未来の足元にあるロンドン | BRITISH MADE

Little Tales of British Life 未来の足元にあるロンドン

2017.08.01

「シティからビクトリア駅に向かうには、バスNo.8かNo.25が便利でしょ」1990年代初め、当時50歳そこそこの義母は30年以上前の記憶で正確にバスルートを言い当てていました。今でこそ、このルートは簡素化、且つ細分化され別ナンバーのバスがNo.8やNo.25のルートを補うように走っていますが、ロンドンのバスルートは、戦前に遡っても変化が無いほどで、かなり長い期間維持されてきたのですね。当方も20年以上前にシティの営業マン時代には、バスルートが頭の中に入っていて、ヒップレスのバスに飛び乗りと飛び降りを重ねて、目的地に向かっていました。また、25番のバスは通勤でも使っていました。エスカレータなどで昇り降りの必要な地下鉄よりも若干速い(ような気もする)し、外の景色も見えて快適ですから。

ロンドンの空 イギリスに戻った。という実感を得られる光景です。イギリスの空の特徴についてもいずれ語りましょう。

義母は1940年に生まれてから、我妻を生み育てるまでの25年間をロンドンの同じ地域で暮らしていたので、シティから大ロンドンに至る「丸い都市ロンドン」をよく把握しています。交通や過去の街並みなど、彼女とロンドンについて話していると、見たことも無い1960年代のロンドンが現代に蘇るような気分になって来ると同時に、変わらないロンドンの姿と、今後変化して行く方向性が判るような気がして来ます。

ところで、去る6月(2017年)にイギリスに一時的に戻ったのですが、妻はロンドンの現在に触れられて、とてもほっとしたそうです。テロで重々しくなったロンドン、Brexitで混乱する政治と経済などが、彼女の故郷でもあるロンドンがもはや彼女の知らない場所へと変貌してしまったのではないか、という危惧を抱いていました。

妻は倹約を是とするメソディスト教信者ですから、普通なら絶対に支払わないであろう金額を払ったので、少々驚きました。当日券の30.95ポンドを躊躇することもなく払い、The Shardに昇ってロンドンを244mの上空から眺めようと言い出したのです。 息子の働く事務所と、そのつい2週間前に起きたロンドン・ブリッジのテロ現場までは徒歩の範囲であること、ロンドン塔、ビッグベン、バタシ-発電所跡の4つの巨大煙突、我々の家の方向の景色、ウェンブリースタジアム、五輪競技場跡、クリスタルパレスなどグレーターロンドンの名所の位置などを確かめると、我々の生活の場でもある現在のロンドンをしっかりと受け止められたような気がして、「ああ、よかった」と、妻も大変に満足していたようです。

the shard The Shardは観光だけは無く、現在の我々の暮らしを見つめるのに役立つと思いました。ロンドン・ブリッジからテムズの川面を下に覗いただけで、身震いするほど高い所が苦手なので、The Shardには昇りたくなかったのですが…。
20170801_mac_05 72階にある360度が見渡せる展望室の高さは244m。東京タワーの特別展望台は250m。
20170801_mac_06 夏至の1週間ほど前、6月13日午後8時37分、The Shardから東を望む光景です。この日の日没は午後9時15分ごろでした。残念ながら、日没は雲の中。この光景を見て涙ぐむ妻の目には平和への祈りが込められていました。ロンドンは我々の生活の場なのです。

息子は数年前からシティで働いているので、いつの間にやらロンドナーの仲間入りをしています。ロンドナーには江戸っ子のような「3代続いて…」のような定義はありませんので、棲んでいれば、仕事していれば、誰でもロンドナーです。彼と語りながら歩いていると、変わりゆくロンドンを感じさせられます。

20170801_mac_07 これもロンドンの変化のひとつ。ペダルバスです。最近はヨーロッパ中に普及しているようですね。

我が子らの所属したパブリックスクールはロンドン郊外でしたし、大学も地方都市でしたので、学生を終えるまでの彼らがロンドンに触れるには物理的にも距離がありました。ティーンエイジャーになるまでは、当方が週末にロンドン中心部に出る用事があると、子どもたちのどちらか、あるいは両方を連れて出ることはよくあることでした。「一緒に行く?」と言うと、必ず「行く」と返事していたように記憶しています。子供にもロンドンは歩いているだけで、刺激と魅力がいっぱいだったようで、ティーンエイジャーになってからは、かつて当方と一緒に歩いた道を友人たちと歩いて、父親から学んだロンドンの薀蓄を語ったのだそうです。

一方で、彼らの友人のご両親の中にはシティから20キロも離れていない郊外に50年以上住んでいながら、ロンドンの中心部に行ったのは人生で数回だけというイギリス人も珍しくありません。無料の博物館や美術館を観て、オクスフォードサーカスを歩きたいという程度の日帰りロンドン見物をしに行くティーンの子供たちを送り出すことに、その親たちが難色を示すこともあります。「ここから1時間も掛からない所なんだよっ!」と親を説得するのが大変だった。という話も聞いたことがあります。90年代まではIRAのテロもたまに起きましたから、平和な郊外に住んでいる人たちが、都市のテロに恐怖を覚えるのは無理も無い反応だったかもしれません。

