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Little Tales of British Life ラグビーワールドカップ 2019に寄せて、 開幕直前小話 その1/2 「ラグビーのとてもローカルな話」

2019.07.02

2019年ラグビーワールドカップが日本で行われるとなると、知り合ってから今までの35年間、2002年FIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップの時でさえ日本にはまったく興味を示さなかったイギリス人の義弟夫婦は、イングランド戦を観るために日本に来ると言い出しました。ロンドンで暮らす拙息子もパブリックスクール(イギリスの私立セカンダリ・スクール)時代と学生時代のラグビーのチームメイト約10名(平均身長188㎝のイギリス人猛者)を連れて日本にやって来ます。イングランド戦に限らず、スコットランド戦やウェールズ戦、アイルランド戦も観るために、全員が有給休暇を2週間以上も取っていて、大分、神戸、札幌など地方開催の試合観戦のために2週間JR路線が乗り放題のジャパンレイルパス(外国人のみ有効)も購入しています。一体全体、イギリス人にとってラグビーとはどんなものなのだろう、とあらためて考えさせる事態が起きています。

ところで、私事ではありますが、当方も昨年の夏から数年間だけ日本に住むことになりました。もちろん、公私に渡ってイギリスとは深く関わっております。ラグビーW杯の頃、イギリス人の彼らは拙宅を当てにして来日するわけですが、10名余の人員を抱えた拙宅はどうなってしまうのでしょうか? 家の中が武骨でむさ苦しい大男たちのためにモール状態になり、朝ごはんの納豆を床にノックオンされたら堪(たま)ったものではありません。
スクラム 子どもでも、スクラムは痛そう。日本では耳が餃子になると言いますが、イギリスではカリフラワになると言います。お神輿を担ぐときに出来る神輿ダコとは構造的に異なりますが、耳や肩どちらにしても、餃子(カリフラワ)やタコを持っている人は国を問わず、勲章のように誇りにしたがるようです。

以前、イギリスに住む拙妻の家族や親類がフットボール(サッカー)に熱心であるかのような文章を書いたこともありましたが、義弟と拙息子はそれぞれの学校と州とでラグビーの代表選手だったこともあり、ラグビーに対しては、サッカーとは少し異なった情熱を抱いているように思われます。サッカーは南米などイギリスの非支配地域で発展しましたが、ラグビーはクリケットやフィールドホッケーと同様にイギリスの支配地域内(植民地内)で発展しました。発展した地域が異なることで、文化的な違いを含んでいることも察せられます。

実のところ、イギリス人がサッカーに熱狂するきっかけになったのはテレビの普及が関与した、わりと最近の1966年(イギリスがサッカーW杯で優勝した頃)以降のことで、それ以前はイングランド、スコットランドなど連合王国内の各国の対抗戦であるラグビーに対する想いの方がフットボール以上に強かったのではないだろうか、というイギリス人の言葉も聞かれます。さて、その情熱を育んだイギリス人のラグビー環境とは如何なものか? 今回と次回は、ラグビーW杯直前の機会に、イギリスに現地化した当方と、拙子どもたちの経験からイギリスのラグビー文化を垣間見てみたいと思います。
ラグビー ラグビーを始めてから、息子と甥っ子が庭で遊ぶボールの種類が変わりました。

大ざっぱなラグビーの起源

ボールを持ってゴールに向かって走るスポーツが最初にプレイされた場所がパブリックスクールの名門校ラグビー校であったために、ラグビーフットボールと名づけられたということは、一般的に知られています。しかし、①パブリックスクールとは何であるか? また、②ラグビーと呼ばれる以前のスポーツは何だったのか?という疑問が生じます。①については、以下の過去記事をご参照頂くとして、②については、サッカーという説があります。でも、それは本当でしょうか?

