弱みを握り、ギリギリまで近づいていくのはお手の物で、女たちとは噛みつかれながらも絶妙な均衡を保っている。唯一弱音を吐けるのは、無意識レベルでトーマス・シェルビーの異質な個性に気づいているウィンストン・チャーチルの前だけ? したたかなファシストに「君が目指す先はどこかね?」と聞かれ「I am my own revolution」(俺自身が革命なんだ)と即答できるカッコよさ。彼は自分でルールを作る恐ろしくも頼もしい合法ギャングであり、ストラテジーは常に自分の胸だけに秘めている。


見どころ3:ジプシーという流浪の民

トーマスが仲間とみなし、結束し、時に敵対しながらも結局は戻っていく場所がジプシー社会。シェルビーたちはロマ語を話すので霊的なルーツとしてはエジプトに起源を持つロマの人々だと思われるが、肉体的なルーツとしてはアイルランドからやってきたジプシー「アイリッシュ・トラベラー」だ。恐れを知らないトーマスもジプシーの言い伝えや迷信を信じている感があり、夢見やドラッグによる幻想の中から警告を受け取っている。また叔母のポリー(ヘレン・マックロリー)は鋭い第六感や予知能力が復活し、生まれてくる赤ん坊の性別を言い当てることができる。
作品に描かれた頃のジプシーの人々は出生証明もなく、食べるために法をおかすことになり、結局は逃亡を兼ねた旅を続ける放浪の民だった。また彼らの立場を利用し、犯罪やスパイ活動を持ちかける輩もいたはずで、社会における闇の役割を請け負う側面も強かったに違いない。ゆえに民族としての結束も固く、ネットワークもより確かなものになる。
作品内でトーマスがチャールズ・チャップリンと知己になっているのも面白い伏線で、チャップリンがジプシー・コミュニティで生まれた可能性が高いという記事が、2011年のガーディアン紙に載っている。記事によると、チャップリンが生まれたのはまさにバーミンガム郊外(!)のジプシー・コミュニティ。シェルビーとチャップリンは結束の固いジプシー・ネットワークで繋がっていたとほのめかしているのだろう。

見どころ4:アーサー・シェルビーの弱さ民

トーマス・シェルビーの兄であり、シェルビー一家の長男がポール・アンダーソン演じるアーサーだ。戦争後遺症に苦しんでいるのはトーマスと同じだが、弟が悪夢に苛まれているのとは違って、兄は恐怖体験から神経症を患い、喧嘩になると恐ろしく凶暴になってしまう殺人兵器のような存在として描かれる。シーズン途中からクエーカー教徒の献身的な妻を迎えて改心すべく自己改善に取り組むが、どうしてもシェルビーの血に戻ってきてしまう。
アーサーが象徴しているのは、思うに男性性の非常にもろい部分なのではないだろうか。男性の暴力の影には、虚勢や男らしさの誇示、ストレスからの逃走などあらゆる理由が考えられ、シェルビー一家の男たち一人一人の暴力に、深い部分でどんな個人的な理由があるのかを考えてみると興味深いのかも。手っ取り早く自信をつけるために、女が化粧や洋服で着飾るのと同じように、男性はマッスルを鍛えて自信を手にする。現在のようにモダン化された社会になる前の男たちが抱えていた問題をひもといていく、格好の材料を提示している作品でもある。


見どころ5:トム・ハーディーのアルフィー・ソロモンズ

個性派俳優としてありとあらゆる役柄を次々とこなすトム・ハーディーだが、ユダヤ人ギャングの親玉、ミスター・ソロモンズほど嬉々として演じている役柄はないのではないかと思えてしまう。(ロンドンに暮らしていると「こういう人いるいる」と思わず笑いがこみ上げてくる。)強い下町訛りを操り、本音の中で愛嬌たっぷりに振る舞い、ジョークの中に脅しを交えて煙に巻く一種のトリックスターである彼も、トーマスと同じ自分のルールで生きる者の一人。トーマスとは殺し合いもするけれどある種のシンパシーがあり、ギャングのボスとしての悲哀を分かち合える仲として描かれる。でもやっぱり引退後は海辺のリゾート地に引っ込んで犬と過ごすなんて、あまりにもイギリス人的すぎる(笑)。 彼の抱えているトラウマに迫る番外編も見てみたいものだ。