20170801_mac_03 中世から近世に掛けてのロンドン・ブリッジの模型です。Museum of Londonでも観られますが、ここLower Thames St.にある教会St Magnus Maytrの中にも展示されています。 シティの中にはギルドとの繋がりの深い有力な教会が今でも多く存在します。

駅まで送ってくれた親から、「気を付けるんだよ。元気で戻って来るんだよ」と言われて、今生の別れのような態度を取られるとティーンとしては親に反発したくなるばかりと思いきや、心配してくれる親に対して「心配ないよ」と語り掛けて、親子ハグしては思いやりを示し合う関係を築いている家族もいるわけで、家族によって異なるやり取りは新鮮でもあり、育て方なのか、それとも育ち方なのか、とどちらにしても親の子に対する接し方、全人的な教育の成果が垣間見える気がします。

郊外からロンドンに向かう際の気持ち、それはちょうど、ティーンの神奈川県民が多摩川を渡って東京都に入る時のような、高揚感、特別感があるのかもしれません。他県民の方には判りにくい表現かもしれませんので、言い換えれば、初めて明治神宮の表参道を歩いた時に、「ここは本当に日本だろうか」と、地元とのカルチャーギャップを覚えたような感覚…、ということでお判り頂けるでしょうか。そのようなワクワク感を親の世代にもなってロンドンに対して持ち続ける(いい歳こいた)イギリス人の姿は滑稽というよりも、むしろ羨ましいような気もします。笑

今回、息子とは木曜日にシティのレストランで食事をしていると、意外な変化に気づきました。食事した場所はスペイン料理屋で、かつてその場所には当方の行きつけのパブがあった近辺です。近辺というのも、ロンドン大火の起きた1666年以来の再開発が進んで、10年以上に渡って工事が行われていた場所ですから、正確な位置が把握し難いのです。おまけに、木曜日というのにレストランはどこも混み合っています。「最近の木曜日はどこも混んでいるんだよ」と息子。「20年以上前は金曜の昼からLiquid lunch(ビール)が始まり、午後は7時か8時まで飲んで、べろべろに酔って帰るってのが普通だったけどね」と、当方が言うと息子は応えました。「木曜はビジネスディナー、あるいは友人たちとのディナーやドリンクスを楽しむんだ。金曜に昼から飲む習慣は変わらないけど、それでも仕事を早めに切り上げて家族のために帰宅するんだよ」 しかも、地元駅で一束の花を買って家路に着くとき、ビジネスマンの姿は家庭を守る紳士へと変わっています。(ご参考:ジェントルマンシップと花の威力

20170801_mac_04 St Magnus Maytr教会の礼拝堂の脇に展示されている消防車。ロンドンの大火後、1670年ごろに開発されたもの。この時代からロンドンの建物は石造りになり、耐火構造が進んでいきます。

義母の語る過去のロンドン、妻の危惧する現在と将来のロンドン、ほとんど行ったことの無い人たちが妄想を広げる魑魅魍魎の棲むロンドン、息子の働く現場としてのロンドンなど、ロンドンはイギリス人だけでなく、我々外国人のイメージする様々なロンドンもあるわけです。時空を超えて語られる街ですので、四次元の都市と言ってもいいかもしれません。当方もロンドンという存在のお蔭で(他誌の)記事が書けるわけですので、多角的な視点を忘れないで行きたいと思っています。

多角的な視点というわけでもありませんが、これだけの大都市なのに、何故日本語では「ロンドン都」ではなく、「ロンドン市」と言うのか?そんなことを考えたことはありませんか?おそらく、邦訳のタイミングに依拠したことと推し量られますが、明治時代にロンドンが紹介された頃、東京は府であり、現在の特別区23区は東京市と呼ばれていたために、東京市に相当する大都市としてロンドン市という邦訳になったのではないかという説があります。因みに、1940年ごろの人口は東京府が7百万弱、大ロンドンが8百万弱です。戦後の東京は倍近くに膨れ上がりましたが、大ロンドンは今でも統計上は8百万強です。

当方は、かつて、ロンドンの裏道散歩ガイドとして駆り出されたこともあるロンドンフリークではあるのですが、本稿で与えられた役割は、当方の経験したイギリスの姿を皆様に紹介することですので、あまりロンドンに特化して来なかったことはご承知くださいませ。余談ですが、当方と一緒にロンドンの裏道を歩くと100m進むのに2,3時間掛かることがあります。「過去の話ばかりでダサイ」と、若者に言われてしまうこともあるのですが、歴史とは、現代と未来との語らいであることが、彼らに伝えきれていないのは当方の未熟さゆえかもしれません。

20170801_mac_08 80年代から行きつけの中華飯店の経営が変わっていました。同店の有名なクリスピーポークとダックの料理はもはや見ることすら叶いません。ロンドンの悲しい変化のひとつですが、きっと時代に合った美味しい料理が提供されるのでしょう。

因みに、幼い頃から父親に世界史をたくさん聞かされた拙娘は大学で歴史学も専攻しました。彼女とは世界の未来について語り合う際に、たくさんの史実を引用しています。息子の情報は今のロンドンを知るには便利ですが、歴史という根拠を持った娘との語らいからは、我々の知らない筈の将来や未来の姿が見えてきます。イギリスについて言えば、世界に火種を撒いた歴史を持つ国ですから、その将来や未来は楽観視だけに止まるモノではありませんが…。

Text&Photo by M.Kinoshita

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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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