パブリックスクールについて(ご参考の過去記事)
https://www.british-made.jp/stories/lifestyle/2015062300280

創立が18世紀半ば以前に及ぶ伝統的なパブリックスクールでは各校それぞれに独自のルールを当てはめた競技があり、ラグビー校で行われていたフットボールもその一つでした。すなわち、ラグビー校にはサッカーとは異なる2つ以上のフットボールゲームが存在したのです。今でも、ウィンチェスター校などの古くからのパブリックスクールでは、サッカーとは異なる各校に独自のルールで校内フットボールの試合が行われています。
ラグビーグラウンド 左側にももう一面のラグビーグラウンドがあります。11歳から16歳までの6チームと、lower6(高2)とupper6(高3)の混成チームの計7チームがこのピッチで週末に泥だらけになります。

19世紀、パブリックスクール間で学校の対抗戦を行う場合に統一したルールが必要とされてきた時点で、フットボール界は団体を構成します。しかし、手を使ってはならないフットボール派(イートン校派。いわゆるサッカー。フットボールアソシエーション1863年設立)と、手を使っても良いフットボール派(ラグビー校派。ラグビーフットボール・ユニオン1871年設立)との2つの組織に分かれ、それぞれがルールも違えたことによって、イギリスのフットボール界は、フットボール(サッカー)とラグビーフットボールとに二分化したという経緯があることはイギリス人にはよく知られていることです。

ラグビーフットボールに特化して述べると、1823年当時、ラグビー校独自の校内ルールで行われていたフットボールの試合中、W・ウェブ・エリスという生徒が、ボールを手に持ってゴールしてはならないという校内ルールを無視して、ボールを手に抱えて敵のゴールに駆け込んだことが起源とされています。(ちなみに、サッカーの発足は1863年以降ですので、この時のフットボールとはサッカーのことではありません)ラグビーワールドカップの優勝トロフィーにはその反逆児(校則違反児)の名前が刻まれることになり、そのトロフィーは『W・ウェブ・エリス杯』として人々に知られることになったわけです。そして、この逸話について、本当に起きたことかどうかは、今となっては誰も判りませんが、イギリス人たちは言い添えます。「ラグビーの起源話は大雑把だけど、誰もがこの逸話を好きであることに変わりはない」のです。校則違反した元気者(不良?)が、大人を出し抜いて、周囲をスカッとさせる(伝説的な)逸話を残したのですね。

フットボールと言えば、サッカー(蹴球)、ラグビー(闘球)、アメリカン、ゲーリック、オーストラリアンとさまざまです。サッカー以外はレスリング並みの激しいボディコンタクトが許されているので、肉弾戦による独特の高揚感が観る人々を魅了するのでしょうか。

2つのフットボールからの洗礼

11歳で拙息子がパブリックスクールに入学するや、いきなりラグビーが始まりました。それまでの息子はプロサッカー選手になりたくて、イングランド・プレミアリーグのジュニアチームへの加入が決まりかけているところでした。しかし、熾烈な競争と他選手たちの親たちの荒んだ態度にウンザリしていた頃でもあります。

フットボールぺアレンツ(過去記事ですが、ご参考まで)
https://www.british-made.jp/stories/lifestyle/201809040026513
ラグビー風景 拙息子のチームメイトが集まり、試合前のフォーメーションの確認をしています。この後は、恐怖心を無くすため、且つ気持ちを充実させるために自らを鼓舞する雄叫びをあげて気合を入れます。試合前に国家や校歌を歌うことは自覚を高めるのかもしれませんね。

後年になって息子から聞いた話では、選手と親たちとの業(ごう)が入り乱れた環境が、イギリスの庶民スポーツ、サッカーの世界で経験した荒っぽい洗礼だったとすれば、パブリックスクールのスポーツとしてのラグビーは、ゲームに迫力と蛮性が伴う一方でジェントルマンシップを備えたイギリス自身が備えた独特の世界観を魅せてくれたという点で、いわば、すがすがしい洗礼を受けたように思えたそうです。この頃の息子はフットボールが人生のすべてではないな、と捉えることでプロサッカーへの気持ちを断っています。

年齢を経ると、スポーツは優秀な選手のためだけのものではなくなります。頂点に辿り着ける選手の方が少ないのですから、年を重ねるごとに、「勝ちたいから」「誰よりも強くなりたいから」という夢を追うよりも、「楽しみたい」という嗜好性にシフトしていくわけです。挫折感を味わったことで、現実的で適度な方向に人生設計のシフトチェンジをする機会であったと息子やその仲間たちは認識しているようです。
イギリスのラグビー 16歳以上になるとプレーも迫力を増して来ます。イギリスのスポーツは、ラグビー以外でも使う道具が少なくて、肉弾戦だったり、素手だったり、プロテクターが少ない傾向にあります。イギリス人の彼らに語らせると、グラブを使う野球や、防具をたくさん身に着けるアメフトと比較して、イギリスのスポーツは(道具を使わない)ナチュラルなスポーツなのだそうです。

試合終了だけど、ノーサイドじゃないの?