見どころ5:スタイリッシュなピーキー・ファッションと音楽

それにしてもピーキー・ブラインダーズたちのファッションはイカしている。特にトーマス・シェルビーのファッション・センスはピカイチで、(カミソリを仕込んだ)大ぶりの鳥打帽を目深に被り、後ろから見ただけでは誰か特定できないように後頭部の髪を刈り上げ、パシッとツイードやフランネルの三揃を着込んでオックスフォード・ブーツで決める。モデルになった実在のピーキー・ブラインダーズたちが、テーラー仕立ての三揃のスーツをユニフォームのように着こなし街で目立っていたことから、ドラマでもピーキーたちはファッショナブルな男たちとして描かれているのだ。当時はもしかするとこのスタイルに密かにときめいた女性ファンもいたのかも。
そしてドラマをさらにスタイリッシュに盛り上げる重要なエレメントが音楽。バーミンガム工業地帯の重厚感のある映像にマッチするダークでロックンロールなハートに沁みる選曲がずっしりと重い。このドラマを見ていると非常に漫画的な演出だなと思う。映像とキャラの個性で引っ張っていく脚本。吹き出しに入っているような決めゼリフ。このままのコマ割りの漫画があってもおかしくない。


見どころ6:神話が暗喩するもの

「君はデュオニソスであり、アポロのようでもあるな」と、ライバルから評されるトーマス。まさに彼は混沌であり太陽でもあるのだが、こう言ったギリシャ神話などからの暗喩はストーリーの至るところで出てくる。例えば イカサマ・ボクシングのエピソードで古代イスラエルの末裔であるはずのアルフィー・ソロモンズが「ゴリアテ」と呼ばれる巨大な男を連れてきたとき、トーマスは名前を聞いて「ウチのダビデを紹介しよう」と切り返している。その後、ダビデとして活躍したこのボクシング少年は敵の手に落ちて十字架に磔となって死んでしまうのだが、イスラエル王のダビデはキリストの祖先とされているので、これも何やら符号するものがある。
シーズン5で死んだと思ったソロモンズを、彼の別荘に訪ねたトーマスが見た屋内タイルには「Lethe」(レーテー)の文字。これはギリシャ神話で冥界の王ハデスの国に流れる「忘却の河」のことで、蘇ってきたソロモンズを表しているようでもあり、トーマスが忘却の国に足を踏み入れているようでもある。チャーチルとの会話の中ではトーマスにギリシャ文学の素養があることがほのめかされているし‥‥もっと詳しく見ていけばさらなる暗喩が出てくるはず。ドラマのクリエーターであるスティーブン・ナイトは、ピーキーがあたかも20世紀のオデュッセイアであるとでも言いたげだ。

見どころ8:トーマス・シェルビーの半身

シーズン1で、スパイとして送り込まれたアイリッシュ美女、グレース(アナベル・ウォリス)と運命の出会いを果たしたトーマス。二人ともほぼ一目惚れ。ジプシーたちの習慣を見ていて決定的に上流社会と違うと感じるのは、必ず愛のある二人が結ばれることだ(ときに三男坊ジョンのような政略結婚もあるけれど結果オーライ)。燃えるような愛こそ彼らの原動力であり、夫婦仲がいいのは当たり前。偽善に生きないジプシーの誇りをそこに感じるようでもある。
トーマスはグレースと出会い、彼女の中にきっと自分にないものを見た。初めて結ばれたベッドの中でグレースに優しく語りかけるトーマス。もう苦しめられていた戦争後遺症のトンネルを掘る音も聞こえない。
I found you. You found me. (俺が君を見つけ、君も俺を見つけてくれた)
絶対的な運命を感じ取る中で、一次的な別れが訪れ、そして幸せな結婚へ。しかし、それも束の間、永遠に彼女を失ってしまう(悲しみで狂気の寸前までいくトーマスだが、外から見ているとかなり明白な因果応報の物語‥‥)。自らの半身を失った彼はもがきにもがいて自分を見失い、そして政治家への道をたどる。これは自分自身を100%実現するために絶対的に必要だった何かを置き去りにした男が、為すことを見つけるためにとった行動にすぎなくて‥‥何が彼を突き動かしているのか。陳腐な表現だが、グレースはまさにトーマスが戻っていく場所だった。帰る場所を失った男がすることとは? そこから本当の幸福へとたどり着くには?


