交通路、高速道路としてのテムズ 令和の帝(みかど)のお見立て | BRITISH MADE

Little Tales of British Life 交通路、高速道路としてのテムズ 令和の帝(みかど)のお見立て

2021.04.06

前回の「左側通行の起源」の記事を書きながら、1983年からオクスフォード大学に留学されていた今上天皇(徳仁陛下)が、親王時代に書き上げられた論文のことを思い出しました。論題は“The Thames as Highway”「交通路としてのテムズ川」です。

テムズ川 ロンドン上空から見たテムズ川

徳仁陛下のご研究

水上交通路としての大河テムズとは、人間に例えるなら、毛細血管のような支流や運河に接続する大動脈と言えます。現代の陸上交通路に置き換えれば、網の目のようにつながる一般道路や路地(裏道)に接続する一大幹線路の高速道路がその大動脈に相当します。つまり、交通の大動脈は水運時代のHighway(幹線交通路)から、陸運の時代Motorway(高速道路)へと変化し現代に続いてきたわけです。当方に言わせれば、陛下の論文のタイトルは現代版「高速道路としてのテムズ河」という解釈も可能なのです。 

ウェールズ 読者様から掲載許可を頂いた画像。ウェールズのLlangollen Canal(スランゴスレン運河)の運河(水道)橋Pontcysyllte Aqueduct(ポントサイスト・アクアダクト)です。無理やりカタカナ語にしましたが、このまま発声してもウェールズの人には通じないでしょう。ちなみに、ウェールズ語のllはイギリス語のthの発音に近いです。

陛下の論文には、木造ロンドン・ブリッジが破壊される話(前回記事参照)は書かれていませんが、意外な事実や客観的なデータに基づいて交通路としてのテムズ河の水運史を分析されています。陛下が留学先にオクスフォードを選ばれたのも、テムズ河流域の大学で実際に川に触れることは必然的な要因になったのだと思います。余談ですが、学帽を被った拙プロファイル画像は、陛下の研究場所にもなったオクスフォード大学のボードリアン図書館前で2012年に撮影したものです。学帽は卒業式に臨んだ拙娘のもの。

さて、テムズ河を語るうえで、外せないアイテムがいくつかあります。ロンドン・ブリッジやタワー・ブリッジなど先の記事で触れた多くの橋の物語、さらに、18世紀の小氷期までしばしば凍結しスケート場と化したテムズ、干潮河川と貿易、北海からの高波とテムズバリア、水上輸送業者と小麦生産者と漁業者の三つ巴で揉めた水利権、ライフライン(給水の時代から汚染の時代まで)としての変遷、金融街へと変身を遂げたドック地帯、ロンドンを築いたテムズ、レジャーの場としてのテムズ、ウナギの住処テムズなどなどのアイテムが当方には魅力的な話で、かつイギリスに興味を持たれる皆様にご紹介する価値があると考えています。今回は、これらの中でも、住民同士が異種産業の間で何世紀にも渡って争ったものの、技術革新の変遷によってその争いが沈静化された、水上輸送業者、小麦生産者、そして漁業者との三つ巴で争われた水利権と運河の話をご紹介させてください。

グレーターロンドン 2019年の拙記事「雨のことば」で既出の画像。Barrage(関門)の水位は雨量や干満差で変化し、左右が均一になることもあります。グレーター・ロンドン西部のTeddingtonでは、画像右手の奥のようにパウンド・ロックも併設されています。

資源調達の場、エネルギー調達の場、そして幹線路

テムズ河が交通路として重視されたのは石炭燃料が主流となった17世紀からですが、産業革命以前の中世では生活の場(第一次産業の場)として利用することに関心が向けられていました。たとえば、テムズ流域で捕獲されるウナギで作られた煮凝りやパイが名物でした。それゆえ、テムズに限らず、あらゆる河川にはいたるところで、漁民によって簗や漁網などが仕掛けられ、製粉業者や製造業(第二次産業)によって水車を回す水量と水圧を確保するために堰(せき:Weir)が設けられていたのです。

うなぎ テムズ河畔名物のウナギパイとウナギの煮凝り。Goddardsなど、グリニッジには19世紀以来の老舗がまだ数店残っています。ウナギはぶつ切りなので、背骨を吐き出さなければなりません。パセリのみじん切りを散らしたリカーソースという酸味の強い、透明でとろみのある液体が掛かっています。日本人の旅行者が注文しているのを見かけますが、完食する人は少ないようです。

漁民が確保したいのは「魚介などの水産資源」、そして、製粉業者が確保したいのは「粉ひきミルを回転するためのエネルギー資源」、すなわち2種類の資源をめぐって水利権の問題が生じます。その権利関係は「譲り合い、妥協せよ」という王室からのチャーターによって、表向きには平和に維持されていました。その状況が少しずつ変わり始める背景になったのは、都市部の人口増加と農産物の生産性が上がり、その流通が活発化したことでした。やがて、輸送の専門業者が増加します。輸送業者(第三次産業)の運航によって、漁民の簗(やな)が(意図せずに、あるいは故意に)破損したり、製粉業者の水車を止めたり、水量や水圧を調整する土木工事を勝手に遂行しようとしたりするなど、新たな3つ目の権利、通行に関する水利権の問題が生じます。すなわち、第一次産業から第二次産業を経て、第三次産業へと産業が増えるにしたがって、その水利権も多様化したわけです。