実は、この「楽しみたい」という姿勢に、ノーサイドの意味が収斂されているのではないかな、と気付いたのは息子のラグビーの最初の試合後、対戦相手チームの父母と話を交わしたことからでした。

息子たち選手は平日の放課後に練習し、毎週土曜日は対外試合です。2004年のことでしたが、当方は新しい学校に入ったばかりの息子のチームが初めて行った対外試合をまだ覚えています。まだチームを結成して2週間も経っていない頃、コーチと呼ばれる担当の教員が指揮をとって、皆を激励します。「いいか、みんな!ラグビーはポジショニングと走りだ。誰かがタックルされても、モールやラックの状態を見て素早く陣形を整えろ。ディフェンスは逆にタックルして、相手の陣形を崩せ。常に相手のパスを読め」

拙息子のように11歳でデビューした子どもたちが半分、そして5歳からプレップスクール(系列校の小学部)でプレイして来た子どもたちが半分で構成された新チームなのに、そんな難しい指示どおりにプレイできるのかな、と疑問に思いましたが、試合開始時点で彼らは見事に陣形を整えていました。もちろん、試合開始のときだけです。左右に広がっているはずの陣形は、開始直後にはグダグダに崩れ、敵方のインターセプトの応酬で、プレイはピッチの真ん中を右往左往するだけ。プレイがサイドラインに来るのは審判のホイッスルが鳴ったラインアウトのときだけでした。確か勝敗は強豪校の3軍に対してぼろ負けの60対10くらいのスコアでした。
劣勢のタイガージャージ。14,5歳頃までは、相手チームとの体格が違い過ぎて、試合にならないなんてこともあったのですが、16歳以降は体格が拮抗してくるので、ラグビーらしい試合が観られるようになります。負け試合を観戦し続けるのはけっこう辛いものです。励ましの言葉を一生懸命に考えねばなりません。

試合終了のホイッスルが鳴り響いた時、審判は“full time”とコールしました。「あれ?ノーサイドじゃないの?」と口にしましたら、その時ピッチ脇で知り合ったばかりの応援に来ていたイギリス人の女性が言いました。「では、私たちもノーサイドを楽しみましょう。ああ、紅茶が飲みたい。この学校には校名をブランドにした紅茶とワインがあるのよ」当方は、ワケが判らず、彼女の言葉に何も反応できませんでした。その直後、学校の職員たちが“Tea’s ready.”(お茶のご用意出来ました)と叫んで、応援に来た父母たちを学校の大広間(映画「ハリーポッター」のホグワーツの大食堂を思い出して下さい)に導いています。そこに行けば何かが判るのかもしれないと思って、当方もティに参加することにしました。すると、大広間にはコーヒーと紅茶と50人分以上の(ちょっと乾いた)サンドウィッチと焼き菓子が用意されています。試合後、子どもたちが着替える合間に、敵味方の親同士が交わって茶話会形式で試合や学校生活について談笑するのです。さらに、泥だらけのユニフォームから制服に着替え終わった両校の選手たちも広間に入ってきて、敵も味方もなくサンドイッチをほお張り始めます。つまり、ノーサイド。敵側と味方側、それぞれの側が無いノーサイド状況でお茶が振る舞われているのです。

そして、この時に判ったことですが、No sideという言葉は試合ではもはや使われることはなくなった古語であるけれども、敵味方という壁を払い除けた状況で互いが交わり、ジェントルマンシップに通じる精神的な背景と振る舞いはラグビーの伝統として残されているということでした。さて、ノーサイドの精神から導かれたジェントルマンシップとは、どういうものなのか。今回の記事でも少しお判り頂けたかもしれませんが、イギリス人たちが何故ラグビーに引き込まれて行ったのかについて、次回は歴史と経済と社会の変化を絡めてご紹介します。

次回に続く。

*尚、ご存知の方も多いと思いますが、イギリスではサッカーという言葉を使いません。しかし、今回は様々なフットボールの話が絡むので、便宜的にサッカーという言葉を多用しておりますこと、ご了承ください。

Text&Photo by M.Kinoshita

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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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