2019.01.01

Little Tales of British Life 牧歌的ノーサンバランド紀行 その4 「自然美の宝庫AONBを歩く旅」 〜歩き疲れて妄想にふける〜

最初の拠点となった街アンブル(Amble)から、今回の目的地ベリック(Berwick)に至るノーサンバランドのコーストライン沿いの約40マイルの区間とは、実はとても有名なエリアです。AONB(Area of Outstanding Natural Beauty)として、ナチュラル・イングランドなどイギリスの3つの公共団体から1958年に指定された保護地域なのです。
8月10日頃でも、海岸はけっこう寒いんですが、アングロサクソンの子どもたちは元気です。彼を撮るつもりはありませんでしたが、シャッターを切る瞬間にいきなりフレームに入って来て振り返ったところでした。厳冬の日本海のような沈んだ海の色をイメージしていましたが、北海は終始穏やかで、空が低くても海の表情も爽やかでした。

ウォーキングコースとしては、以下のウェブサイトにも紹介されていて、実際に1週間ずっと歩き続けている軽装の男女のカップルとも知り合いました。パブで語り合った若いデンマーク人の彼らは美しかったのですが、自分たちの放つ体臭には無頓着でした。なにしろ、歩いて景観を楽しむことだけが彼らの目的でしたから、宿も風呂も洗濯も…。

The Northumberland coast Path
http://www.northumberlandcoastpath.org

当方ら夫婦の場合は「その3」で述べたように、魚釣りも体験しましたが、毎日最低でも2万歩(約9マイル)、最長では一日で4万歩ほど歩きましたので、2週間の総延長距離はAONBコーストラインの1.5倍に当たる60マイルは歩いたことになります。ウォーキングコースまでは車での移動ですから、右側に海を臨む海岸線のフットパスを歩いて、適当なところで折り返すと、左側に海を臨む内陸側の稜線のフットパスを歩くことになるために、必然的に歩く距離は長くなります。

実は、その日に歩く距離を地図で見つめるなり、「今日もまた歩くの?」とため息が出ることもありました。アウトスタンディングな光景に囲まれて、最高の被写体が続くと言っても、見慣れてしまうとなんとなく見過ごしては、いつの間にか心の中に籠って、スコットランド映画「ローカルヒーロー」のサウンドトラックが頭の中に流れていたり、妄想したり、自由な発想に浸っている自分に気付くこともあります。

余談ですが、海岸縁りにお屋敷がぽつんと建っているのを何度か観ているうちに、イングランドの南岸にあるサンドイッチ伯爵の邸宅跡のひとつが思い浮かび、妙な妄想が湧いて来ました。 「もし、あの時代にサンドイッチ伯爵がカードゲームの最中にパンではなく、海苔巻きを手にしていたら、海苔巻きがサンドイッチと呼ばれることになっていたのかもしれない」 なにしろ、本来のサンドイッチには「挟む」という意味がありませんから、もし当方の妄想が事実あるいはエピソードとして残っていたら、現代に至って和製英語化したサンドイッチは「巻く」という意味になっていたのかもしれません。 海苔巻きを見て「美味しそうなサンドイッチ」とイギリス人が口にするなど、妙な妄想をしてしまうほど、散歩中は心の自由を楽しんでいます。ちなみに、サンドという言葉はイギリスでは通じません。ちゃんとsandwich(es)と発声しましょう。
この光景でサンドイッチ伯爵についての妄想が広がりました。この日はサンドイッチよりも海苔巻きの入った助六寿司が食べたいと思いつつ歩いていました。日本に居ると全然食べないのに…

もちろん、ノーサンバランドコーストはドローンなどで上空から俯瞰したり、道端の生物に心を寄せて細かな生態を観察したりすると、決して単調な景色とは言えませんし、その美しさの背景や多様性の理由が見つかります。しかし、徒歩の速度では長い時間同じ景色の中に同化することになるので、自己を開放する自由な発想の機会にもなりうるのです。いわゆる、ランナーズハイならぬ、どこまでも歩き続けられる感覚、トレッキングハイという現象でしょうか。
イギリス通と言われる人物にこの画像を見せたら、見慣れた景色だと言われました。80年代からイギリスに住み、イギリス中を歩き回っている当方にとっては、初めて見たライム・キルンでしたので、今までにもいろいろと見落としているのだろうな、という謙虚な気持ちになりました。ともあれ、ノーサンバランドでは至るところで観られるキルンです。画像は中規模のものですが、中規模以上のキルンは港に併設され、小規模のものは街道沿いに設けられていました。各地域が所有していて、産業革命前のイギリスの主産業でした。