見どころ7:女は男を救う?

全編を通して最重要テーマとして描かれているのが、ズバリ男と女の関係性だ。時代背景として社会主義的な男女平等や女性の権利などにスポットが当たる脚本になっているが、家庭内では女の助けなくして男は活力を得ることができない。これは性生活だけでなく、帰趨本能を持つ男性性の本質的な部分なので、来たる最終シーズンでは女性の強さをさらに輝かしいものとして描いて欲しいなどと思ってしまう。
こういう男性性の強いドラマを見ると、いつも古代ギリシャの戯曲「女の平和」を思い出す。戦争に明け暮れる男たちに対して、女性がセックス・ストライキで戦争終結を要求する喜劇だ。ピーキー・ブラインダーズでも女たちが女性の地位向上を要求してストライキをしていたけれど、何か呼応する部分があるなと感じている。ちなみにシェルビー商会ではジプシーのやり方を取り入れているため、女性の発言力は何気に強いし、性別に関係なく家族メンバーへのリスペクトもある。
それとは別に、トーマス・シェルビーの強い男性性は、常にその反対の性を求めている。シリーズ全体を通して女性全般の描かれ方、扱われ方が良いか悪いか意見は分かれると思うが、男性性の凄まじい征服欲と所有欲を表現するための性描写は見ていてさほど楽しいものではない。それに比べハートの和合がなされた関係性において、その性描写はとても美しい。
一つだけわからないのは、リジーという女性の存在。図らずも娼婦からトーマスの後妻になった彼女は、逆説的な意味で女版トーマスのようでもあるけれど‥‥。決して得られないトーマスからの真実の愛。彼女がトーマスを慕っているのはわかるけれど、尊厳を踏みつけられながら、なぜそこに留まり続けているのか。身体と献身は求められても心は求められないリジー。本人もトーマスとともにいることを「自分で選択している」と言っているので割り切りもあり、自分が手にしているものを見る強さもある。でも決して幸せではないんだよね。個人的にはリジーの行く末が、このドラマの最終シーズンの見どころの一つだと思っている。

最終シーズンへ向けて!

自分で選んだ世界に息が詰まりそうになりながらも、トーマスはこう言う。「Nothing can stop us….」(誰も俺たちを止められない)。そう、誰も止められない。自分以外は。トーマス・シェルビーは自らルールを作り、そのルールの中で生きる。彼も含め、人は自分自身で毎瞬毎瞬、行く道を選択し続ける。男も女も。一つの例外もなく。その結果を受け取っていくのも自分なのだ。

シーズン2の終わりで、トーマス・シェルビーは絶体絶命の死に直面したときに人生最後の言葉を叫んだ。「あと少しで山のてっぺんが見えるところだったのに‥‥」と。あなたは死に際に、空に向かって何を叫ぶだろうか。

さぁ残すところあと1シーズンで終わり(次は映画という話もあるようですが!)。トーマス・シェルビーの野望と、あまりにも多く払われた犠牲、そして慈善事業活動(!)のバランスなどがどう彼の運命に反映していくのか、乞うご期待!


Text by Mayu Ekuni


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江國まゆ

江國まゆ

ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。

http://www.absolute-london.co.uk

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