ハイストリートのなぜ?なぜ?|ローマ帝国が基礎を築いた道筋 | BRITISH MADE (ブリティッシュメイド)

Little Tales of British Life ハイストリートのなぜ?なぜ?|ローマ帝国が基礎を築いた道筋

2025.06.20

ハイストリートと言えば、読者の皆様がすぐに思いつくのは、ケンジントン宮殿近くの大繁華街ケンジントン・ハイストリートでしょうか?ケンジントン・チャーチストリートの入り口に当たる地下鉄ディストリクト線ハイストリート・ケンジントン駅の周辺と言えば、日本政府観光庁による対外発信拠点のジャパンハウスもあり、世界中のお洒落な小売り店がひしめき合い、高級骨董を扱うアンティークショップが林立するひと際豪勢な地域です。

ハイストリートとは何?マック木下英国記イギリスの地方でも、ロンドンの街中でも、駅を出てキョロキョロと見回して探すのは、ハイストリート。そこは、情報の宝庫であり、その街の集大成でもあり、地域の顔でもあるからです。

一般的に駅名はその地域名に由来しますから、ケンジントン駅と呼ぶべきではないのかな?という疑問も湧いてきますが、ハイストリート・ケンジントン駅と呼ばれるには理由があります。 簡単に歴史をたどれば、有名人や著名人が居住を始めた17世紀ごろからケンジントン地域の、とある一本道に集まった商業店群の街並みをハイストリートと呼んでいました。いつしか、ロンドンで最も繫栄したハイストリートと言えば、ケンジントンと認識された時代を経て、地下鉄駅の名前も当初のケンジントン駅からハイストリート・ケンジントン駅に改名されたとのこと。今でも、同駅を出れば、目の前にはケンジントン・ハイストリートが東西に広がります。

ハイストリートとは何?マック木下英国記道路沿いに造られる地下鉄は開削掘り工法の場合、地下鉄の溝の上にフタを被せることで再開発も容易でした。今でも、この駅舎と繋がっていたアーケードと、1970年頃まで続いた高級百貨店ポンティングスやデリー&トムズなど駅ビルの名残が感じられます。

ハイストリートって何?

ロンドン百科事典(The encyclopaedia of London)に拠れば、ハイストリートに明確な定義はありません。むしろ、イギリス国内に5,000箇所以上もあるありふれた通り名なのです。ちなみに、次点はステーションストリート(約4,000箇所)で、3位はメインストリート(約2,700箇所)。おまけに、小さな村ともなれば、郵便局と雑貨屋(Grocery shop)が混ざったコンビニのような店舗が一軒あるだけで、地図上にはハイストリートの明記は無くても、地元民にハイストリートと呼ばれることもあります。つまり、「警視庁と言えば『桜田門』」「国会と言えば『永田町』」のように、換喩として「地域のメインストリートと言えば『ハイストリート』」と、呼ぶこともあるのです。ちなみに、イギリスで最長のハイストリートと言えば、ロンドンから40㍄東のエセックス州サウス・オン・シーにあるロンドンロードが、地域のハイストリートとして認知され、その全長は2マイル近くに及びます。

ハイストリートとは何?マック木下英国記亡義父の生地Ampleforth村に1900年ごろから続く1軒の店。義父の育った家から徒歩2,3分のこの店で、食品や生活用品を購入し、郵便の授受をしたそうです。村人たちはこの辺りをハイストリートと呼びます。もちろん、地図上にハイストリートとは記されていません。

何せ“High”が付く通りなのですから、さぞかしハイ・ソサイエティ(上流社会)な起源があるのではないか、と推測される方もおられるでしょう。それはそれで、間違いでもありません。たとえば、特権階級の居住地域のメインストリートが補強整備されると、お上品にも特別感を込めて”High way” と呼ばれるに至ります。しかし、いつしか社会全体への整備が進み、かつて泥でぬかるんでいた脇道や支道がHigh way同様に整備され、舗装道路が一般化すると、本来の”High(特別)”の意味が失われていきます。それでも、Highを冠したままで、High streetやHigh wayとして言葉だけが残ったということなのです。それゆえ、イギリスでは一般道をHigh wayと呼ぶことになり、高速道路のMotor Wayとは区別されます。

