Little Tales of British Life 連載100回目で斜め横に振り返るイギリス

2020.07.07

BRITISH MADEに連載を開始したのは2014年6月26日「ウィンブルドンの季節」から。ちょうどこの季節のことで、ウィンブルドテニス大会の真っ最中でした。この時期のイギリスと言えば、青空のキャンバスに一筋引かれる飛行機雲は、冬に比べて細く、短時間で消滅します。そして、偏西風に流される大きな白い雲の多くは、なぜかブリテン島のカタチをしていて、微妙にその形を変えつつ東に漂っていきます。例年ならば梅雨時の日本を避けて、適度な陽光を散らしてくれるイギリスの空の元で快適に過ごしていますが、2020年はそれも叶わなくなっただけでなく、QBP(女王陛下の誕生日)をはじめ、世界的なイベントであるテニス大会もCovid19禍のために中止になってしまいました。

ウインブルドン 2018年のウィンブルドンテニス大会会場にてKiyomi Fujiiさんによる撮影。暑さのせいか、クリームの気合が抜けています。以前はダブルクリーム式やホイップクリーム式も見かけたのですが、昨今は濃いめのクリームぶっかけ様式が主流です。夏の風物とされるこの二つのイギリス風土アイテムは、日本で言うならば、かき氷、または枝豆とビールでしょうか。

99回分の記事を振り返る理由

個人的にもイギリスでのイベント中止を被っています。2020年の8月中頃には義両親の婚姻60周年記念、義母の80歳の誕生日、そして、ついでに当方の還暦という3つの記念日を一度に祝うイベントを、総勢80名あまりの親類たちとともに楽しむ予定でした。本来であれば、ウェールズ、スコットランド、そしてスイスや日本などの海外に住む親類も集まる計画で、イングリッシュ・ガーデンとガストロパブの備わった築400年の宿に20部屋ほど予約していましたが、すべてキャンセル。おそらく、8月になってもイギリスと日本の入国には、それぞれ2週間(計4週間)の自主隔離期間を設けなければなりませんが、そのマンパワー、費用、そして時間をまかなうだけの余地がありません。
パーティー 親類縁者では、我々よりも若い世代まで集まります。クリスマス期間に集まる面子、子供のころからプレゼントやカードを交換した関係、困難な時期に助け合った間柄、そして血族、姻族あるいは宗派の所属。この画像は義父の80歳誕生日パーティーでした。

イギリス人の義弟夫婦の考えでは、どのイベントも今年に行わなければ、意味を失ってしまうとのこと。来年になれば、またひとつ年を重ねるわけですから、五輪大会のように翌年に開催延期というわけにはいきません。8月のその予定日には、ZOOMやスカイプなどネットでつながって祝いの言葉を交わし合うことになるのでしょう。三密を伴うハグの挨拶、レストランでの会食など普遍的なモノと思い込んでいたことの多くは、疫病との共生を自覚するなかで、消滅、あるいは変化して「新しい生活様式」へと替わりつつあります。

秋口の画像ですが、雲がきれいなので。

さて、過去99回の記事では、当方の思うイギリスを述べてきました。そして、今回は、今後、将来、そして未来に至って、これは変わってしまうのだろうな、あるいは、どうなってしまうのだろうと思われることを過去の記事とリンクさせて、斜め横の角度(全部見えるわけではない角度)から振り返ってみます。