水車 市外局番020の範囲内(ロンドン中心部から半径約20キロ以内)に住む息子にフラッシュ・ロックの画像を撮ってくるように頼んだら、水車小屋の画像が送られて来ました。ロックダウン中でも、毎日13時間以上働き、週末は20マイル以上歩くそうです。これもテムズの支流です。今どきの水車は何のために回っているのか分からないものもありますが、ここは食品工場の設備の一角であり、自家発電機に接続しているとのこと。

製粉業者の増えた13世紀には、まだ運航する船が小型だったことから、輸送業者と製粉業者との間で、ひとつの妥協策が生まれます。フラッシュ・ロック(flash lock)という開閉式の堰を設けることで、船は堰を通過できるようになったのですが、やや激しい勢いで滝のように流れ落ちる水流の中を、小型船は転覆のリスクを負って通行しなければなりませんでした。同時に、製粉業者も不便を被ります。粉ひき水車を回転させるために必要な水位を維持したいのですが、川幅いっぱいに広がるフラッシュ・ロックの一か所を開閉するたびに水位は下がります。その水位を元に戻すまでに掛かる時間が生産に大きく影響していました。妥協案とはいえ、権利を主張する者同士、互いにまだ我慢しなければならない状況でしたので、輸送業者と製粉業者との確執は長く続きます。
フラッシュ・ロックは過去の遺物なので、ほとんど現存していません。この絵は牧歌的な光景に見えますが、水上保険などがない時代、輸送に掛かるリスクはすべて運送業者が負っていました。

今なお健在なパウンド・ロック

やがて、産業革命や石炭などによるエネルギー革命が起こると、テムズ河での物資の輸送量はさらに増大します。特に石炭は炭鉱から暖房用の燃料として都市部に輸送しないとならないわけですから、運河の発達や航行区間の延長工事などの土木工事が実業家たちの私的資本によって行われます。例えば、内陸部のオクスフォードにヨークシャーあたりの北の炭鉱から石炭を運ぶには、道路はおろか自動車も無い時代ですから、テムズ河から街を結ぶ水上交通路(運河)を整備する必要が出てきました。効率的に石炭を運ぶ船は、これまでの流通船よりもかなり大型です。北海沿いの港街に寄港しながら南下して、テムズ河口から内陸部へと遡上し、河川と街を繋ぐ運河を造成します。その航行路は川の流れとは逆方向ですから、水の坂道を上ることになるのです。つまり、大型船の規模に合わせて水位を調整する場所が必要です。その調整に採用されたのが、パウンド・ロック(pound lock)でした。ざっくり言うと、前後二門開閉式のプールを利用した小さなパナマ運河です。イギリスで近代設備として整備されたのは18世紀以降ですが、起源は古代中国やローマ帝国時代にまで遡ります。そして、イギリスでは今でも利用されていて、テムズ河の本流でも40か所ほど残っています。

ロックを空から眺められるイギリスの画像が見つからなかったので、アメリカのAbington lockの画像を拝借しました。左側の長い橋の部分が関門で、右の開閉門が設けられた箱型の水路がパウンド・ロックです。

これも、ヨーロッパの運河の画像です。パウンド・ロックの中を航行するとこんな感じ。パナマ運河では、パウンド・ロックに入るために数日間待たされ、航行では半日掛かることもあるとか。

パウンド・ロックの場合のパウンドとは、「檻」とか「一時保管する場所」という囲われた空間を意味します。上流と下流との水位を調整するには、一旦箱に入って、進行方向の水位に合わせるまで、その箱の中で一時保管されます。

カムデンタウン カムデンタウンでは、パウンド・ロックで一度に上流と下流双方向への交差が可能です。

現代に至って、テムズには交通路としての機能は残っていても、船上生活の場、レジャー、軍事、ごく限られた商用に使われることに限られつつあります。交通路テムズの輸送量が激減した理由は、言うまでもなく、自動車用道路が整備された陸上輸送と鉄道と連動した複合輸送システムが発達したからです。道路はガソリン税などの税金で造られた公共事業であり、鉄道も運賃によって整備された公共性の高いものです。陸運は基礎から人の手に拠って作られた人工インフラであり、公共投資によるインフラである一方で、テムズ河やその支流という自然のインフラを利用した運河は、過去の企業家たちが自分たちの商品輸送を効率化するため、私的な投資で造られた自然に近い人工インフラなのです。

昨今では、SDGsの観点から、陸運ほどエネルギーの掛からない水運の有効活用が注目されています。今後もイギリスの運河網は利用され続けるでしょう。当方も妻の定年後には、イギリス中どこにでも行ける別荘として船上生活用のナローボートを購入し、パウンド・ロックを体験してみたいと考えています。ナローボートはけっこう安いのですが、ロックの使用料はいくらかかるのかな?

ナローボート これから一隻のナローボートがパウンド・ロック内に侵入します。既に侵入側とパウンドの中との水位は同じですね。進行方向の水位に合わせるまで、このパウンドの中で待機します。

今回は、徳仁陛下がオクスフォード大学留学中に書かれた論文をヒントに、特に当方が興味を抱いたパウンド・ロック(閘門:こうもん)について述べてみましたが、皆さまの興味や反応をみて、さらにテムズ河やイギリスの河川の魅力について述べる機会を設けるかもしれません。

夕暮れの美しい画像ですが、右端の堰をご覧下さい。かつてはこのような小さな水路を通って水上輸送船が航行していたのです。下流に向かうときは流れに乗れますが、揺れて積み荷が散乱することもあったそうです。また、上流に向かうには馬や人力で引っ張り上げるビジネスもあったとのこと。

Text by M.Kinoshita


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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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