ハイストリートとは何?マック木下英国記イギリスで自動車を運転する人たちは、この本”The Highway Code”で、イギリスの道交法を学びます。画像は1980年代版。現行の道交法とは少し異なっています。

今どきのイギリスでは”High way”の使われる場面が、しごく限られているせいか、当方には” The Highway Code” (道路交通法規集)しか思いつきません。悪質な違法運転者様を見つけると、親切にも” Keep the highway code, please!!!”(道交法を守りやがりあそばせ!!!) と、注意喚起して差し上げたくなります。

ハイストリートの地理関係

ハイストリートと言うと、日本の「駅前商店街」をイメージしがちです。しかし、イギリスのハイストリートは、意外にも駅からかなり離れていることがあります。その理由は、鉄道の始まりと街の成り立ち、両者の時期が異なるからです。鉄道の始まりはせいぜい19世紀初頭と、つい最近のことですが、街の成り立ちは、ローマ時代まで遡ろうと思えば、遡れます。イギリス国内の古めの街の場合、ハイストリートは山や丘の尾根伝いに位置する傾向があります。一方、水運によって栄えた地域の場合は、低湿地を護岸として埋め立て、運河を開発して出来上がった街も少なくありません。「尾根伝い」か、「水運の要衝」かのどちらかの地勢によって、イギリスの街は構成されてきたため、後者の方はシティ・オブ・ロンドンをはじめとして、オクスフォードとかケンブリッジとか大きな街を構成します。しかし、街の成り立ちが古い分、既存の伝統的なインフラも多く存在するので、それらを押し除けてまで新参者の鉄道が古都のど真ん中に駅舎を建てることは、物理的に不可能だったわけです。そのため、ロンドンの場合には、シティ・ウォールを放射状に囲むようにして、ナショナル・レイル(旧ブリティッシュ・レイルを意味する現ブランド名)のロンドン駅が、ロンドン・ヴィクトリア駅とか、ロンドン・キングスクロス駅とか、ロンドン・ブリッジ駅とか全部で20箇所ほどに分散してロンドン駅が現れることになったことは、以前ロンドン駅の特集記事で申し上げたとおり。そんなことで、オクス・ブリッジの駅の場合も、古き良きマーケットプレイス、メインストリート、そしてハイストリートなどからは1マイルほどの距離が置かれることになったのです。

ハイストリートとは何?マック木下英国記Tunbridge Wellsの街は、ローマ人が開発した旧市街が、ヴィクトリア時代に再開発されて以来、シアター(左の緑のドーム屋根。現在はパブ)も建造されるなど、豪華な繁華街として発展。南に向かうこのハイストリートは、山の尾根伝いに構成されたことが、この画像からも伝わってきます。

1980年来、当方が住んできたのは、ケント州やサリー州など大ロンドン地域の南の街々。鉄道の普及と共に発展してきた、いわば、第一次大戦以降に開発された新興住宅地帯と商業地帯を併設した人口多めの街でしたので、尾根伝いでもなければ、水運もありませんから、歴史も浅めで、ハイトリートにもあまり面白みが感じられません。しかし、少し足を延ばせば、ケント州のSevenoaksとか、サセックス州のLewes(ルイス)とか、尾根伝いにハイストリートを設け、旧ローマ街道を基礎に構成された地域は、歴史と伝統と豊かさを兼ね備えた美しい古都として現存しています。当方に言わせれば、ハイストリートとは、水はけの良い尾根道沿いに構成された集落から始まって、ローマ帝国軍の兵站調達や民間人の経済活動のために整えられた街として発展した、言うなれば、地勢(土地のありさま)によって自然発生的に出来上がった丘の上の「道」のことなのです。

ハイストリートとは何?マック木下英国記この画像の左に流れるのは、(テムズ河を介して)北海に通じるメッドウェイ川。ローマ時代から水運に使われていました。 右の護岸で穀物など物資の上げ下ろしが行われ、Tonbridgeの街は長いハイストリートが中心になって、古代から近世にかけて発展を続けました。

