牧歌的ノーサンバランド紀行 その2「ニューカッスルからアンブルまで北上」 人がほとんど見えない田舎町と海岸線 | BRITISH MADE

Little Tales of British Life 牧歌的ノーサンバランド紀行 その2「ニューカッスルからアンブルまで北上」 人がほとんど見えない田舎町と海岸線

2018.11.06

本年2018年の8月5日から18日までの約2週間を費やした、ノーサンバランド紀行の続きです。当方の経験について皆さまにお伝えしたいと思います。

ガイドブックにも載らない街

日本ではノーサンバランドについて書かれた旅行ガイドブックが見つかりません。同じイギリス国内といえども、ロンドンと比べると旅行先としては相当にマイナーな地域です。遺跡や史跡があっても従来の観光地と言えるほどの旅行インフラが整っていないので、日本仕様のガイドブックとしては何も書きようがないのかもしれません。
不毛感を漂わせる旅行ガイドブックは、日本的にはレア物ではないでしょうか?

ノーサンバランドに関する限り、英語ではこうして分厚いガイドブックが数社から出版されているのですね。かねてから観光地に行こうとはしない天邪鬼な当方ですが、もしかしたら、イギリスには天邪鬼という名の個人主義者たちによる安定したマーケットが存在するのかもしれません。どれだけの市場規模であるのかは分かりませんが、このガイドの情報は地域の特徴が適格に明示されています。日本のガイドブックとの大きな違いは、食事やお土産の情報などがほとんど掲載されていない点です。このガイドブックは本稿のために備忘録としても利用しました。

お地質的に見た感じ・・・

南イングランドではカルスト台地の連続したうねりが広がります。一方、北イングランドの北海側の海岸線沿いを望む陸地はわりと平たんですので、同じイングランド内でも地質の違いが判ります。砂岩の名産地でもある北東イングランドならではの個性的なインフラについても、後々少しだけ触れてみます。
ニューカッスル空港に到着直前の機窓から北海と北イングランドの田園を望む風景

ドーバー海峡を通るメキシコ湾からの暖流と、North Sea(以下、北海)からの寒流ミルキーカレント(別名ミルキーウェイ。親潮に相当する寒流)との両者の海流がぶつかり合う海域がドッガーバンクに当たるこの沖合になるはずですが、ブリテン島をほぼ横断するタイン川や、ツイード川など北海にそそぐ河口から伸びる自然の砂洲はすべてが南に向かって伸びていることから、北海側からの寒流の方がメキシコ湾からの暖流よりもやや強い潮流であろうことは、地図を眺めるだけでもその地形の成り立ちから推し測られます。また、この辺りの海域は沖合のドッガーバンクも含めて豊かな漁場として知られていますが、黒潮と親潮がダイナミックにぶつかり合う日本の沖合、太平洋岸の生物多様性とは規模、種類の数、そして生物の絶対数も異なります。
アンブルの漁港ではイギリスにしては海産物も豊富です。この中で、日本でも珍しいものと言えば、右端に見えるHalibot(おひょう)でしょうか。初対面では肥えたヒラメかと思いました。おひょうは照り焼きを筆頭に、刺身でも上等な質感ですがかなり脂っこい。フィッシュ&チップスでもプレイスの次に美味しく揚がる代物です。左のラミネートパック「キッパー」については次回記事でご説明しますが、この地域の産業を築いた魚です。

そして、この砂洲(さす)に囲まれた穏やかな湾や入り江が自然発生的に生み出した良港を拠点に、8世紀にバイキングがやって来る以前から港町として発展して来たことは、港湾設備や防波堤が近代化された現代になっても原形のコーストラインから伺い知ることが可能です。
イングランド北部から北海に注ぐコケット川河口の北側に広大な砂洲が構成されています。北海岸に数多く構成されるこの砂洲がノーサンバランド沿岸では自然防波堤になって漁港を形成しました。

ノーサンバランドを支えたのは農業(牧羊を含む)や漁業という第一次産業だけではなく、石灰など化学製品の原料や建築用の石を採掘する場所として発展した歴史を伺い知ることは現在でも可能ですので、その事実も画像で示しながら述べて行きます。

現在訪れる旅行客のほとんどがアングロサクソン系のイギリス人ばかりで、8月初旬夏休みの真っただ中にも関わらず2週間の旅行中にはフリンジフェアで湧くエジンバラに到着するまで、当方のようにアジアな顔をした人種を見ることはありませんでした。この旅行中にひなびた街中のショーウインドに映ったアジア人を見て「あ、久しぶりの東洋人」と思ったら、それは自分の姿であったという自己完結的な笑いの場面に遭遇したこともあります。30年以上前の南イングランドのローカルタウンを思い起こさせる懐かしい、失われたはずの心象風景を目の当たりにした気分でした。今後しばらく観光地化が進みそうにないので、1980年代の古き好き(良き?)イギリスの姿が、ここノーサンバランドで再発見できるのかもしれません。
ノーサンバーランドでは風力発電がwind farmとして多く連なっていました。車を運転していたので、壮観な景色はなかな撮れませんでしたが、水深15mほどのドッガーバンク上にも海上風力発電として稼働しているとのこと。地上の発電機の中には故障してプロペラが外れかけたものも見かけました。この巨大なプロペラを吊り上げるクレーンなどあるのだろうか、と心配になりました。