ウィンブルドンとイチゴの消費

昨年の全英オープンテニス後の英国ガーディアン紙によると、2019年は27トンのイギリス産イチゴが2週間のウィンブルドン大会で消費されたとのこと。1年間に生産されるイギリス産イチゴ全体の20%に相当するそうです。主な用途はストロベリー&クリームとピムズで、それぞれ20万カップと28万杯でした。2週間の開催期間で消費されるこれらの数字は2020年のウィンブルドンではゼロ消費になるわけです。さらに、2021年以降にsocial distancingなどの条件を課せられた集客状況では、これらの数字がどのように変化していくのでしょうか。日本人にとって大相撲観戦に幕の内弁当、夏の甲子園にカチ割り氷が欠かせないことと同様に、イギリス人にとって夏のサンドイッチにはキウリ、ウィンブルドン観戦にはイチゴが不可欠なのです。今後の消費動向と余剰生産で価値の下がったイチゴの行方が気になります。おそらく、ウィンブルドンで消費される筈だったイチゴの動向は、今年もガーディアン紙で記事にされるでしょう。

ウィンブルドンのテニス大会期間中、最初の1週間は祭りのようで華やかな雰囲気です。画像は2010年頃、ヘンマン・ヒルと呼ばれるアオランギ・テラスからの眺望。

地域との付き合い方

20世紀冒頭までのイギリスの街はどこも教会が中心になって造成計画されていました。ロンドンのキングスクロス駅から急行で30分ほどの郊外、ハートフォードシャーのウェリン・ガーデンシティなど第一次大戦後の約100年前に造成された田園都市でも、いくつかの宗派の異なる教会が街の造成プランに組み込まれています。カトリック、イギリス国教会、福音派、長老派(プレスビテリアン)、メソディスト、フレンズ派(クェーカー)などなど様々です。ただし、あまり知られていないと思いますが、それぞれの宗派間の付き合い方には外面と内面があります。同じ宗派同士ですと、we are familyという仲間意識が強いものの、多宗派と接触する場合には、公的な意識が感じられます。ちょいと極端な言い方をすれば、同じ宗派の信者以外は家族(仲間)にあらずという排他的な関係性があるかもな~、と感じます。そして、異宗派間ではその排他性を不文律として、異教徒間同士で距離(social distance)を置くことが、とてもイングランド的だなあと思います。(余談ですが、social distanceとsocial distancingとでは少し意味が異なりますね)

右下の雲はアトラスを北側から見たブリテン島に似ていませんか?もちろん、個人の意見です。

ところが、宗教を中心にした地域コミュニティはイギリスにテレビが普及したころから、その求心力を失っていきます。19世紀の終わりからイギリスの行政府が、福祉指標を設ける目的で、貧困と不平等を可視化するために作り続けて来た貧困地図(poverty map)を眺めて分析すると、テレビが90%以上普及した1970年代イギリスの宗教離れは、主にこの貧困地域に住む人たちから始まっています。心の教育よりも経済的余裕が重んじられて、ビジネススタイルや社会の階層が変化し、ご近所との隣組意識や教会の仲間意識が希薄になります。しかし、2000年近くなると草の根レベルから再活性化が生じます。この話の顛末は2018年2月の記事「ジェントリフィケーション」で触れています。

Welwyn Garden Cityは自然との共生と、市民参加型自治によって完全な自律を目指した庭園都市です。自治という政治面はさておき、カタチは東京の田園調布のモデルとなりました。自然との共生という点では環境倫理の思想が強く、自治という点では人間と自然との調和を目指した新しい関係を模索して100年前に作られた街です。

Covid19によるロックダウンではむしろ、立場や年齢や貧富の差を超えた助け合いや声掛けのボランティア活動が沸き起こりました。この活動がこのままコミュニティ化していけば、イギリスでは老若男女のご近所付き合いが良い方向に変化していくのかもしれませんが、宗教の教義を携えた教会活動のようにコミュニティの「核」となるものが必要ではないかとも言われています。我が娘から聞く限りでは、孤独老人を手伝うボランティア活動は貴重な昔話が聞けて楽しいそうですが、今後の活動を具体化するために地域コーラス、ヨガ、太極拳など全員が共有する核となるべき活動をCovidの収束後に企画しているそうです。とりあえず、何世紀も続いて来た信仰に匹敵するほどの強い核でなくてもいいそうです。日本では世間と個人とを結ぶ絆という核が注目されていますね。