ですから、水運の要衝だった街の場合には、ハイストリートの近くにローマ時代を起源とする城が残っていたりします。例を挙げると、イングランドの南、ケント州のトンブリッジとか、メイドストーンとか、カンタベリーなどなど。 トンブリッジの場合には、メッドウェイ川からの支流が運河の役割を担っていて、その運河の中でも中大規模の港には、トンブリッジ城のような大きめの城がローマ時代に建てられています。時代を経て、現在では、その主要河岸を中心に、全長1マイルほどのハイストリートが構成されています。そして、ナショナル・レイルのトンブリッジ駅は、ハイストリートの南端に位置。メイドストーンの場合は、河川幅が広く、大型船舶の通行も多かったことから中世にはCastle toll(税関城/関所)が設置された形跡が残されています。イギリスだけでなく、ヨーロッパの交通の要衝地には、水陸を問わず、通行税収入の確保と保安管理(防衛)のためにToll Castle(税関砦/関所)が設置されているのです。カンタベリーはイングランドの首都になった歴史を持つ街ですから、シティ・オブ・ロンドンと同様に街中はどこでもハイストリートのようなものです。元来は城壁都市なので、駅は城壁外に作られ、もっとも重要なカンタベリー大聖堂は、城壁内の街の中心、ハイストリートの近くに建立されています。この種の旧城壁都市にありがちなのが、リングロードで、街全体が一方通行のラウンド・アバウト状になっています。そして、ハイストリートは、そのリングロード内に一本道で通っていることが多いようです。 以上は、ハイストリート概論としての持論ですが、次はロイヤルでハイソなハイストリートを誇る街を紹介したいと思います。

ロイヤルを冠する街

イギリス国内でロイヤルを冠する地名が認められた街は、全部で86箇所とも言われますが、一般的に知られているのは、ロイヤル・レミントン・スパの他にロイヤル・タンブリッジ・ウェルズとロイヤル・ウートン・バセットの3カ所。

  まず、レミントン・スパは1838年にヴィクトリア女王から、そして、タンブリッジ・ウェルズは、1909年にエドワード 7 世王から、それぞれ王室の間で長年にわたって人気を博してきた保養地として「ロイヤル」の称号を与えられました。ウートン・バセットの場合は、軍葬に関わる貢献を理由にエリザベス2世女王から「ロイヤル」の称号を2011年に授かっています。

ロンドンから南に50㍄、ケント州のタンブリッジ・ウェルズの「wells:井戸」や、ロンドンから北北西に100㍄、ミッドランド州のレミントン・スパの「spa:温泉」からもご推察頂けるかもしれませんが、この2つの街には「湧き水」に入浴する保養地として人気を高めた歴史があります。貴族や産業革命などで財を成した資産家たちの活力によって美しく整備され、浴場や娯楽施設が整うと、王室の訪問地として相応しく、富裕層が快適に過ごせる街として繫栄した街なのです。それゆえ、それぞれのハイストリート沿いの家並みは堅牢豪華ですし、周辺もそれぞれの窓が広く、白い2本の門柱を備えたエントランスや、ドアの高さが2m以上ある邸宅ばかり。かつては貴族や富裕層の好んで住んだタウンハウスやマナーハウスが林立しています。来訪すれば、その華麗さや豊かさに圧倒されることでしょう。ただし、現代に至っては、1軒が5世帯以上のアパートに分割されているケースも少なからず、ですが……。


ハイストリートとは何?マック木下英国記Tunbridge Wells(タンブリッジ・ウェルズ)の起源となった鉱泉(Chalybeate Spring Water)。けっこうな水量が勢いよく湧いています。奥の自販機で購入可能。ローマ時代から続く旧市街、高級感の漂うハイストリート、そして王室と貴族の好んだザ・パンタイルズをつなげるのが、この鉱泉。

さて、保養地としてその地名にロイヤルを冠した二都、これらのハイストリートには大きな特徴があります。成り立ちは、尾根伝いでもなければ、水運でもありません。あえて言えば、保養(レジャー)のために集まったエンターテイメントの街です。20世紀に鉄道が発達すると、どちらの街も保養地としての地位は、海辺の街ブライトンなどに譲ることになりましたが、上流階級の作った遺産インフラが今なお維持されるポッシュで、豪華なヴィンテージの街は、ロンドンで高給を稼ぐ人々のベッドタウン(英語ではcommuter town )として進化します。ちなみに、タンブリッジ・ウェルズからブライトンまで行くダブルデッカーのサービスは、リージェンシー・ルートと言って、これまたロイヤルなお印が強調されていますが、実際のところ、これは単なる乗り合いバスに過ぎません。ただし、ダウンズ(丘陵地帯)を走る車窓からの景色は、イギリスの大自然を満喫させてくれます。