ニューカッスルが産業都市として発展する一方、周囲に散在していた村や町は数十年にも渡って過疎化し、本来の姿や機能を失ってしまいましたが、今では自治体や半官半民の団体が海岸沿いにキャンピング施設を充実させています。そして、完全民営のレベルで別荘を建てる人たちも増えています。シリーズその1の記事では、観光地ではないのに「居住者よりも来訪者の方が常に多い街や村」と紹介していますが、一度過疎化した地域に残された「もはや失われた自然」が広がっているので、現在では、イギリスの都会の住民には、何もない田舎暮らしを楽しむために訪れる場所となっているのです。おそらく、このノーサンバランドだけでなく、観光資源も無く過疎化した地域全体で起きているイギリス全体の現象であると述べる英文記事も見かけました。もしかしたら、日本や他の国でも同じような現象は既に起きているのかもしれませんね。最近の日本は離島への移住ブームと聞きますし…。
タインサイド(ニューカッスル周辺地域)と言えば、石炭、鉄鋼、造船などのブルーカラーの街で、且つ熱狂的なフットボールファン、酔いどれがビールを求めて集まる街、そして零下を下回る真冬でもノースリーブでミニスカートのドレスで歩き回る濃い化粧の独身女性(14歳以上)が夜な夜な歩き回る地域という印象を持つ人が多くいました。しかし、The Angel of Northが建てられた1990年代から事情は変化していきます。産業構造の変化で工場は無くなり、跡地はモダンなギャラリーへと街のインフラも変化して今日に至っています。

レンタカーと宿

今回の旅程をざっくりと述べますと、赴任先だったソウルから新任先の東京への途中に、当方の生活拠点であるイギリスに1か月間立ち寄り、最初の2週間はノーサンバランド旅行、次の2週間はロンドンで日本への赴任準備という行程でした。イギリスでは、まず、ヒースロー空港からニューカッスル空港までは空路、空港からレンタカーを駆ってエジンバラまで4つの宿を数日ずつ連泊しながら2週間掛けて北上するという計画でした。日本からニューカッスルを目指すのでしたら、スキポール経由のオランダ航空やパリ経由のエア・フランセなどを利用することも可能です。
ニューカッスルはヴィアダクト(高架橋)の街。東西に走るタイン川には象徴的な4つの橋が南部イングランドとスコットランドとを結ぶ懸け橋として歴史を積み上げて来ました。谷と谷とを結ぶ橋の威容は新世界への扉のようにも感じられます。

猛暑のソウルから普通に寒いイギリス北部へ。我々がソウルを発った時の気温は摂氏40度でしたが、ニューカッスルに到着すると摂氏18度。しかも明け方の気温は摂氏9度。真夏と(晩)秋、二つの季節の服装が必要でしたが、この気温差を12時間以内にまともに被るなり、カビ臭く湿った寒さに凍えるというイギリス的な洗礼を受けた気分になりました。

今回我ら夫婦二人が使った宿はすべてAirBnB(以下、エア B&B)で、どれも海岸から100mと離れていない場所でした。一般的にイギリスのエアB&Bのオーナーは、本人が別荘として使う家やアパートを、普段は我々のような旅行者のためのエアB&Bとして利用させることで、賃貸ビジネスを展開しているのですね。ファイナンシャルプランナーの話に拠ると、原資は借金でも、平均的に5~6年以内で元手が取れるそうです。ただし、年間の稼働率は80%以上というのが条件です。

エアB&Bでは、基本的に一軒、あるいは一室を丸々借り受けるので、自由且つ気楽です。ご存知のようにB&Bは本来ベッド&ブレックファストを意味しますが、エアB&Bではブレックファストも自前です。今回、韓国から日本に転勤する間の一時帰英であった当方は、韓国陸軍御用達の即席ビビンバを持参して何度か朝食にしていました。最初の数日間宿泊した港町アンブルではイングリッシュ・ブレックファストを提供するカフェは数店ありましたが、どれも午前11時が開店時刻でした。やはり、イングリッシュ・ブレックファストとは、いつ食べても良いメニューなのですね。
地元のチーズ専門店。ひとつのアイテムの平均的な価格が日本円にすると400円前後。しかも、このバリエーション。これも紛うことなきイギリス食ですが、「おいしくない」ものは見当たりません。むしろ、キャラクター不在な味わいの国産と、外国製チーズの値段(原価+輸送料+保険料+諸手続き料+関税+高級品仕様化+販社マージン)との両方が、日本のチーズ事情だと思います。イギリスでは庶民的な一般消費財が日本では高級化されて売られていることも価格を吊り上げる要因になっています。

