BM RECORDS TOKYOへようこそ 原点にして最高のボンド 追悼ショーン・コネリー

2020.11.13

精悍から円熟の道を辿った気骨の名優

この場ではこれまでも度々007シリーズ関連のテキストを書いてきましたが、またもこうして追悼文テキストを書く日が訪れてしまいました。
ショーン・コネリー
10月31日、007ことジェームズ・ボンドを演じた初代俳優のショーン・コネリーが亡くなりました。享年90でした。
悲しくも光栄なことに、今回もロジャー・ムーアの際と同様に訃報から間も無く共同通信社から依頼をもらい、地方紙配信用の追悼文を寄稿させてもらいましたが、ここであらためてその功績について綴らせてもらいます。

ショーン・コネリーは1930年にスコットランドはエディンバラで生まれました。海軍、トラック運転手、ライフガードなどを経て、1953年にはミスターユニバースコンテスト重量上げ部門で3位に入賞。その時、演技の道を勧められ、1954年からテレビや劇団で演技を始めると、端正な顔立ち、188センチの長身、ボディビルで鍛えた筋肉美による存在感で『007』シリーズ製作陣の目に留まります。

当初、007原作者のイアン・フレミングはコネリーの起用を快く思わず、「厚紙細工のでくのぼう」とまで彼を揶揄していたと言われています。労働者出身のワイルドさが抜けていなかった当時のコネリーは〝イケてる〟雰囲気からは遠かったのです。
ショーン・コネリー
そんなコネリーをボンドの似合う男に磨きをかけた大きな一人が、シリーズ第1作目『007 ドクター・ノオ』(1963年)を監督したテレンス・ヤングでした。

元来洒落者だったヤングは、自分が利用していたテーラーのアンソニー・シンクレアでコネリーのスーツを仕立てます。ちなみにシャツはチャーチルや後のチャールズ皇太子の御用達でも知られたターンブル&アッサーでしたが、こうした趣味はヤングのセンスが大きかったのです。

ショーン・コネリー ショーン・コネリー
すると原石は磨いた途端に輝き始めました。撮影当時31歳とは思えぬ破格の艶気と貫禄を讃えたタキシード姿のコネリーが、煙草に火を着けながら悠然と「ボンド、ジェームズ・ボンド」と名乗ります。
『007ドクター・ノオ』は公開当初こそ賛否両論でしたが、このシーンは、間違いなく一人の俳優の人生と映画の歴史が大きく変わった瞬間だったのです。

ここからは多くの007ファンが知る通りです。『007』シリーズは爆発的な人気を獲得しました。知的でハンサム。腕っ節もギャンブルも強く、強烈なセックスアピールと自信たっぷりの口説き文句とジョークで美女をとりこにし、時には敵を背後から狙撃する冷酷さも見せる。そんなクールでマッチョなコネリーの初代ボンドを「原点にして最高」とたたえる声は今も絶えません。
「ロシアより愛をこめて」(1963年)、「ゴールドフィンガー」(1964年)、日本が舞台となった「007は二度死ぬ」(1967年)など、計5作でボンドを演じました。そして「007は二度死ぬ」の最中、彼は自ら役を降りる決意を固めます。常に役と同一視されるストレスと、ギャランティーなどによる製作陣との確執が理由でした。

しかし「女王陛下の007」(1969年)から起用された二代目のジョージ・レーゼンビーがボンドになったことで浮かれてしまい放蕩の限りを尽くしたため一作のみでクビに。コネリーは『007ダイヤモンドは永遠に』(1971年)でカムバックしましたが、結局は本作が最後の(正式な)ボンドとなりました。
ところが1983年、本家とは別の製作陣によるボンド映画『ネバーセイ・ネバーアゲイン』で彼はまたもボンドに。この辺りの経緯はちょっとややこしいので割愛しますが、ともかくこの番外編を含めてコネリーは全7作でボンドを演じました。
ボンド降板後はしばらく人気が低迷しましたが、1986年の『薔薇の名前』で評価を得ると、1987年『アンタッチャブル』でアカデミー賞助演男優賞を受賞。
その後も『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)、『レッド・オクトーバーを追え!』(1990年)などで存在感を発揮します。
額は広くなり髭には白いものも混じり始めましたが、ルックスと足並みを揃えるかのように、演技も円熟味が帯びていきました。人生を達観したような役からユーモラスな役まで、幅広くこなす演技派に脱皮しました。
また1992年の『ザ・スタンド』、1993年の『ライジング・サン』、1996年の『ザ・ロック』、2003年の『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』では製作総指揮も手掛けました。

コネリーは郷土愛が強く、腕に「スコットランドよ、永遠なれ」というタトゥーを入れ、生涯に渡りスコットランド独立を支持しました。

『007』シリーズでは後からボンドの父がスコットランド人という設定が加えられました。これはイアンがコネリーをボンドと認めたこと、またコネリーが演技のなかでもスコットランド特有のアクセントを崩さなかったためと言われています。

『007ダイヤモンドは永遠に』の際に得た破格のギャラもスコットランドの教育基金に寄付していました。2000年、エリザベス2世からナイトの称号を与えられた際の授与式にはスコットランドの伝統衣装であるキルトを着て出席。「独立するまでは死んでもスコットランドに帰らない」とも発言していました。

2006年に俳優引退を宣言してからは家族と静かに暮らしていましたが、近年は認知症を患っていたとのこと。最後は移住先だったバハマの自宅で眠ったまま旅立ったそうです。

元妻へのDV疑惑や女性軽視発言などが報じられたこともありましたが、気骨に溢れ、スコットランド人としての矜恃を貫き、映画人として生きたいように生きた現役時代だったのではないでしょうか。そんな佇まいが多くの人々を魅了してやまなかったのだと思います。

そして、彼があれほど見事な初代ジェームズ・ボンドを演じなければ、おそらく『007』シリーズは今日のような長寿シリーズとなっていなかったのでしょう。
ショーン・コネリー
R.I.P. Sir Sean Connery.
心よりご冥福をお祈りします。安らかに。


Text by Uchida Masaki


plofile
内田 正樹

内田 正樹

エディター、ライター、ディレクター。雑誌SWITCH編集長を経てフリーランスに。音楽をはじめファッション、映画、演劇ほか様々な分野におけるインタビュー、オフィシャルライティングや、パンフレットや宣伝制作の編集/テキスト/コピーライティングなどに携わる。不定期でテレビ/ラジオ出演や、イベント/web番組のMCも務めている。近年の主な執筆媒体は音楽ナタリー、Yahoo!ニュース特集、共同通信社(文化欄)、SWITCH、サンデー毎日、encoreほか。編著書に『東京事変 チャンネルガイド』、『椎名林檎 音楽家のカルテ』がある。

内田 正樹さんの
記事一覧はこちら

同じカテゴリの最新記事