ハイストリートとは何?マック木下英国記Tunbridge Wells(タンブリッジ・ウェルズ)のザ・パンタイルズ(道路に敷き詰められた屋根瓦がパンタイルの起源)というお洒落空間で、今やその大部分は歴史的登録建造物。7番地は1660年頃、39番地から41番地は1706年築のかつてのグロスター・タバーン(パブ)の跡。

“ロイヤル・タンブリッジ・ウェルズ”と“トンブリッジ”

タンブリッジ・ウェルズのハイストリートは、ロンドンのメイフェアにあるニューボンド・ストリート並みにセキュリティレベルの高い、ガードマンの付きの宝石屋が数店あるほどの豊かな街並み。ハイストリートの北端にはナショナル・レイルの中央駅、そして南端には、かつてはロイヤル・パレードと呼ばれたザ・パンタイルズという通りが続きます。そこはまさにタンブリッジ・ウェルズの中心地で、常時鉱泉が噴出している最大の名所も北端に。ザ・パンタイルズ沿いには、お洒落なレストラン、パブ、ギャラリーなどが連なり、且つ野外劇場が設置されています。ザ・パンタイルズのさらに南端からすぐのところには西駅があり、今では観光用の蒸気機関車が運行されています。まとめて言いますと、タンブリッジ・ウェルズの街には、南端からパンタイルズ、ハイストリートを通って、中央駅の北側に造られたヴィクトリア時代の旧邸宅街マウント・プレザント通りのやや険しい商店街の坂を登ると、丘の上にはさらなる旧ローマ街道の繁華街があり、その中心広場のロイヤル・ヴィクトリア・プレイスのさらに先まで商業地域が続きます。最も雰囲気のあるハイストリート自体は300mほどですが、それに前後するパンタイルズなどの道筋を含めるとメインストリートの全長は2マイルほど。どこまで行っても続く、実質的なハイストリートです。

歩くだけでも豪華な気分になる美しい街並みは、湧き水という地勢だけでなく、日の没すること無き大英帝国、その時代のノブリス・オブリージェの富によって作り出された街。そして、タンブリッジ・ウェルズの地名の由来は、先に述べた水運の街「トンブリッジの近くにある井戸の街」ということで、いつしか古代都市トンブリッジよりも大きく豪華な街へと発展し、年月を経て地名の発音もタンブリッジ・ウェルズで定着しました。Tunbridge wells とTonbridgeという具合にスペルも発音も区別化されています。


ハイストリートのアイコン

ところで、ハイストリートと言えば、定番のお店があります。だいたいがチェーン店なので、どこのハイストリートに行っても、同じような店が並んでいるわけですが、かつてのWool Worthとか、BHSとか、今では失われてしまった店や業態も少なくありません。昨今では、WHスミスという文具店チェーンは、新たな資本家の買収を受けて、2025年内中に店名もその姿も変わる予定です。

ハイストリートとは何?マック木下英国記

ハイストリートを歩いていると、3,40年前に閉店した店の看板がそのまま残っていることもあります。工芸品の修理屋や、DIYショップなど職人さんの店も消えつつあります。ネジ一本だけが欲しい場合、個人商店に行けば、店主が無料で2,3本くれることもありましたが、今ではインダストリー・エリアやリテイル・パークにある量販店型の大型DIYショップで、100本入りの袋詰めを買わなければなりません。ハイストリートから、古き良き店を失うこととは、そのアイコン(象徴)を失うだけでなく、同時に人情を感じる場面が無くなったり、人付き合いが無機的に感じられるようになったりで、少し虚しさを覚えるのは当方だけでしょうか。しかし、それもやむを得ないことかもしれません。今後のハイストリートがどのように変化していくのか。その変化自体は楽しみでもありますが、我々一人一人が将来どうしたいかと、しっかり考えるべきことでもありますね。最後に、ロンドン旅行の皆さまが、古き良きハイストリートを体験したければ、オクスフォード・ストリートの北側にあるメリルボーン・ハイストリートと、それに並行するメリルボーン・レーン周辺がおススメです。今でも、地元住民の息遣いが感じられることでしょう。

Text by M.Kinoshita


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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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