グローバリズムの余波

さて、99回を振り返ると、グローバリズムの話はいくつかご紹介しています。近々では2020年4月掲載の「イギリスが闘った伝染病」で、15世紀の大航海時代から文化、病気、食材、情報などの点で人類の均質化が始まったことを「コロンブス交換」という歴史学者の説を述べてみました。

大航海時代の時代ではコロンブス交換のスピードはまだ緩やかでしたが、19世紀の大英帝国は海上輸送の技術と政財界同体の組織力を高めて、そのスピードを急速に早めました。そのことは2017年2月の記事「世界を縮めた国」で触れています。航海利権の確保、電信技術の発達、そしてジュール・ベルヌの小説「80日間世界一周」を引き合いにして、イギリス人たちが無自覚に拡大していったグローバル化を説いています。

1959年、ウェリン・ガーデン・シティのコモンズ(広場)と住宅の光景。1920年ごろに造成され、第一次大戦の帰還兵とその家族の入居を優先しました。
コモンズの前に建てられた住宅の2007年ごろの光景。2020年現在のグーグルマップで見ても、1920年築の頃から建物とその景観はほとんど変わっていません。この街の自治の一環として発足した環境保全圧力団体の指導の元、景観の維持は強く指導されます。当方の知る魅力的なイギリスの一部として、ガーデン・シティはいずれ記事にするつもりです。

また、先日は、「パンデミックとは人類の均質化であると同時に、病気のグローバル化だよね」という切り口でイギリス人の医師たちと交わしたネット雑談では、彼らの悩みを明かしてくれました。「ウイルス感染は万人に『平等』なので、自然界の一部である人類全体が均質化することは避けられない。地球上のすべての生命を『平等』に扱うことが環境倫理だけど、個々人の生命を『公正』に扱うことが生命倫理であるから、両倫理のバランスを取るにはどうしたらいいか答えが出せない。両倫理は生命を尊重する点で一致しながら、全体の『平等』と、個に求められる『公正さ』によって考え方が大きく異なるので、医師たちはその対応に悩んでいる」 という話をしてくれました。そして、人類が自己免疫力をつけることが(いわゆる with コロナ下で望まれることであり)環境倫理上の理想であり、個々人に合わせた万全な医療体制を構築することが生命倫理上の理想であるけれど、ワクチンや治療薬が開発されることが地球全体には本当に良いことなのかどうかと案じている学者もいると言い添えていました。

ダンディズムも変化した

さて、1980年代以来、当方の体験してきたイギリスは普遍性を抱える一方で、特殊性も生み出しています。大きな変化のきっかけになったことは、大きな自然災害の後やロンドンなどの都市部での過激派によるテロなどの人災の後でした。もちろん2017年8月の記事「未来の足元にあるロンドン」で述べたように、親子二世代間くらいのスパンで、しばらくの間だけでもその時代の人々が共通に認識できるアイコン(たとえば、ダイヤル式黒電話)を残していくことは大切なことだと思います。個人的には「握手でカッポーン」(2017年3月の記事)と音を放ち、がっちりと手を握り合うイギリス的な習慣。これが失われてしまいそうで残念です。19世紀に確立したダンディズム(2014年7月)が後年になってどんどん簡素化されて、現在に至る効率的なオシャレへと変化したことは、100年前の人たちでも想像できなかったように、数年後の将来は、握手やハグの習慣さえなくなるのでしょうか。それとも新しい挨拶を交わすようになるのでしょうか。再会のたびにイギリス人の義弟が強くハグしてくれることは、イギリス人の普遍性のひとつだと思っていたのに、もはや懐かしく感じられます。真正面から180度反転して過去を振り返ると、喪失したものがはっきりと見えてしまいそうで、ちょいと怖いことになりそうです。100回目の今回は斜め横に振り返って、横目で眺めた過去から思ったことをつづってみました。

Text&Photo by M.Kinoshita


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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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