AONBに触れる

ところで、イギリスBBC2の制作する有名な長寿テレビ番組シリーズCoastでは、イギリスの海岸線についてその多様性や特質を、考古学、歴史学、経済学、地理学、地質学などの専門家が饒舌に語り、巧みな撮影技術でフォーカスしています。そんな魅力的なノーサンバランドの海岸線が紹介された時以来、いずれ行く場所と決めていました。しかし、その番組でノーサンバランドを観て以来10年以上を経た今でも観光地化が進むわけでも無く、訪れる人が増えるわけでもないので、観光地を避ける旅行者には有難いエリアなのです。実にここまで北上して来たこの海岸線では、すれ違う地元民から繰り返される決まり文句がありました。

“There is nothing like the Northumberland coast, is there?”
「ノーサンバランドの海岸線は天下一品だろ」(意訳) と、

地元民の彼らが自慢するほどの絶景が連なる地域なのです。

AONBによるノーサンバランドの説明(英文)
http://www.northumberlandcoastaonb.org
日本と比較して高緯度であるため、太陽が没していく角度が緩やかなので、夕焼けの時間が長く感じられます。そして、光の加減が刻一刻と著しく変化するので、雲や地表の表情にも「千姿万態」という言葉が相応しく思われます。しかし、明日も見られるからと思っても、二度と同じ景色は観られないのですね。8月上旬のこの時間帯(午後9時ごろ)は夕食後の散歩に当てていました。

その成果なのかどうかは判りませんが、アンブルからベリックまでの海岸線を歩いていても、プラスチックのゴミを見掛けることはまったくありませんでした。もちろん、マイクロプラスチックが無いとは言い切れませんが、漂流または破棄されたプラスチックごみを目にすることは皆無でした。2017年の暮れから本年初めに掛けて家族旅行した沖縄や、一昨年に旅行したバリ島では、隣国で生産された緑色のプラスチックボトル(人工焼酎の瓶)が景勝地の海岸に散乱していました。どんなに美しいところに行っても、ある程度は仕方のない光景かもしれないと諦めていたので、北海のコーストラインが完全な自然美を保持していたことはとても意外でしたし、今後の人間と自然との共存に新たな希望が湧く思いがしました。

ベリックはアナログはネットワーク時代の要衝

イングランドの最北端の街はBerwickと書いてベリックと読みます。ギャリソン・タウンつまり、街全体が駐屯地でもあり、スコットランド国境と、北海からの外敵に対する最前線の防壁だけに、かつてのロンドンのシティウォールよりも頑強な城壁に囲まれています。
2つの画像は同じ景色から取った構図です。絵画の方はイギリス人であれば、誰もが知る画家Lowly(1887-1976)に拠るものです。Lowlyの特徴は都市の街中や生活風景を描きだすことです。ベリックの街も至るところに彼の絵が実際の景色を望む場所に掲げられています。ちなみに歪んだ壁の建物は火災で変形した柱にそのまま漆喰を塗って改築したものだそうです。

1296年から1482年の間に、ベリックの街はイングランドとスコットランドとの両王国の間で13回もその手のひらを返し続けて生き残って来ました。戦況によってどちらかに加担し、数回の朝貢や資金調達でその場を凌いできた外交と軍事に優れた「国家戦略的な」自治都市です。この状況は11世紀にノルマンが攻め込んで来た時のロンドンの防衛環境を彷彿とさせます。

なぜなら、ベリックという巨大で強権な都市が戦局を回避するために、イングランドかスコットランドか、どちらかの勢力に身を委ねつつ自治独立を維持しながら両王国との共存を図ってきたという構図と、ロンドンがノルマンに包囲されながらも戦局を回避し、結果的には強健な自治都市(ある意味で都市国家)としてその後も存続した構図とで、両都市の生き残り戦略が似ているからです。
ベリックの街は巨大な大砲台が百基以上設置されたために分厚い土塁で囲まれています。戦争では最先端の技術がどんどん投入されますから、土木工事も含めて科学技術を飛躍的に発展させます。画像は頑丈過ぎて壊せない砲台跡です。外観からも基礎部分の強さが伺い知れます。

現王室の祖先に包囲されても、屈することなく「君らが攻めて来たら、お互いの損失はおおきいだろうねえ…」と「何とな~く平和な状況」を導き出した軍事都市国家としてのロンドンはイングランドに対する調略で生き残ったと言えるわけです。やがて、17世紀のロンドン大火などの影響によってギルドも求心力や財力を失い、国家的な統率力を失うことになり、ロンドンとイングランドとの国境は実質的に消滅して行きます。もちろん、法的には現在でもロンドン市とイングランドとの間に国境は存在しますが、もはや有名無実化して久しいものになっています。