ニューカッスルからアンブルへ

ニューカッスル空港は国際空港と言いながら、フィンガー方式。つまり、サテライトは一つ。そして、ボーディングブリッジの10基中3基は故障中という具合で、極めてローカルな空港施設です。当方のスーツケースは夏/冬服と和食材でパンパンに膨れていましたので、壊れないかと心配していましたら、案の定ひとつのスーツケースのファスナーが破損して、半分開いた状態で荷物のターンテーブル上に現れました。

その場に空港職員が寄って来て、ガムテープを渡してくれました。彼女が言うには「よくあることなのよ」 本当でしょうか? 当方も元航空マンでしたし、当方の渡航人生では初めてのことです。ガムテープで応急処置を施し、宿に着いてから補正を試みましたが、一度緩んでクセのついてしまったファスナーの強度は疑わしくなりましたので、その後の航空便ではチェックイン前にその壊れかかったスーツケースを布製のガムテープで固めました。華麗なる外交生活の実態です。
これまたニューカッスルの街中。19世紀半ばの大火にも耐えた16~17世紀ジャコビアン建築のBessie Surtees House。18世紀ロビンソン・クルーソーの著者ダニエル・デフォーもこの近辺で活動したという記録が残されています。

ニューカッスル空港からは徒歩でレンタカーショップに向かいました。マツダのやや大きめのRV車でニューカッスルからエジンバラまで北上するのです。毎年2度ほどイギリスに戻るたびにレンタカーは使っていますが、ここ数年の間にどのレンタカー会社でもナビゲーション(サット・ナブ satellite navigation)が標準装備になりました。数年前までは日に35ポンドなど法外な料金を請求されていたので、やむなく携帯電話のローミングサービスを使っていました。イギリスでは運輸に関するサービス対応が他の国に比較して(かなり)遅れていることがありますが、先進国の水準にやっと辿り着いてくれたのですね。

最初の宿泊地、アンブルはニューカッスルから車で40分ほどの海岸の街です。この街を選んだ理由は、ここを基点に海岸線まで向かい、その周辺の散歩やアクティビティを楽しもうと考えたことと、良さそうなエアB&Bを見つけたからです。車があるので、公共交通の便は考えなくて良いし、宿の住み心地だけを優先しました。
アンブル港の独特な橋。周囲を砂洲で囲まれているので、いつも穏やかな海面です。ノーサンバーランドの沿岸にはプラスティックのゴミなど一切見られませんでした。もちろん、マイクロプラスチックまでは判りませんが、砂浜の砂を凝視しても人工的な粒は見えませんでした。

しかし、エアB&Bにリスクはつきものです。期待していた設備が無いとか、当然あるべき設備であると思っていたために、スペックやアイテムのチェックを怠ったとか、意外なことも起こります。自己責任の範囲でもあるので、その種のリスクが起きることをわきまえて予約するべきだったなという反省に至りました。と言うのも、最初の宿には洗濯機が無かったのです。元来が漁村という土地柄のせいでしょうか、独身者や単身の住まいが無い周囲にはコインランドリーもありません。ソウルで汗だくになったものも含めて、4泊の間に洗濯物は貯まりに溜まって次のエアB&Bの洗濯機に期待をかけるしかありませんでした。また、今回は2週間の長旅ですから一つ所に長居するとすれば、そのリスクが今回のように現実化することもありますので、そのリスクを分散させるために移動して宿を換えていくことは有効でした。総括的に見ると、この最初の宿は100点満点で80点くらいと評価しています。
ウェットスーツ着て何すんの?と尋ねたところ、素潜りとのこと。アザラシと戯れるのかと聞いたら、「そんな危ないこと出来ないよ。噛まれちゃうよ。漁師と一緒にロブスターやカニを採るのさ。タコも獲れるよ」とのこと。

エアB&Bの場合、オーナーや管理会社の職員が宿泊初日に、朝ごはんに必要最低限の食材を置いてくれることもあるのですが、和食的なものを食べたい当方には、近所の量販店回りが不可欠になります。グレインライスやバスマティライスではなくライスプディング用の米、醤油、卵、そしてハムを購入してハムエッグ丼などを朝食にすることもあります。イギリスの卵の生食は不可なので、温泉卵、ポーチドエッグのように熱調理します。つまり、当方の朝食メニューは、ローカルスーパーの品揃えによって決まります。昨今はどんな田舎町に行っても醤油は入手可能です。もちろん、手間を省くために、イギリス人のようにトースト、ミューズリー、ヨーグルト、そして紅茶という標準仕様を受け容れることもあります。

朝食の間に天候を考慮してその日のスケジュールを決めます。次回はこのアンブルを拠点にして行ったところ、経験したこと、そして次の街について述べて行きたいと思います。
Alnwick(アニック)の街まで足を延ばすと、ヨーロッパ最大の古本屋と呼ばれるBarter Bookshopがあります。元々は本を物々交換していたことから命名された店ですが、やがて現金取引に移行しました。また、建物はヴィクトリア時代にロンドンからやって来る貴族のために建てられた駅舎が元来の用途で、豪勢で優雅さが外観と内装に残っています。詳しくはこちらのウェブをご覧ください。
Barter books(英文)

Text&Photo by M.Kinoshita

関連リンク
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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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