一方で、エリザベス一世女王治世以来、自治都市ベリックはイングランドの要所として発展します。エジンバラからロンドンに向かう幹線が整備され、その道を結ぶ唯一の橋(オールド)ベリック橋が1611年にトゥイード川に設置されました。たかが橋ですが、この橋はエジンバラとロンドンとの通信や流通を担う唯一の幹線道路でしたので、長年の重要拠点となりました。現代で言うなら、通信ネットワークの役割を果たしているわけです。かつては木製の橋であったために、冬の氷結による倒壊や、北海の高波による破壊を何度も被りましたが、石橋になってからというもの、ネットワークが途絶えることはありませんでした。エリザベス一世女王の没後間もない時代に確立した懸け橋は、ヴィクトリア女王の時代にはロイヤル・トウィード橋の計画が興されると、幹線ネットワークとしてのベリック橋の役目はほぼ終えました。しかし、今でも使われているベリック橋の上に立ってみると、400年という過去だけでなく、今でもこの橋がロンドンとエジンバラとに繋がっていることにアナログな安心感を覚えました。
地味な画像で申し訳ありませんが、ベリックが完全なるイングランドの一部となったために17世紀にトゥイード川に架けられたオールドベリック橋です。石橋になる以前、木造の橋は毎年凍結によって破壊されたそうです。以来19世紀のヴィクトリア女王時代にロイヤルブリッジが建てられるまではエジンバラ-ロンドン間を結ぶ要衝としての懸け橋でもありました。白い車と車道の白線が映り込んでいなければ、17世紀の街の様子が完全に再現可能なのですね。
鉄道の走るロイヤルベリック大橋です。河口近辺なので、アザラシが時折その頭を見せて泳いでいます。

ロンドンを彷彿とさせる街ベリックはいまだに交戦中

また、ベリックは街全体が国境防備やナポレオン戦争まで英仏戦争の要衝として機能し、その役割を完全に終えるのは1960年代までに至ります。ロンドンはイングランド征服時からロンドン大火までの約600年間、一方のベリックはイングランドとスコットランドとの両国間で揺れた200年間、両都市は外交と軍事との両面で全知全能を尽くした自治都市国家として存続したということです。

ベリックという自治都市の歴史は、イングランドらしい寛容と妥協の精神、そしてコモンセンス(共通の感覚)を運用して生きながらえたイギリス人の精神的土壌を我々に伝えてくれています。但し、両都市の類似性についての見解は単なる持論ですので、異論反論は各位でご消化ください。
シーハウシズの街から一旦ベリックに拠点を移動して、エジンバラ、イングランドとスコットランドとの国境、そしてリンディスファーン島へと渡りました。将来の旅先としてファーン諸島を考えています。

さて、このベリックはその軍事力があまりにも強権だったゆえ、特別な連隊を率いてグレート・ブリテン、アイルランド及びベリックの3カ国(?)として1853年のクリミア戦争に参戦しました。しかし、その後、平和条約の締結時にはベリックの記載が無かったために国際法上ではこの自治都市はいまだに帝政ロシアと交戦状態であるということが、後の政治学者の公文書リサーチで判明したとのことです。スコットランドであるのか、それともイングランドであるのか、その所属先の不明確さゆえに条約に盛り込む手続きをイギリス政府が見過ごしてしまったというベリックならではの立ち位置を象徴する出来事として市民には語り継がれているとのことです。

さて、今回のノーサンバランドの旅ではこのベリックが3つ目の拠点でした。ここでのAirbnbは城壁の街中でしたので、駐車スペースが遠く、道が狭くて困りましたが、その分だけ中世の都市に住んでいる感が味わえました。街中の舗装は石畳が多く、馬車が行きかうために整備された道幅です。窓から望む景色も中世からほとんど変わってないのだろうなあと思われます。大きな変化であったとすれば、教会の尖塔に時計台が設けられたのは14世紀からですが、当時は一大センセーションだったのでしょうねえ。
ベリックで最も気に入った景色。堤防と灯台の向こうは北海です。画家Lowryもこのアングルで50年以上前にこの景色を描いています。
次回は「牧歌的ノーサンバランド紀行」の最終回。
自家用車で海の上を走ります。お楽しみに!

Text&Photo by M.Kinoshita

関連リンク
牧歌的ノーサンバランド紀行 その3「アンブルからシーハウシズまで北上」
牧歌的ノーサンバランド紀行 その2「ニューカッスルからアンブルまで北上」
牧歌的ノーサンバランド紀行 その1 「言葉の壁、心の壁」


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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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